世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年01月11日(日) ★二つのチョイス・・一人の若者と話す

帰る前に、ローカルバスで1泊2日のひとり旅にでた。
バスはひどくオンボロで、ブレーキ大丈夫か、と心配になるくらいだったが、入り口の席にいた私の隣には、バス乗客の自主的な思いやりか、遠来の客へのお接待か、英語のできるおじさんが必ず座って、周囲の景色や沿線の町の案内を英語でしてくだすった。
一度だけ、羊飼いのおじいさんが座ったときは、テグリニアで「○×△・・・」
ワカラン・・タラン・・だったが、すかさず、通路をはさんで横の席から「あんたはテグリニアを話すのかい」ってきいてんだよ、と英語で解釈がはいった。
朝6時発5時間のバス旅行だったが、そんなわけでなかなかに楽しいほのぼのとした旅であったのだ。
エリトリアの政治やお偉いさん(テレビで毎日見る)はキライだが、ふつうの人たちはやっぱり好きだなあ。ええ感じやわ。

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緊張状態が続いているエチオピア国境まで二十五キロほどしかないセナフェまでたどり着くのに一体何度検問を通過しただろうか。
 最後は、UN(国連軍)の検問だった。バスに乗っている外国人は私だけ、一人下ろされてパスポートチェックを受ける。
「どこへ行くの」
「セナフェ。メテラの遺跡を見て、夕方のバスでアデ・ガイヤの町に戻る」
 インド人的風貌の国連軍のバッチをつけた兵士はうなずくと、パスポートナンバーと乗っていたバスのナンバーを控えて「ありがとう」と、バスポートを返してくれた。
 やがてバスはセナフェに到着。バスステーション近辺の建物は穴が開いたり、傾いたり、完璧に破壊されていたり・・町の入り口には、難民キャンプのテント村があったし。
 まさに戦争の爪痕だった。
 この国に来て、空爆された建造物は何度も目撃した。しかし、間近に破壊された建物を見て、その下に人が住んでいた生活があったはず、と思うとやはりショックだ。
 そんな町の日曜日。
 ちょうど地元の自転車レースが行われていた。崩れ落ちそうな建物に人が鈴なりに腰かけている。それで、疾走してくる自転車レーサーに声援を送っている。
 しばらく、彼らの奇異の視線に晒されながら眺めていた。「平和っていいよな」
 思わず、独り言が口からでた。
 さていよいよ、ジリジリ照りつけるアフリカの太陽の下、二キロ先のメテラ村を目指して歩く。
 緊張の続くボーダーの町に旅人はめったに来ないし、さらにめったにお目にかかれない東洋人が歩いている、というので私の後ろに好奇心の強い青少年の行列ができた。脇に並んで「どこに行くの」「名前は何というんだ」と訊くヤツがいる。子どもは「チャイナ!!」とはやし立てる。この国には、中国製と韓国製の物品がいろいろと入っていて、東洋人というと、だいたいそのどっちか、と思っているフシがある。車はトヨタ、電気製品は「メイド イン ジャパン」を愛用しているくせに、まったく。
 反対方向から歩いてくる村人たちはじいいっと穴の開くほど見つめる・・・そういう人たちには、顔にクレーターができる前に「サラーム(こんにちは)」とニッコリする。そうすると「サラーム、サラーム」とすばらしい笑顔で返礼がある。
 要するにセナフェに悪いヤツはいないんだけど、かつて上野動物園にパンダ行列ができたように私の後ろと周囲に人が集まるというわけなんだわ。いいけどさ、首都でも、そういう扱いを受けたし・・でもけっこう疲れますわえ。
 メテラ村の入り口にまた検問があった。
 通してもらったものの、どこが遺跡かわからない。検問所の男は、英語がまったく通じず、ガイドブックに書いてあるテグリニアを見せても、首を振る。どうやら文盲らしい。 困っていたら、一人の少年が寄ってきた。「あなたはどこに行くの?遺跡に行くのだったら案内するよ」
「あなたはガイドなのか」
「ぼくは、ガイドじゃない、彼は親戚の結婚式で、今日はいない」
 一月はこの国の結婚月、毎土・日曜、教会では結婚式がある。そして親類縁者、数百人を招いてのパーティが行われるのだ。
 そういう事情でガイドが不在というのはよくわかる。彼はウソをいっていない、と思う。
「遺跡はどこにあるの?」
 あそこ、と少年は指さす。
