| 2003年11月22日(土) |
★ ナムチェへ・・・しんどかった! |
*ダルバートについて* ネパール人の常食である。 ダルは豆のスープ、バートは炊いたご飯のこと。炊いたご飯(細長米)にダルスープをかけて漬物や野菜のおかず等でご飯を食べる、コレがネパールのご飯である。大きな金属の器に山盛りのご飯、青野菜などが少々、でダルをかけて、汁かけ飯にしてネパール人は手で。外人はスプーンで食す。 しかしですね、凄いのは、おかわり無限!器が空いてぼやんとしているとわんこそばのように、またまたご飯がてんこ盛りでダルのおかわりがやってくる。かなり食べる私でさえ、うんうん、入れられそうになると「キャー、やめて」しかし、ネパール人は、おかわりを必ずする。大食漢である。基本的に、ベジタリアンというか、肉はあまり食べない。 それでこのダルバートの味、店によって、家庭によって味が大いに違うのだ。最初の晩にhさんにつれていいって貰ったカトマンズ市内の「タカリバンチャ」はA級の味。おいしかった。昨日の最初のランチ、ガットのお店もかなりいい味を出していた.しかし、パグディンは、イマイチ。パグデンの宿は、朝ごはんのチベッタンブレッドがグッドだった。 しかし、この宿は、宿代をぼってくれたぜ。 ガイドのNさんはいう「あの宿は、だんなさんはいい人だが、奥さんは悪い人だ」 100ルピーといえど、嫌な気分だった。 あと、ナムチェの宿のダルバートは、美味くなかった。
ということで、ネパールはダルバート食べ比べでも楽しめるかもしれない。
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さて、パグディンの宿を7時半に出てアップダウンのある川沿いの道を進む。サムイけれど、日中は凄く熱くなるので、背の高いダリアの花や、菜の花などが咲き乱れている。 川は、ドウドウ・コシ(ミルクの川)と呼ばれる白濁した流れ、しかし勢いがあって鮮烈。 何本も、つり橋を渡らなければならないので高所恐怖症の私にはきつい。 橋の向こうから、ヤクとかの荷役牛がきたら最悪。ど、どないするねん・・状態になる。 欧米の旅人は、大抵ストックを持っている。用意してこなかった、私とIさん、「いるよね」 そうしたら、ガイドさんとポーターさんが竹で金剛杖みたいなのを作ってくれた。 いよいよ歩けないとなったら、馬にも乗れますから、とhさんにはいわれていたが杖を付いても自分で歩きたい。 昨日一人、馬に乗った人に行き会って「ああいうのもいいかもね」と、Iさんと大声で話していたら、乗っていたおじさん「腰痛めたんです」と憮然とした顔で言った。 ありゃ、日本人のおじさんでした、だった。 くだりはよいよい、登りはぜーはー。 私の登山歴は、せいぜい2000m、毎日未踏の境地(ちょっと、大げさ)だ。その点、Iさんは「山登りする人」だったようでルンルン?? ジョッサレ(2804m)からしばらく行くと川から離れて、いよいよ、大変ですよといわれている急坂である。 で、その前に、昼ごはん.外のテーブルで私たちが食べていたら「飲みすぎだぞ やろう」が来て「のみすぎだぞ」 彼はフランス人で英国に留学したときに学友だった日本人に教えてもらったらしくてお茶を飲んでいる私たちに向かって「のみすぎだぞ」と嬉しそうに言う。しかし、それしか知らないんだよな。 私たちが日本語で色々というと【英語で話せよ】というのだわ。 彼は、友人と歩いているが、お友達の方はおとなしくてあんまり喋らない。 欧米の若い子達は、ガイドもポーターも連れずにでかい荷物を背負って自分たちでずんずん歩いている人が多い。 確かにこの道なら、迷うことはないだろうから、それも可だろう。 しかし、彼らを見ていると、体の出来がちがうと、つくずく思う。 それと、何と言ってもシェルパ族の人たちの強さだ。 自分より大きい荷物を背負って、ゴムぞうりのような履物で、砂埃を立ててバリバリと去っていく。 ときどきT字形の止まり木みたいな杖に寄りかかって休んでるが、彼らもまた私たちと体の出来が違う。 顔は良く似ていて、性格も穏やかでこれまた我々とよく似ていて、、、この街道沿いの村々はなんだか懐かしいような気持ちにさえなるのだが・・・・その生命の力の強さは大いに違う気がする。
