| 2004年01月09日(金) |
★またまたボーダーへ |
8時出発が8時半。 アスカダムは、ややあせっている。 なぜというと、するりとアスマラに帰ればメンド無いものを、アコールダット、バレンツ、メンデフェラと大回りをして帰ろうというもの。 理由は、見たい、と言うこと、同じ道を帰れば、また挨拶に親戚に寄らねばならないということ(いやはや)。 それと、彼はいわないけど、私がいるので、見せたいということもあるのだろう。
◎ケレンからアコールダットまで 険しいぐるぐるの道を下る。 右側下は枯れ川だが、雨期は大河となりそうな・・・。そんな険しい道を、アフリカいずずトラック(ラクダ)やアフリカトヨタ(ロバ)ひいたおじさんやオバさん、子どもがずんずんと歩いてくる。材木を積んでいる。 「ここでは、地形が険しいのでエチオピア軍は勝てなかった」とアスカダムが運転しながら説明してくれる。道のはじっこには戦車や軍用トラックの朽ちかけたものが放置されていた。 ぐるぐる道を下って、平原に降りたとたん、あっつい。「アフリカさ」的太陽の直撃だ。 プランテーションに、水を完遂して作物を作っていた。 道沿いの町や村は、素朴というか、木とパームツリーの葉と・・みたいなものでできている。 都市部と田舎の落差に、毎度の事ながら驚く。 険しい岩山にイタリア人は残していった陸橋のあと(鉄道)が見えている。 まったいらな道を、「木が生えていることは下に水脈があるんだよ」などというアスカダムの説明を聞きながらすすむ。 アスカダム教授は、運転していても「生徒」を忘れない。 アコールデットにはいる手前でUNのパスポートコントロール。 町は、緑色の屋根のモスクがどんとある、それ以外はとくに見るべきモノもない田舎の町だ。アラビア色が強い。多分、クリスチャンよりモスレムが多いだろう。
少し休んで、またずんずん走る。 で、11時20分、バレンツ着 ここは、UNのキャンプがある。 それ以外は、ホコリッぽい田舎町である。町の中心で、お昼タイム。 お日様ぎらぎら。 エジプトの砂漠の太陽を思い出した。 メニューはテグリニアのみ、読んでもらって私は、サラダとタマゴザンドを頼んだつもりが・・・なんと、サラダというのは、生野菜のついたインジャラであった。 私は、イメージが違う、と言ったら、ビレンがエリトリアでは、サラダはこうなるの、と笑いながら説明してくれた。 で、インジャラはしつれいして野菜と卵サンドのみを食べたが、オーダー失敗の巻でした。
◎バレンツからメンデフェラまで UNのキャンプを横目に見て、いよいよダートロードに突入だ。 すごい道だった。 ゾウや、キリンがいたら、ジャングルサファリそのものだ。 しかし、戦争できが着られて、乾燥化がすすんで、エリトリアの動物はスーダンの方に出ていったらしいいし、いるのは、羊とラクダと、時々さる・・位だ。 時々、人とものを満載したバスが来るが見ていると今にもひっくり返りそうで恐い。 途中、まるでエリトリアの大地そのもののような、クナマ(エリトリアの部族の一つの集落を過ぎる。 江戸時代どころか、ほとんど縄文的な生活だと思う、見た感じは。 半地下にした住居、水は共同水場、羊をかうお仕事・・・もちろん電気やガスはない。 感心というか、政府のたくらみを感じるのは、そんなところであっても、学校は整備されているということだ。 教育が人を幸せにする、と言うことはわかっていても、やがて「兵士」となる人材のためか、とつい勘ぐりたくなる。 すごい道路を走っても、走っても、メンデフェラは遠い。 アスカダムは、いやはやと言う顔で暑い中を走っている。 後ろの3人のお嬢さんたちは、だまあっているのでみればシエスタみたい。 ドライバーの隣にいる人は眠ってはいけない、という義務感で私は目をこじ開けていたが・・・景色が珍しくて眠ったら損・・みたいな気持ちもあった。 途中の町で休憩。 店はあっても、コークさえない、飲み物はシャイだけ。 物流がうまくいっていないのだ。 人を運ぶだけで精一杯の状態なのだろう。 その人だって、こぼれるほぼバスに乗っているし、乗れなくて、しばしば、待っている人を置き去りにしている。 シャイを飲んだところで聞くと、メンデフェラにつくのは、7時とか。 ハー。 12時半にバレンツをでて、もう4時間もはしっているんだぞ。 それでも走らねば・・でまたずんずん行く。 この辺は激しい戦いがあって、あそこにエチオピア軍がいて、この辺りをコントロールしたとかいう話をアスカダムから聞きながら、メンデフェラを目指す。 こんな道を走った日本人、いないだろな、アスカダムもはじめてなんだモン。 で、道々、バオバブの木が多くて、私はもうマダガスカルにバオバブを見に行く必要を感じなくなった。
6時15分前、見覚えのあるメンデフェラ着。 ナオミちゃんがハレルヤ、を歌ってくれた(笑) いつぞやのホテルで夕ご飯・・しかし、この前もオーダーを間違えたおネエさんは今回も間違えてくれて、笑った。
私は三枝子に電話のために町の中心のテレコミュニケーションオフィスへ。 みんなは、親戚へ。 で、アスマラ着、9時半。 身体中が埃でどろどろだった。 やれやれ、やっぱりアスマラがいいや。
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