昨夜はアデ・ガイヤ泊 ボーダー近くでは大きな町の一つだ。 ボーダーが開いていたときは、エチオピアからのモノの中継地として栄えていたらしい。(アスカダムや、ガブリエススさんの話) しかし、今や、単に田舎の埃っぽい町だ。 町の中心には、モスクがでんとそびえていて、教会の影は薄い。 アラビック系の町であるようだった。
お客が来ないので、町で一番いいホテルの、アデガイホテルはなんと閉鎖していた。で、ウロウロしていたら、私の後ろについてまわっていた子どもたちが、こっちこっちという感じで導いてくれたのがサミホテル。 ロンプラによれば、静かでクリーンとかいてあるが、とんでもない。夜中近くまで大音響で音楽が流れて踊る人たち。 で、クリーン??とんでもない。 トイレは、ゴミだらけですさまじく、水がとまっているし。部屋にはさすがにゴミは散らばっていないが、タンスなどはボロボロ、何より、ベットカバーらしき布の上に、ちっこいゴキブリの死体がいくつも見える。シーツは、洗濯してないよな、って感じだし。 仕方ないので、町の洋服屋から、女性の人がアタマにかぶる白い布を買ってきて敷いて寝た。帰ってきて、この布がいくらだったか、アスカダムに聞かれたので130ナクファだった。高いと思ったが、デスカウントはしてくれなかった、しかし、私はシーツが必要でチョイスの余地がなかった、といったら、確かに高いよ、でも、仕方ないねと笑われた。 おまけにベットは、マットレスではなくて、裏は金網系のスプリングになっていて、朝方はしんしんと冷えた。 アデガイヤは、2400M以上の高地にある町、エリトリア一番、アスマラより高い。さすがに寒いよね。それに、走ると、息が切れます。 そんなこんなで、このサミホテルに2泊する気は毛頭なくて、とにかくコハイトーを見たら、さっさとアスマラにかえろ、と決めた。 いやはや、こんなに汚いホテルに泊まるの、久しぶりであった。 97年に中国三峡を人民船に乗ってうろついていたときに、奉節(フォンジエ)についたときが時間が遅くてホテルがなくて、窓ガラスが割れているわ、ベッドはボロボロだ、薄暗い裸電球が1個、共同シャワーはこれまたゴミだらけというすごいとこに泊まったけど、サミホテルほどすごいのはあれ以来である。
で、そのサミホテルもお客がいなくて、客室は家族の部屋になっていた。 どうやら、爆撃で壊されたらしい、一部の部屋は工事中だったし。 ゆいいつの客たちは、ミニタリー。 で、昨日はその部屋のミニタリーに「ご招待」されてお話しした。 まあ、めったに来ない観光客が来た、それも日本人の女が一人で来た、というので宿の人がミニタリーにご注進に及んだらしい。 断ってあとがめんどうになるのも困るし、しばらく伺ってお話をしたが、一番印象に残っておるのは「国のために自分を犠牲にできるか」の質問。 「No!」 私はしっかりと応えた。 アントニオ猪木のような顔をした、一番えらい軍人さん(部屋には3人いた)「なぜだ、どうしてだ、自分はできる、国のために死ねる」としつこい。 ほとんど、自己陶酔的に「国への自己犠牲」を語る、お前だけ勝手に死んでソルジャーツリーになれ!とはいわなかったが・・がね。 議論できるほど、エイゴできないし、向こうの英語もけっこうあやしいし。 「私は私が一番大事、私の命は私のものだ、国にやる気はない」 とこれまた、ビールで彼の酔っぱらった目をまっすぐに見て応えたら、彼、むううう・・と考え込んでいた。 彼らは、前線で働いている、つかぬ間の休息をこのホテルでビールを飲んだりおどたったりする事で過ごしているようだ。 アントニオ猪木ソルジャーはおネエさんがスエーデンにいるらしい。 で、自分はまだ結婚していない、早くしたい・・と訴えていた。わたしに訴えられてもね・・シランよ。 前線でいつ死ぬかも知れない男の嫁は難しいだろうよなあ。 しかしまあ、休暇をこんなとこでリラックスしていないで、アスマラにいって、大通りを歩きなさい、それで、可愛い女性に、たくさん声をかけなさい、といったら、大笑いされた。 30分ほどおつき合いして、まだ町の中を見ていないし、夕食もしたいので・・と失礼したが、話の中でこまったぞ、と思ったのは、「コハイトーはパーミットがないと通れない」ということ。 彼は、宿の女将を呼んで「明日、彼女のためにコハイトーにいけるようにしろ」とかなんとかいってくれたが、さて困った。 ただ、足(タクシー)は彼女が、探すよと確約してくれた。
