| 2003年11月04日(火) |
ダライラマ法王 in国技館 2日目 |
2日目の前半の要約 ★ 西欧社会で、仏教について話すとき、いくら仏教がいいと思っても、宗教(つまりキリスト教?)を変える、信じるモノをやたらに変えるのはよくないと話している。(中世の、実は日本をキリスト教にして支配しようとしたバテレンたち、よく聞かしてやりたい。しかしまあ、だから、仏教はインドから退散したんだわね・・以上私感)
★ チベット仏教は、ナーランダ僧院(インド仏教)の伝統を受け継いでいる。 大乗や密教は釈尊の教えではないという人もいるが、そんなことはない。チベット仏教はすべてを受け継いでいる。(私感・・・私は、初期仏教の厳しい禁欲性を考えれば、密教は確かに釈尊の直接の教えではないと思う。しかし、キリスト教において、ルター、カルバン派がでてきたように、仏教においても同じ展開があっても然りだ)
★チベットには、大乗、小乗、密教が完全な形で伝えられている。
★釈尊の教えは「縁起に基づく見解」(多分この字?)と「実践」の2つと考えられる。実践とは、すなわち 暴力を用いない 他者に思いやりを持って、その気持ちを育てる 他の命あるものを害さない ↓ 悟り、一切智へ
★わたしたちは本来光り輝く存在である。それが、煩悩によって曇らされている。この世の生き物たちは、苦しんでいる。 苦しみの因をなくすことによって、解脱を求めるしかない。 よい結果←よい因をつくらねばならない
★四締 不幸せ、苦しみ→祈願だけでは、取り除くことはできない。因を知って因を取り除かねばならない。自分自身が幸せの因をつくることで幸せになる。
★苦しみは動物にもわかる。幸せの内にも苦しみの因はある。すべてのモノに苦しみの因は潜んでいる。この辺りが仏教のユニークさであろう。
★滅諦、我執、苦しみの原因をとのぞくことの手段を講じる、それは可能。 わたしたちが望む幸せは苦しみをなくした状態。それが永続する境地が悟り。
★般若経は、我執をなくすための教え。 空の教え・・理解できたときに我執を滅することができる(私感・・・この理解って、いわゆるふつうの理解じゃないよね)
★あるものをあるがままに理解することが大切。(ここは理解というより、受け入れるとか、見つめるとか?)
★如来蔵経・・・心の本質は光り輝くものであるといっている。 毎日の生活には、怒り執着がずっと同じ状態で存在しつづけることはない。 執着はみにくいということを認識することで鎮めることは可能 怒りを鎮めることは、愛によって、慈悲の心を高めることによって可能
★解脱とは、汚れを対策を困じることによってなくする(滅する)ことで到達する境地(私感・・・対策って訳どうかと思うねえ・・・つまりそれは修行ってことかな)
★空の理解・・ブッダの法身をみることができるだろう。 これは、功徳を積む、知恵を積む、ことによって
★功徳、修行、衆生のことも考える・・これがブッダに従う人たちだ 法衣を着ているからといって、ブッダの教えに従っているとはいえない。高位の法衣を着ていても、仏教徒になっていない人もいる。(私感・・・一部のお坊さんや先達さんに聞かせてやりたい言葉だわ)
★五雲の苦しみー無明に支配された汚れた心・身体 (このお話近辺、難しすぎて私にはよくわかりませんでしたわ、。ここに納得してまだ書けません)
★慈悲の心とと執着心のちがい ↓ ↓ ↓ 限られた人への思い すべての人を助けたい すべての有情(生きとし生けるものへの救済→菩提心)
以上 これが二日目前半の法話である。 しかし、私が理解した範囲なので悪しからず。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どうも、頭がやや痛い。右側のみ。 風邪を引きかけた??人の多いとこで菌をもらってきたか?? それとも、このところの太陽から降り注いでいる電磁波のせいか?(まるで、パナウエーブだが・・・)しかし、ワタシ的には、何となく身体がパッとしないのそれ、関係していると思うのである。
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