| 2003年11月21日(金) |
★ルクラからパグディンへ |
4時30分に、モーニングコールを頼んだのに、かかってきたのは5時5分。ネパール時間、と笑った。まあ、こんな按配だと思っていたら、この国は気分良くすごせるのだろうと思う。 夕べは、ほっとシャワーはホットにならず、結構寒いシャワータイムで・・・・、Iさんは震えてはりましたわ。私はインドの水シャワーを思い出してしまった。今を去ること、二十数年前、のことである。まああの時は夏だったし、若かったしだが。 5時半にhさんとガイドのNさんがホテルまで迎えに来てくださり空港へ。 空港ゲートはガードが固く、パスポートと航空券がないとは入れない。 外はまだ暗い。なんと着いた空港も、まだしまっている、ビックリだ。一応、国際空港なのに・・・・まあ朝一番は国内線で霧が出ているときは晴れるまで飛ばないから、そういうもろもろの気象条件を見て取ってみんな出勤しているのだろうが。クローズしている空港の外で待っているのは、トレッキングや他の都市に行く外人観光客のみだ。 下弦の月明かりがほんやりと待つ人々の顔を照らす。 ネパールは、50年前まで鎖国をしていた国だし、こんなものだろうと、納得。 6時5分過ぎに空港の門があいて、ばたばたとチェックイン。 hさんとガイドのNさんが手際よく動いてくださってあれよあれよという間にセキュリティへ、しかし、今度はセキュリティに人がいない。
男女別のセキュリティ、カーテンの陰で・・と実に原始的だが・・・まあ無事終えて待合室へ。 しかし、今度は、ガスが出てきて飛ばず。 ガイドさんの話だと、コレがはれないと飛ばないらしい。 ネパールの飛行機は朝が勝負で、ガスが晴れたら即、飛ぶ、昼からになると風が出たりで、欠航は当然らしい。 われらがガイドNさんは「そのうちに飛ぶでしょう」 待合室には既に100人ほどの人が溜まっている。 マウンテンフライト(空からヒマラヤを見る観光)や、トレッキングに行く人、自然、ゲート前に人が溜まる。 そうすると、バッチリ化粧のインド系の顔した(ネパールの元になったネワール族の人だが)ネエさんが「ガスが晴れるまで後30分くらい待ってください」とやる。それが繰り返されることこと3回あまり、8時10分、やっと飛べる次第となった。 本とは6時45分のフライトだが、まあ、この状況ではタイムスケジュールはあってなきが如しであろう。 Iさんは、マウンテンフライトに行く日本人のおじさんとなんだか話があったようで時間までおしゃべりをしていた。 私は例のごとく人ウオッチング。 難度追い返されてもゲートに集まる人たちに(文明のこっけい)をみてしまったのであった、なんちゃって。 飛行機は17人乗り、フリーシート、真っ先にのってよい席ゲットに燃えた私、ちゃんと搭乗一番乗り。左側窓際、一番前に座ったのであった。Iさんは私の後ろ、空からのヒマラヤを堪能。 ガイドのNさん、操縦席を示してここからの景色もいいですよ。 はい、そうでした。 操縦席に顔を突っ込んで写真取らせてもらいましたわ。 まあ、そういう飛行機です。 離陸前に、雨と耳に詰める綿が配られましたしね。
ルクラの飛行場は、滑走路1本、それもがけの上にあるかなりの急傾斜の滑走路に飛び込むように着陸する。岩にぶつからんの?とひやひやするが、名人芸。めでたく今回のトレッキングの出発点2860mのルクラ着、9時10分。 空気が違う、コンデリーという、真っ白い山の頂がまるで町を見下ろすようにそびえ立っている。 Iさんと着いたネ、ついたと大騒ぎして。 Nさんは、私たちの荷をもってポーターさんを待っている。 やがて、色の浅黒い、実直系の山の人という感じのポーターさん登場。ガイドのNさんと同じくシェルパ族の人である。 近くのカフェに行って、お茶を飲んで荷をポーターさんとガイドのNさんに託してわたしとIさんはデイバックのみ。それでも2800m、坂になるとふうふうと息切れがするのだ。 ルクラの町は、エベレスト街道といわれる道筋では大きいが、それでもメインストリートは一本、石畳の通りを牛が荷を積んで歩いている。 この辺、既に車はない。 牛が車で、あとは歩きのみ。 これも、常々車社会を快く思っていない私としては、コレだけでも感動である。 「エベレスト街道」というだけあって、道筋の村にはゲストハウス、御茶屋、などなどが続く。 荷を積んだヤクや牛、ツーリスト、ポーター、ガイド・・・・などなど、人通りも実に頻繁。 初めは、下るのみの道。 Iさん、コレ、行きはいいけど帰りが大変やね。 確かに。 上ってくる人、みんなタマの汗である。 呼吸も荒いし。 帰りが怖いなあ。 途中、トキドキ白銀に輝く山峰が現れる。 感動だ。 山というより、巨大大岩がにょっと立って人を見下ろしている感じ。 人は上から見られている感じ。 山(私に言わせれば大岩)に人々が神を見るって言うの、わかるねえ、だった。 山の名前を聞くとガイドのNさん「ネパールでは6000m以下の山は、名前はありません、山です」 6000m以下、「山」という名の「山」 大きな滝も「名前はありません、滝です」 まあ、そういう世界なのである。 時々、道の真ん中をマニ石やチョルテンが立ちはだかる。左を通る。それが礼儀。左が急坂だったりすると、萎えるが、それでも日本仏教の源流チベット仏教の地、敬意を表して守る。 ガイドのNさんを初めてとしたシェルパ族の方々も仏教徒だから、こっちです、と左に誘導されるのである。 で、マニ車があると、Nさん、かならず回すので私も回す。
つり橋を渡って初めての登り。 2600mかそこらしかないのに、いやいや苦しいの何の・・・・明日は3000m台だよ、どうなるんだ?? Iさんもしんどいネエ・・と唸っている。 12時すぎにガットという村の茶店でお昼。 ダルバート。おいしかった。 hさんが、彼らの常食だから、ダルバートは山おくまで行ってもおいしいですよとのことだったのでできるだけダルバート食べることにするが・・・問題は巨大な量である。 Iさんは、食べ物に保守的と自ら申告する人、コレからが大変そう。
2時20分、今夜の宿、パクディン着。 ベットのみの部屋。 山が見える。 しかし夜は星はきれいだったが、もの凄く寒かった。
Nさんに明日は少し大変です、と念を押されている。 3400m台のナムチェへの道程である。
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