町中で、なんとかパスタを出すレストランを見つけて入ったが、まあそのまずいこと!! どうしたら、こんなにまずく作れるんだ、というくらいにただ辛いだけのミートソーズスパゲッティだった。 アスマラでの美食になれた口には、ゲゲゲ! 数十キロ先のエチオピアでは、いまだに1日に何人も餓死者が出ているとアスカダムにきかされているし、のこさず食べようと、がんばったが、イヤにつらかった。
そんなことで、セナフェからアデガイヤについて、昨日は日が暮れたのであった。
危険度?? それは、全くない。 町中の人が私が歩いているとじっと見ているが、危険な目つきではないし、こどももついてきて、袖をひいたりするが、それも好奇心で。 昔、トルコで日本人は悪意なく話しかけても無視する、それが悲しいと聞かされたことがあるので、以来、たとえ悪意(だまそう)がほの見えても、「ノウ」「いらない」「ハロー」等々で応える方針にしているので(無視は人としてよくないと思うので )そでひく子たちにも、じっと見る人にも「サラーム」とご挨拶はしていたが。 こういうのも疲れますで。
で今朝。 勇気を持ってトイレにいったが、相変わらずきたないので、長く滞在したくない。便秘。 仕方ないねえ・・・水も、ちょろちょろだし、ぬれテッシュで顔を拭いて、ミネラルウオーターで歯を磨いた。 これも、大昔、中国奥地のチベットの村以来だ。 昨日は、8時には、コハイトーに出たいと話していたので、朝飯!だが、ホテルの人たちはみんなまだ寝ている。ここの女将だけは、外へなにやら出ていったが。 昨夜、私にコハイトーの状況を英語で話してくれた子は、自分がついていってもいいよとまでいっていたのにもちろん姿見えず。(だいたい、この手のお調子のいい言葉は、体験上、アテにできないので眉唾で聞いていたのだが、やっぱりねえ)
しかし、タクシーを手配するという女将さんは帰ってこないし、ご飯は食べられそうにないし・・・ で、中庭をウロウロしていたら、女将さんが帰ってきて「ミニバスで行け」という。 朝早く彼女がでていったのは、どうやら私のタクシー探しだったらしい。 約束を守るためだったらしい。 ありがとう。 しかしだね・・ミニバスって・・・「タクシーの約束だろう」 「タクシーは見つからなかった、ミニバスだと400ナクファ、タクシーより200ナクファ、安い」 「ミニバスは他の人を乗せる、私は、午前にコハイトーをみて、昼のバスでアスマラに帰る、時間がない、人を乗せるのは困る」 「人は乗せない、あなただけ、それは約束だ」 ・・・・・同じ約束をして、中国の北京郊外、司馬台長城でやすやすと破られたことあるしなあ・・・・ しかし、ミニバスしかない、といわれれば、それもまた仕方ない。 女将のいうままにバスに行く。なかなかしっかりした車だ。 もしかしたら、ダートを走るのだし、タクシーよりよいかも。 で、ドライバーに「私の占有だ、その約束を守ってくれないと、料金を全額、払うのは止める」と半分の200ナクファだけ渡した。 彼「了解した」 正直、というか真面目そうな雰囲気で、信用してもよさそうなので決定。朝ご飯がまだなんだ、といったら、彼、戻ってもいいよ、といってくれたが、近くの店で、水とバナナ、ビスケットをかってすませる事にした。 彼も走り出すと「コハイトーのパーミット、アスマラでとってきただろう」という。 しかし、昨日ミニタリーがパスポートでもいけるだろう・・といっていた話をすると首を傾げながらも走り出した。 で、気安く、コハイトーの入り口へ 砂漠のっぱらのまん中に検問所・・・通してくれませんでしたわ・・・ こういとき、例えば、インドとかトルコだと確実に「袖の下」を請求されて通してもらえる確率が高いのだが、しかしここはそれも通じず。 (ダメだったら、それで行こうと、実は私、思っていました) 結局、ミニタリーオフィスに戻ることになった・・・ メンドかったが、それでも実は嬉しかった・・・ というのも、あんなのっぱらの検問所、誰も見ていない。 私から「袖の下」をとって通してもあんまり問題が起こりそうもないのに、大地の色をしたような村人ソルジャーたちががんとして入れてくれなかった、金おくれ、といわなかった・・汚されていないな、清廉だなと思ったのだ。 それが、嬉しかったのだ。 で、町中のミニタリーへ戻っても、そしてコハイトーにいけなくても、その気概にふれたでいいかなと。 この、清廉さもまたエリトリア人の美徳だろうと私は思うのだ。 彼らが好きなだけに、彼らの善さに触れただけでやっぱり嬉しい。
で、ミニタリーオフィス。 えらい人たち(かつて前線で闘った人たちだろう、ツーリズムオフィスの人は足を引きずっていた)は、英語がダメ。 ありがたいことに、バスドライバー氏がすべて通訳してくれた。 彼は、14年前まで、アジスアベバにすんでいたといっていたが、さすがに・・都会にいただけのことはあって。 私、ラッキー。 で、「どうしてアスマラでとってこなかった、出せない」の一辺倒。 「今まで必要といわれたことはなかった、知らなかった」 で通した。 「私は日本で、モノを書く仕事をしている、日本人はエリトリアについて何も知らない、南米の国だと思っている人もいる、だから、もしあなたが許可をくれたら、私はコハイトーやエリトリのことを日本人に紹介するだろう、私はエリトリアが好きだ、遠い国からやって来た、ぜひ、この国の誇るヒストリカルサイトのコハイトーをみたい」 とぶった。 ドライバー氏、通訳をしてくれる。 ボス、しばらく考えた。 それで、私に、こい。 奥まった部屋の、どうやら一番偉い人らしい男の前に連れて行かれた。 彼も、英語を解さないので、若い男の秘書つき。 で、前述のことをいうと、秘書さんが通訳した。 やはり偉い人、しばらく考えて、うなずいた。 秘書さん、「我々は、あなたにパーミットを出す」 オオ、やった。 で、足の悪い局長さん、女性秘書にいってパーミットを下さった。 この間約30分。 仕事、遅くないぞ、判断早いぞ。 との感想を持った。 パーミットをとらないできて、返っておもしろ体験ができたのだった。(とは、もらえたから言える脳天気な台詞・・ははっは)
で、コハイトーに戻る。今度は入れてもらえた。 例のごとくダートな、ただだあーーーーと平原続く乾燥大地を走る。 遙か先にモスクが見えていて、あれが、コハイトーだとドライバー氏はいう。 「エリトリアはどうか」 ドライバー氏、お決まりの質問である。 いつものようにみんな親切で好きだよ、安全な国だ、戦争をしていること以外はね。で、私の国と自然が全然違う、私の国の山は緑だ、木に覆われている、といったら、彼、ため息をついて、この国もそうだった。戦争で、みんあ切った、それで砂漠のようになったのさ。
で、コハイトー村で、ガイド氏を頼んで、遺跡を見て回る。 遺跡は村から、車で走ること5から10分のことにある。 5,6世紀頃の王国のあとらしいが、全貌はまったくわからず。調査されていない。パレスのあとらしき柱や石積みがあるが・・・遺跡の90%以上がまだ地下に眠っているのだ。 わざと出さないらしい。 でている柱はエチオピアが壊して倒していったから。 「ほら」 とガイド氏が石を持って地面をどんどんとたたく。 そうすると、中でそれが響いている。 つまり、地下に遺跡があって、それで中空になっていて響いている、ということらしい。 3キロ×15キロくらいの範囲で、これが起きるらしい。 つまり相当に広い範囲に古代の「町」が眠っているということ。 規模的にいったら、クノッソス(ギリシャ、クレタ)いじょうになるだろう。 もちろん、時代的には、クレタとまったく違うが(こっちが新しい、あっちは紀元前だし)もし、発掘されて、整備されたら、世界文化遺産級の遺跡になると思う。 そうすると、このコハイトーにもホテルができたり、アデガイヤのホテルで水がでないなんて事はもちろんないだろうし・・・・広場でたむろっている男たちの多くが仕事を得るかも知れないし・・なあんて私が夢を描いてどうする! まずは戦争、止めないと、すべて、日本人のオバはんの妄想に終わるぞなもし。 いつか、この国が平和になって、コハイトーの遺跡が掘り出されて観光地になって、今私が踏みしめているところは入れなくなって、「私、あの遺跡が掘り出される前に行ったのよん」なんて話せるときが来るといいな。 遺跡の周囲には、土器のかけらや柱のかけらがたくさん散乱していて、ガイド氏はそれをいくつか拾って説明したあとに私にくれた。 いいのか?遺物だぞ??だったが、せっかくだし頂いておいた。
