| 2004年01月01日(木) |
★メンデフェラ近く・・グェザイさんの村 |
9時半、親戚から借りた?らしい4WDで出発。 ノルウエーからやはり休暇で帰ってきているアスカダムのイトコのMrグェザイさんのお姉さんのうちへ。 村からでてきているおばあちゃんにあった。 シワを深く刻んだ、優しそうなお方だった。 そこで、バターでトウモロコシの粉?を練った、エリトリアの朝ご飯なるモノと、豆のシチュウのようなモノをごちそうになった。 おいしかったけど(やたらに辛くないので)誰かのうちに行くと、食べねば、というのは大いなる苦痛である。 インジャラを勘弁してもらったのはよかったが・・・
グェザイさんもまた、ノルウエーから休暇できていてきょうは一緒にメンデフェラへ行く。 首都アスマラからは、地方へ4本の幹線道路がある。 そのうちの1本がメンデフェラへの道である。 グェザイさんの運転、彼は運転しながら、いろいろと景色、建物、等々を説明してくれる。 途中、日本の会社が銅の採掘をしていたところも通った。 1時半、メンデフェラ着。 グェザイさんが、ここで育ったとか、この学校に行ったとか、町に中を走りながらなつかしそうに話す。 で、彼のもともとの出身の村へ。 町の幹線からはずれたとたんに道はオフロード状態の悪路になった。 ホントに「村」である。 車なんて通らない道、ウマだの羊だの、ロバだの道である。 乾期なので、道沿いにある木や草も生気がなくて、エリトリア特有の赤い土をかぶって、半死半生状態だ。 グェザイさんの村の家は立派だった。(ふだんは、今日の朝にあったおばあちゃんが住む) 持参の食料で昼食のあと「一緒に行くか、どうする?」とアスカダムが聞くので「もちろん行くよ」・・だっておもしろそうだモン。 お嬢さん3人はここでテレビを見ているようだが。 もちろん、この村で生まれたグェザイさんに近い親戚になるわけだが、イトコなのでアスカダムにとっても、親戚である。日本では親戚とはいわない関係までも、この国では親戚。 ナオミちゃんがイトコの子どものなんとか・・・とかって説明してくれると「そこまで親戚というか?!」と驚くことがよくあった。
一軒目 じいちゃんとばあちゃん、お嫁さんがいる家。 じいちゃんとばあちゃんは二人して、ベットにちょこっと坐っていた。 じいちゃん105才、ばあちゃん98才(ただし、戸籍とかないので、自己申告)の夫婦だ。 グェザイがいうには、ばあちゃんの方は、昨年あたりまだ元気で外で仕事していたらしい。 ふたりの孫娘はドイツ在住で、ドイツ人のお友だちをここに連れてきたこともあるとか。 グェザイが「おじいさんがあなたに質問があるというが」 「なに」 「日本の老人はどうしているのか、だって」 「?」 「この国には、老人をケアする施設がないのだ」 「ああ。日本では、老人ホームに行ったり、田舎では子どもたちが世話をしたりする。でも病気になると、病院に行く」 グェザイがテグリニアでそうはなすと、爺ちゃんはウンウンとうなずいていた。 ぼけとらんのう、105才。 ここでもお決まりの「インジャラ、食べないか」だったが、アスカダムとグェザイはしっかと断っていた。 次は、となり。 ベットにばあちゃんがシエスタしていた。 その部屋の入り口にはネコが寝ていて、部屋の中では、ヒヨコを10ぴきほど連れた鶏が遊んでいた。 なんというか・・・ 二人があいさつすると、それでも、起きあがっておくってでてきた。 3軒目 ここは、若い奥さんと子どものいる農家。 典型的エリトリアの農家かな。 4軒目 ここには、ばあちゃんが3人いた。 2人はでて迎えてくれて、一人は庭に座っていた。どうやら体が不自由らしい。 ここでは、坐って、ローカルビ−ル(トウモロコシをはっこうさせたモノだったかな?)をいただく。すっぱい。 コーヒー?といわれたみたいだがことわったみたいだ。 ブンナ(コーヒーのこと、エリトリアではブンというらしいが)という言葉が、おばあさん口から聞こえた・・・ もう一人のばあちゃんが足をしばった鶏を連れてきた。 お客がきたら、鶏1匹つぶしてもてなす、というのがまあしきたりというか、もてなしというかで・・もちろん、アスカダムとグェザイは断った。 三枝子が、昔、アスマラを訪ねたときに私の歓迎に生きた羊を引っぱってきた人がいる、という話をしていたが、生きた鶏に改めて「なるほど」であった。 オバアちゃんお兄さんが昨年亡くなったとかで、その話をおばあちゃんが涙を浮かべながらしていた。 5軒目 ここも若い奥さんと子どもの多い家。 奥さんに「エリトリアはどうか」 と訊かれた。 「みなさん親切で、いいですよ、好きですよ」 事実である、はい。 入り口当たりで、若い男の子たちがお互いのアタマをシャンプーしあっていた。 「きょうは学校が新年で休みだし、男の子たちも身繕いをしている」 とは、アスカダムの説明。 やれやれ、これで終了。 時間にして、2時間弱。 お墓によって、町へ。ホテルではやい夕食をして、ボーダーへ車を走らせた。 すいすい・・どこが戦争という感じでアッという間に国境まで25キロへ。 「ほら、全然危なくないだろ、日本へ帰ったら、日本人によく伝えてくれよ、エリトリアは危険じゃないって」 グェザイが明るく話す。 「アスマラは危険度2,それ以外ボーダーは危険度3だよ、日本政府はエリトリアに旅するのは危険といっている」 とわたしが話したせいだ。 実際、何度かの検問はあったが、アッという間にボーダーまで5キロに到達した。 ちょうど、日が暮れて、最後の残光が地平線に残っていた。 美しい。 「ほら、あそこにかすかに明かりが見えるだろ、あれがエチオピアだ」 アスカダムが説明してくれる。 手が届きそうなエチオピア。 あそこの村と、このボーダーの町と、結婚したり、友だちがいたり、親戚があったり・・・しかし、手が届きそうでも遙かに遠い。 国境が戦争で閉じられているから行けないのだから。
今日走った景色は私にとっては、ただ珍しく、外の景色に没頭した。 マサワに行くみちもおもしろかったが、もっとだ。 道沿いの並木は「ソルジャーツリー」 戦争で一人兵士が死ぬと木を植えようというプロジェクトでできた道だ。 グェザイがそう話してくれたときにすごくショックだった。 延々と並木が続くほど、若者が死んだのだ・・・
再び走ってドアルバという町のホテルへ泊。
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