| 2003年06月05日(木) |
あしなが育英会の歴史 |
あしなが育英会発行の「あしながファミリー」新聞を読んだ。 あしなが育英会40周年と言うことで「あしなが運動と玉井義臣」(副田義也・岩波書店・)がでて、それの抄録というか、特集だった。
玉井義臣氏は、今は天下りしてきた元高級官僚の手で運営されている「交通遺児育英会」の生みの親である。 1964年、事故で母を失った玉井氏は昏睡の母がつかぬま開けた目に「敵討ち」の密約をした。彼は、交通評論家としてメディアに登場して、募金やチャリティ等々・・とにかくめざましい活躍で、世論を盛り上げ、自動車工業会に10億円の原資を要求し、重い腰の政府を動かした。そして、1969年に財団法人「交通遺児育英会設立。 やがて、交通遺児だけでなく、災害遺児にも運動を広げようとしたときに、「天下り」してきていた元官僚たち(要するに、行政)と対立する。そして、1994年、自分が作った組織から追い出される。(形は辞任) それは、橋本総理からの「玉井を替えろ」の一言で決まったらしい。(著者が外部資料により調査・検証) バブルを作り出す地獄の政策を推進し、伝統も、日本人のまともな心も踏みにじったあの大バカ総理はここでも罪なことをしていたのだね。 こうして募金をベースとして340億円にもなっていた「交通遺児育英会」のお金は元官僚たちの支配下へ。まあ、天下り先としてはおいしいところだった・・ということだ。 玉井氏は、すぐに「災害遺児の進学をすすめる会」に合流し、さらには、病気遺児の会も合流・・今の、交通遺児、病気遺児、災害遺児、自死遺児など、すべて遺児のための「あしなが育英会」につながっていくのだ。 今あしなが育英会は、政府など「官」から一円のお金ももらっていない。 彼らが神戸につくった「震災遺児のためのレイボウハウス」は、世界的にも癒しの場の形として注目されている。 この組織で特徴的なのは、「恩返し」という意識だろう。 ここから奨学金を受けたり、サポートしてもらった子どもたちが多く組織に関わって活動が維持されている、ということだ。 こういうかたちもまた、「アシナガ」という日本語で、遺児たちの進学を可能にすることで、社会的底上げの形として注目されているらしい。
私も、年末になると「あしなが育英会」の袋をバックの中に忍ばせて、大きいコインかオサツをお恵みを・・とやっている。 自分が事故に遭い、示談が終わったときにささやかに寄付をしようと思った。 ひとつは、ペルーの女性自立支援センター(キリスト教系の民間団体主催)と決めていたが、もひとつは、交通遺児育英会にしようかな、と思ったのだが、しかし、何となく、あしなが育英会にした。 理由は簡単・・交通遺児という漢字より、あしながというひらがなに惹かれたという浅はかな理由。 知らぬこととは言いながら、直感的よいチョイスであった、と思う。天下り「官」の給料の一部にされたらたまらない。 お恵みを・・とやりだしたのは、このときからのご縁・・今年の暮れもみなさんよろしく・・11月くらいから取り組みます <(_ _)>
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昨年、武内孝善先生からいただいた「高野山から弥勒の世界へ」を読んでいる。 資料の提出の仕方、武内先生、まるで「人間グーグル」だ。 とりあえずは、ただただ、それに感心。 そのうちに、先生がいわんとされているところを、ここでまとめます。。
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