 自分で行けそうだが、彼は付いてくる。顔つきは真面目そうで、何より目が落ち着いている。案内してもらうのもいいかも知れない。「OK、あなたに案内を頼むわ、でガイド料はいくらなの」
 こういうところで現れたガイドに付いて行く場合は事前交渉は必須、という「我が辞書」に乗っ取って訊いてみた。法外なことをいわれたら、断るか、デスカウント交渉をするつもりだった。
 少年は一瞬困った顔をして「別にあなたの気持ちで」みたいなことをぼそぼそ、長々という。明らかに当惑している。
 その顔を見て、私がどきっとした。「エー、キミはお金目的で現れたんじゃないのか?」と思った。今までこういう状況で出て来るガイド志望者はみんな金目当て・・そうだ、彼らはまず「いくら」を先に言った。いくらで連れていく、いくらで案内する・・金をまず口にした。彼らは訊かれるままに遺跡の位置を示したりしなかった。そんなことをしたら、仕事を失うモンね。
 彼も「お金がほしい」気持ちはあるのだろう、しかし、プラスアルファ・・外国人と話したいというピュアな好奇心が見えた。すれていない。
 私は海千山千が現れる観光地をたくさん旅して、したたかになってしまったのかも知れない。少年の横顔を見ながら少し恥ずかしかった。
 まず彼は「オベリスク」(古代の文字が刻まれた石の塔)に案内してくれた。それは、エチオピア軍が侵入したときに倒されて転がっていた。「エチオピア軍は、この国で沢山の遺跡を壊しました」
 彼は、悲しそうな顔をしていった。
 メテラの遺跡もしかりだった。「初めはトルコが、次はエチオピアが破壊しました」
 戦争とは、建物も遺跡も生命も人の関係もすべて破壊する行為だ。知ってはいたけど、しかし、崩れ落ちた遺跡を見ながら改めて「最低だぜ」と感じた。
 彼は、地中に埋もれて残った遺跡を案内しながら「ここが入り口です、ここは神殿ではなくてふつうの住居でした。ここに住んでいた人たちは神を信じませんでした」などと説明をしてくれる。詳しい。
「あなたは、歴史が好きなのね」
 少年は、ちょこっとはにかみながらうなずいた。
「あなたは将来、歴史を勉強するの?」
「大学に行けたら・・落ちたら、ソルジャーになります」
 ああ・・・・そうだった。
 この国では、高校卒業後にサワに行かねばならない。サワは、まあ、私にいわせれば「軍事教練」をするところだ。(アスカダムは今は軍事訓練の場ではありません、若者の教育施設ですと言うが、エリトリアテレビで見たサワの様子は軍人養成所以外の何ものでもなかった)
 卒業後、と書いてしまったが、最近は卒業前に行くようになったらしい。みんな、サワに行くのをいやがって高校を卒業しないで辞めるからだ。
 大学の入学試験に合格するか、サワで訓練を受けてミニタリーサービスで前線や各地の町に駐在するか。無期限、無給のまさに「サービス」のお仕事につくのだ。
 この国のふつうの若者には将来の選択肢がこの二つしかなかったのだった。
 目の前にいる一七才の歴史好きの若者にはそのどっちかしか、未来は開けていないのだ。
 サワで訓練を受けていて、大学入学許可通知が来ると抜けることができる。しかし、入学を許されないと、下手したら前線で戦死だ。
「アスマラ大学で歴史学を学びたい」
 それが彼の第一希望だった。
 若者には無限に未来がある、といったのは誰だろうか。
 とりあえず正しいとは思うが、こんな国もあるのである。
 若者に二つしか選択肢がない国に明るい未来があるわけがない、と私は思う。この国のヤングエイジは何とか外国に出たがる、時に親も必死に出したがる。道理である。 
 メテラの遺跡を見終えて彼に案内されながら村へ戻った。途中、すれ違った女性が私を見て彼に何かを言った。   
「彼女、何を言ったの?」
「あなたは荷物を背負って、疲れているように見える、何で代わって持ってあげないのか、といわれました、ぼくが背負います」
 私のザックを指した。
「疲れてなんていない、ただ、日差しが強くて暑いだけ」
「暑い?今、この国は涼しい、寒いですよ、あなたは暑いですか」
「日本は、今は冬、毎日十度にならない、冬とはそういうモノです」
 なんて話をしながら、村に着いた。
 彼に心ばかりの礼を渡しながら「がんばって勉強してアスマラ大学に行ってね、成功を祈る」と、握手して別れた。     
 エリトリアの忘れられない思い出一つ、だ。


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