一枚岩をくりぬいたエジプト人のお墓もあって、エジプト人、ここまで来ていたか・・で。しかし、まあ、コプトのマークがついていたし、キリスト教が入ってからのモノでそう古くない。ADのもの。
あちこち見ているうちに日がどんどん高くなって、アジジ状態。 風はさわやかだが、日差しはやっぱりアフリカだ。
アデガイヤのバス停11時半着。 12時発のバスは来ない・・し、来たら満員で置いてきぼりをくった。 で、ミニバスで、途中の町デカメハレにいって、そこからアスマラ行きの乗り換えて。 と書くと簡単そうだが、デカメハレに行くミニバスがおしくら饅頭。 アスマラまで帰るという、エンジニアの男性が、私に「ぼくの膝に坐りなさい、いいから」という。「ええ・・・」 そんな、マリリンモンローみたいなことはできんと思ったがそうしないと、引きずり下ろされそうなので、彼のでっぷりとした膝に腰をかけさせてもらってなんとかバスの乗客。 で、よくワカランが、私を乗せるために男が一人降りてくれた。(すまぬ、あのお人、どうしたんじゃろ)で、10人定員のバスに19人乗ってでた、やれやれ。 途中、例のごとく何度も検問。 私が、エリトリアの女性がかぶる白い布(シーツにしたヤツを日差しよけにかぶっていた)にかけていたせいだろう、アスマラから来るときにはなんの誰何もなかったのに「どこからきた、ナショナリティは?」と何度かミニタリーに聞かれた。 「アデガイヤ」 というも、発音(この地名の発音、難しい、ガは日本語のガとちがうのだわ)が違うので、ミニタリーは厳しい顔して聞き返す。 そうするとバスのほかの乗客が「アデガイヤ」(と同じに書いたが彼らの発音は私と違う)といっせいに声を出していってくれる。 中にはそれにつけて何かブツブツというヤツがいる。 「彼は、自分たちと一緒にのってきた、っていっているんだ」 とわたしを膝に坐らせてくれた、でBデブチョのエンジニアの男性が説明してくれた。 いっせいに私の味方をしてくれているらしい乗客たち、ミニタリーが嫌いなんだな、という気配がひしひしと伝わってきた。 ありがとう。
とにかく、夕方5時半すぎ、アスマラバスステーション着。 見慣れたスマラの景色にホッとした。 1泊2日だったが、もっと沢山、3泊位した感じの気分だ。 みんないなかったので、例のごとくお隣のドアをとんとんして、裏庭経由で帰った。 で、お茶を飲まないか、アデガイヤの話を聞かせて・・ということでシャイとお菓子をごちそうになった。 彼らは、アジスアベバから来た人たちで、いつか帰りたいという話、姉がイタリア人と結婚していたタイにいってきた写真などを見せてもらってくつろぎました。
7時過ぎにテレコミに電話をかけにいっていつものレストラン(ビストロアルバ)で食事。 すっかり、ウエートレスと顔なじみ。 一人で、アデガイヤにいってきたという話をしたら、びっくりされた。 この国は女性の権利がアフリカにしては画期的に高い。例えば、所有権があるとか。しかし、女性が一人で旅する文化はまだない。
ひとり旅、ホントに楽しかった。 そして、バスドライバー、膝に乗っけてくれた男性、ホテルの約束を守ってくれた女将・・・この国のまっとうな人々に会えた。 戦争が終わったら、こういう人たちのまっとうな力が生きるのにと思う。
※ 私、演説ぶった約束、果たしました。 故郷の新聞コラムに2回にわたってエリトリアのこと、書きました。 しかし、コハイトーはかいてないので、いつか紹介することがあるといいな。 (と、独り言)
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