世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年01月02日(金) ★きょうは、アマデル

きょうは最初にアデゴロ・・じいちゃんの故郷
アマデル・・アスカダムたちのお父さんの故郷を訪ねるとのこと。
昨日は、用事があるといったん帰ったグェザイが11時に来て出発だ。
アデゴロ
伝統的おうち(入り口にロバや牛がいて、土壁と、木の小枝の屋根などで造った家、金属波などは使わない、トタンの屋根のあるうちはお金持ちなのだという)に、じいちゃん(80すぎ的感じ)が一人で暮らしていた。
1年前に、奥さんを亡くしてしまったらしい。
子どものことは知らないが、多分、アスマラなどの都会か、外国だろう。
グェザイがいみじくもいった。
「エリトリアの一番の輸出品はエリトリア人さ」
悲しい名言だ。
日本の農村は、若者が都会にでて過疎化したが、エリトリアの場合、外国に出稼ぎに行って、過疎化が進んでいるという現実。
戦争で、思うように仕事がない、戦争自体に行きたくない・・・そういう人たちはなんとか外国にでようとがんばる。
だから、日本の田舎同様に、年寄りだけになる・・・
田舎と入っても、田舎度はまったく違うが・・・
電気がないのは当たり前(ランプ)・・オフロードの道を走ると、ロバ、牛、馬、羊、そして土と同化したような人たちが農作業に励んでいる。
ほとんど人力。
日本の江戸時代ってこんなだったかも、と思ってしまう。
12時半、アマデル着
アスカダムやテクラブは、子どもの頃にさんざん遊びに来たところらしい。
ここで、お昼をごちそうになった。
できるのを待つ間、やはり親戚の、お隣へ。
そこには、宣教師のご主人はアジスアベバ、子どもはカナダのトロントという、女性(名前・・ウーン、忘れてしもた)がいてなんとこの村で車椅子生活だった。
一緒に住んでいるのが、103才というじいちゃんだ。
自分で集めたはちみつをごちそうしてくれた。
アマデル、というのは大きな森という意味で、昔はホントに大きな森があった。ライオンやゾウ、いろいろな動物がやってきたり、すんでいた。
それが戦争で、エチオピア軍が木を切った。
昔はゾウ刈りもした・・みたいな話をじいちゃんがしてくれた。
アスカダムも、子どもの頃森にはゴリラやさるがいて、行くのがこわかった、という話をしてくれたが、彼の指す辺りは今や丸裸。砂漠化がすすんでいる。
それでも、ダム化された水源は、乾期というのに、水を湛えていて夜にはアフリカらしい動物学くるとのことだったが。

ご飯のあとに、アスカダムが解放戦線の兵士を辞めてスーダンに逃げると木にこのうちにおいていったという水筒とベルトがまだとってあって、それをオジイちゃんが出してきてくれた。
アスカダムはなつかしそうにそれをしてみて、まさにセンチメンタルジャニーだねえ。

この後、さらに、2,3,4,5,6,7軒と訪ねて、2軒目3軒目では、どうしてもということで、インジャラを食べた。
死にそうだった。
詳しく書くと、あのどうしても食べねば、の苦しさがよみがえって苦しいので割愛だい。ああ・・・
訪ねる事に、ナオミちゃんがどういう関係が、説明してくれるのだが、右から左にでていった。ごめんね、ナオミちゃん。
 彼ら(エリトリア人)には、東洋人はみんな同じに見えるといわれるが、私にとってはよほど個性的な人以外はエリトリア人はみんな同じだ。何度もあっているうちに顔と名前が一致するが・・・例えば、グェザイとか、ガブリエススさんとか、ケレンのおばあちゃんとか、おじいちゃんはわかるよ、だが。

アスマラに帰ったのは、9時半近く。
食べることに疲れ切った日であった。
そして、エリトリア人のウエルカム精神と血の濃さ感覚に感嘆した日でもあった。


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