さてさて、いよいよ本日の難所である。 途中のつり橋で、ヤクと行きあって、なんとあの足の丈夫なヤクが足を滑らせて、落ちそうになる場面に遭遇した。なんと、ヤクがしばらく固まって動かなかった。 ヤクもビックリしたようだけど、見ていた私たちも息を飲んでしまった。 川から離れた途端に、急坂が始まる。 日本だったら、ワシワシとすすめそうな、まあ熊野古道程度の急坂、しかし、しかし、苦しい。息がはーはー。心臓ばくばく。足には鉛が付いているように重い。 少し歩いては休んで、ズーハーズハーとでかい呼吸をする。 とにかく、苦しい。もっと、空気ちょうだい・・・・ いや・・死ぬ・・と思ったときにガイドのNさん「ホラ、エベレストですよ」 おお!! なんと、そこが、エベレスト街道で真っ先にかのお山が見えるポイントだとか。 ガスって見えないときもあるらしいが、本日は見えた。 チョコッと、右に首を傾げたような、8848m。やあ、こんにちは 私「写真とそっくり・・・・」 ガイドNさん、真面目な顔して「あれは本物です」 いやまったく。 Iさんと大笑いした。 「いや・・苦しいし、もう見えたから私、かえってもいいわ」 とマジジョークを飛ばしてしまった。 多分、私の歩き人生で最も苦しい道のりだった。 とにかく、空気が少ない、息が出来ない、心臓が飛び出るよ・・・ 見かねて、ガイドのNさん「荷物を持ちましょう」 なんと、私、杖にすがって、空身で歩いてしまった。 これまた、私の歩き人生で始めて。 それでやっと、道に咲いていた岩リンドウを見たり写真をとったりするゆとりは出てきた。 でも、あまりのしんどさに途中の松ノ木に寄りかかっていたら、なんと背中にべっとりと松脂のお土産。まあ、松のにおいは好きだから良かったが、それでも着たきりスズメなのに、一枚洋服がなくなったのは打撃だね。 いくらしんどくても、足を進めていれば、進むものだ、3時間あまりをかけてナムチェバザール、3440m着。(ちなみにシェルパの人は荷物を背負っても、1時間から1時間半だという) 2800mから、一気。500m以上を超えるときに高山病要注意だが、一応薬を飲んでいるのでどうやら大丈夫か?私はやや頭が痛いが、Iさんはなんとも無いという。 町の入り口には兵隊さん、チェックが入った。 マオイストの警戒らしいが・・・・
ナムチェは近隣の人たちの交易の場。 近くの村から人々が物を持って売ったり、買ったりということで栄えた。 すり鉢状のなかにできた、コンデリーとタムセルクという二つの美しい山に見守られるようにあるシェルパ族の故郷とも言える町だ。 それにしても、空気が薄い。 宿の階段を上るだけで、ぜーはーぜーはー。 Iさんが「階段上がるときの、ぜーはーが部屋まで聞こえるよ」 そのIさんは「ホットシャワーショック」 シャワー室の鍵を貰って、私が入ったときは、ただ一筋の水の筋。悲しかった。寒いし・・しかし、一応、私は中国奥地で似たような体験をしているので、まあしゃないか、だった。 しばらくとめて、シャワーの筋が増えたところで上に戻ってIさんに声をかけた。 しかし、日本の快適生活から一気にここへのIさんにとってシャワーの筋が6本のホットシャワーのショックと、寒さに切れた。 「寒い、寒い、死ぬ、死ぬ!!!」と、喚きながら戻ってきた。 ウーム、それでも筋は増えたんだけどネエ。 で、そのご(夕食後)なんだか延々と探し物をしている。 聞けば、石鹸だのくしだのを入れてシャワーに持っていった袋がないのだという。 「シャワー室に忘れてきたんじゃないの」 「いや、絶対に持ってきたわ」 「見てきた方がいいよ」 「いいや、ぜえったたいに、もって帰ってきたんやわ!!」 断固として言い張る。 頑固になって人の言うことに耳を貸さないのも高山病の前兆だというし、もしかして・・・・ 「それでも、あなた、シャワーから戻ってきたときに正気じゃなかったよ」 もう一度に行って、やっと見てきた彼女、「あったわ」 以上「Iさんホットシャワー6筋ご乱心事件」である。 シャワーといっても、人力。シャワーしたいという人のためにバケツに湯を入れて落とすのである。湯は貴重品、ちなみに宿代100ルピー、この6筋シャワーは150ルピーである。 しかし、Iさんはこの事件以来強くなった。
部屋の寒さ防衛のためにカーテンにサバイバルシート張りまわして休む。 夜は、ダイニングから(唯一、この部屋に暖房がある、あとは無い、それでまあ、部屋といえど、零下に近い)シェルパ族の宴会(ガイドさん)で歌や手拍子が聞こえていた。 とにかく寒い、私は寒さと乾燥が、弱い喉や鼻に来て自然と風邪を引いてしまった。以降、風邪薬と、大量のテッシュのお世話になる事になる。 防寒できない喉鼻の粘膜が弱い・・コレ、私の致命傷だね。
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