世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年12月27日(土) ★アスカダムの話

きょうは、ダラックアイランドに行く予定だったが、パーミットがいるのと、ダイビングとかをする人なら楽しめるのだが・・という話になって急遽、ホテルから船で10分かそこらでいけるグリーンアイランドとなった。
しかし、私はもう昨日「紅海初入浴の儀式」はすませているので、泳ぐのはやめにして、ビーチコーミングをすることにした。

ほかの4人が例のごとく美しい海につかっているのを眺めながら私は傘を差して(暑い!!)渚をウロウロ、貝とめずらしいもの拾い。
大きな収穫はお椀のようなさんごと、戦争の時の薬莢、宝貝のでかいの。
とくに宝貝は、我ながら、ヤッホーだった。
薬莢は、エチオピア軍のものかと思ったら、アスマラに帰って訊いたガブリエススさんの話によると違った。
もっと前、アラビア軍が攻めてきたときのモノだろう、とのこと。それってアラビアのロレンスのころ? とかって、私は一人でにんまりしたのだった。

渚にはゴミがまったく落ちていない。
それが奇跡のようだ。
紅海は狭い海だし、もっと渚は汚いかと思ったのだが。
(後で判明したこと・・・アスカダムが教えてくれたこと・・・「ゴミは着岸する前に船でさらえてボーダーの向こうに持っていっているんだ」・・それって、つまりはゴミは、対岸のイエメンとか、サウジとか、お隣のジブチとかに着くわけ?か。ひ、ひどい話じゃないか、とわたしはびっくりしてあきれた)

帰ってきて、例のごとくお昼寝。
私はビール。
そもそも、イタリア式でこの国には、シエスタの習慣があるのだが、ここマサワではそれは実に有効のようだ。
夕方4時過ぎに(変なじかんだ)ダラックホテルでお昼。
ダラックホテルは皇帝の冬の宮殿だったところで、レストランになっている丸形の建物は実にいい感じ。
私は、魚スープを食べたが、美味しかったし。
さらに夜、8時半頃、もう一度と、私だけサラームレストランに魚を食べにいった。(日本人は魚だ)
みんなを誘ったのだが、おなかいっぱいとかでのってくれんかった。そりゃ、インジャラとか、パスタとかこってりしたモノを食べていたしね。
サラームレストランは、私のことを覚えてくれていたが、きょうはビッグな魚はなくて、ミデアムだけ、であった。私は自分の顔よりでかいヤツを一人でむしって食いたかったのだが、少し残念。
でっかい方が断然においしかったが、ミデアムもそれはそれ・・やはりうまかった。要するに鮮度が抜群にいいのだ。

魚を食べて9時半頃にかえったら、アスカダムが一人でテレビを見ている。
お嬢さんがたは、ホテルのガーデンフェらしい。
今テレビは、テレビ開局25周年とかで昔のフィルム(戦い)、昔兵士だった人で生き延びて今はえらくなった人などの話を延々と流している。この国の大統領をはじめとして、主だった閣僚はみんな昔「ファイター」だった人たちだ。
そんなテレビを見ながら、アスカダムと話した。
アスカダムはフランス語の先生だった人なので、フランス語か、ノルウエー語か、母国語のテグリニアが一番いいのだろうが、私が日本語と簡単英語しか解さないので、実にゆっくりと、分かりやすい英語で話してくれる。
さすがモトセン(元教師)、それで、何でも知っている。
昔、エリトリアもエチオピアもリサーチをしたことがあるといっていたのでそのせいもあるだろうが、私にとっては、旅の間中「プロフェッサーアスカダム」であった。
以下、アスカダム語録
「この国がふるわないのは、アタマのいい人、能力がある人がみんな外国にでていってしまうことだ」
「この国の政府は外国で教育を受けた人たちが国に帰ってくることをあまり好まない」
「もし、そういった人たちが帰国したら、発展するだろうと思う」
(私もそう思う)
「紅海から、魚はたくさん捕れる、周辺国との関係が良好なら、これをとなりに輸出できるのに。野菜や果物も同じだ」
「エチオピアでは毎日、今も人が死んでいる、飢餓で。しかし、エリトリアは死なない、我々は食物を持っている。戦争をしていなかったら、売ることができるのに・・・」
ほんに・・・この言葉は愛国心からでたのか、と思ったが、そうではなくて、この後あちこちに行って、確かに餓えてはいない、この国の人は。たらふく食っているかどうかは疑問だがとりあえず食っているぞ、と感じた。この感想もまた、20年前の中国で受けた感想とよく似ている。
アジアの発展は、ひとえに周辺国と仲はよくなくても、最悪の戦争はしないから・・に尽きるかも知れない。
「彼ら(エチオピア人)は、餓えていても皇帝のプランテーションに手を出そうとしなかった、私だったら、死ぬのだったが手を出す、盗む、生きるために奪う」
 ※付記・・皇帝ハイレ・セラシエ・・20世紀の、いいことも悪いこともいろいろとなさったエチオピアの皇帝であります。詳しいことを書きたいのだが、今手元に資料がないのでありまする、ごめん。

彼の話で最もびっくりして暗然としたのは「戦争しているエリトリアとエチオピアの大統領同士は親戚だ」ということだった。
もう「えええ!!!」と叫んでしまった。
アスカダム苦笑いで「そうなんだよ」
親戚のつながりが日本の50倍以上強い国にして・・・そりゃないでしょ、だった。
それでは、もうこの戦争は要するに近親憎悪の世界に突入しているのではないか。
もともと、一つの国であったから、人の関係が濃いのは当然だが。
ああ・・・だ。
「南アフリカのマンデラ、タンザニアのニエレレのような偉大な指導者がこの国にはでなかった、それが大きな問題だ、それは他のアフリカの国にも共通する問題だが」
来る前にエリトリアをネットで調べていたら、印象的な一言があった。
「エリトリアには、日本の明治維新の時のように、自分の命を犠牲にして、国に尽くすような人物が出ていない、それが今の悲劇を生んでいる」

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アスカダムも、26才の頃に解放戦線に参加した人だ。
しかし、インテリ(フランス留学した)ブルジョワと、何かと故ない差別や罵りにあって、離脱したのだ。
その話もたくさん聞いたが、また別の機会に。






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