| 2003年05月20日(火) |
熊野本宮から玉置神社へ 大峰奥駆け行(3) |
(今日の行程) 本宮・・七越峰・・大黒天神岳(825M)・・(アリの戸渡り・貝ズリといわれる難所)・・五大尊岳(825M)(岩と木の根を頼りに登るやせ尾根)・・大森山(1078M)・・玉置神社(1078M)
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老行者師は、五時に出られた。
朝5時半出ようとしたら、雨が来た。 よりにもよって、本格的奥駆け道に入る今日雨になるとは。 初めての遍路で焼山越えのどしゃ降りだったことを思いだす。 まさにご修行である。お大師さん、役行者さん、「愛」がお深いですねえ。 雨具を着ていたら直ぐに6時近い時間になった。 それでも、本宮旧社地に寄ってもういちどお参りをして山に向かった。 熊野川にかかる備崎橋を渡って、奥駆け道(旧道)の入り口を探すも、見あたらず。この辺は昔徒渉したところなんだけどなあ・・・。 訊く人も見あたらないし、仕方ないので、車道を進む。 しばらくいったら、そばの牧場のようなところからおじさんが出てきて「どこいくんじゃ」 「七越峰から玉置神社、奥駆け道」 といったら、ご苦労なこっちゃといいながら、道を教えてくれた。 「七越過ぎたら、山道や、熊はおらん、猿がおるな、今は。ハメもおるが、さむうてよう動かんやろ、ハメは秋は危ない、腹に子ぉもったときやしな」 ハメが動かない、と聞いて蛇嫌いの私は少しほっとした。 道は登りに入った。何しろ七越しの峰だもんね。 空は暗い。雨は止む気配なし。 七越峰の頂上近く、いいトイレがあったので休みがてら入った。 今日は、これ以降、こういう屋根のあるトイレには、玉置に着くまであたらないはずだ。 最後の「文明トイレ」である。といっても、ボットン、ではあるが。
おじさんの言う通り、やがて道は地道に、そして杉の森の中に細々続くのみになった。そま道とクロスすると、どっちに行こうか、しばし迷う。 ここでは、行者さんの教えを思い出しながら進むしかない。
★昨夜の老行者師の教え★ 「山道で迷うたらどうするか」 昨夜寝る前、問われたので、 ・元に戻る ・道を探す場合は、印を付ける。(そのために白いヒモは用意してきた) ・磁石と地図で確かめる。(もちろんどっちも持っている) 行者さん ・尾根に出ろ ・獣道は、木の根が踏んでない、そま道もそうだ。どうしてかというと、獣も樵も、木を大事にするから、根は踏まない、だから根の皮がむけていない。二本、道があったったら、木の皮がむけている方が人の(奥駆け)道だ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
しかし、どうして行者さんに追いつけない?? それが不思議だ。 8時15分、吹越峠を下り林道とクロスすると、行者堂についた。 鉦の音がするので見ると、人気のない林道を下ってくる人がいる。 金剛杖を持って、なかなかのスピードだ。 行者堂の前で、お参りをなさったので話した。 なんと、玉置神社からだった。 は、速い。どういう足なんだあ?? 私たちも今日は玉置まで行くというと、自分も行くという。 「え?本宮まで行かれるんでしょ」 「お参りしたら、また戻るんです」 おおお。 それは、すごすぎるよ、だって、登山地図のコースタイムを合計しても、8時間はユウにあるんだよ、そこを行って戻って、どういう人だあ。 「この先は厳しいところがたくさんありますよ、足滑らせたら、おしまいみたいなところが。ゆっくりゆっくり進んで下さい」 「やっぱりそうなんですか。青岸渡寺の高木副住職さんに死んだ人がいるから無理するな、いわれてきました」 「だいぶ、脅かされてきましたね。ゆっくり進めばだいじょぶですよ」 「きっと、私たちがゆっくり歩いていると、追い越して行かれるんですね」 と、Kさん。 そうだねえ。 私たちに道を教えて下さったあと、ジャ、飛ぶように行かれたその足の速いこと。 たちまち、森の中に消えた。 涼やかに爽やかに、何より目が澄んでいて印象的だった。 「行者さんやね・・」 とKさんが後ろ姿を見送りながらしみじみ言った。 年の頃は、四十歳前後であろうか・・・
行者堂でお参りをして林道を進む。 山在峠で宝きょう印塔より、また山中へ。 しかし、「許可無く立ち入るべからず」の看板が何枚も立っていて、果たしてここでいいのか、迷うところであったが、地図ではここしかないし、さっきの行者さんもここ、といっていたので踏み込む。 まさに踏み跡程度の道だ。 ここから大黒天神岳の道、厳しい登り。さらにはブッシュの中を道を探して・・状態。熊野古道なんかと全然違う。 身体はもう、汗まみれでびしょびしょ、立ち止まると寒い。 雨は小降りになってはいるが、木の中なのであんまり関係ない。 最後の、地図上では等高線を垂直に横切る道のきつかったこと。さらには怖かった事よ・・・ホントに手や足を滑らしたらやばい。 あの行者さんのいうとおりであった。 (しかし、ここなんてチョロかったことが後で五大尊岳への登りでわかった、さらに大森山への道はさらに恐いモノだったのだ)
10時15分、大黒天神岳に到着。 お腹が空いたので、おにぎりをひとつ食べた。 食べないと、力が出ないのだ。 水だって、思い切り飲みたいけど、今日の分は1リットル。 考えながら、飲まないといけない。 予定としては、2時大森山、遅くとも3時までにはつきたいのだがどうなることか・・・10時半にして、まだ行程の1/3弱しか進んでいない。 さて、地図で見ても、今日の一番ハードなコースに入る。 五大尊岳まで、ルートは等高線を垂直に、だ。 とり合えずはくだり。おりた「金剛多和」には、役行者さんが祭ってあった。 荷を置いて経を読んでお参り。
その後、見上げるようなお山を岩や木につかまってやっと越す、下りの急坂。やせた道?(平地ではこれは道といわないだろう)で、少しでも気を許すと転げ落ちそうなのだ。そうなのだ、ではなくて、マジに落ちる。それで、落ちたら終わりだ。だって、すごい崖なのだから。 高所恐怖症の私としては、身がすくむ。身体がこわばる。
一体、いくつ崖を登って下って、をしただろうか。 登りの先に空が見えると、ついたかな、と思う、でも着かない、がっかり・・のくりかえしだった。 大黒天神岳578メートル、五大尊岳825メートルの標高差を考えると当たり前なのだが。 そして、大変なことが起きた。 「キャア、大変、靴が壊れた!!!」 先行していたKさんが急坂にしゃがみ込んで叫んでいる。 「エエ、どうしたの」 急いでそばに行くと、なんとKさんの右登山靴の先からべろんとラバーがはがれているではないか。 靴パッカン、状態なのである。 あれええ!!どうする・・・・ とりあえず、ヒモでしばる。
ようようと五大尊岳の頂上、一時半着。 狭い岩の上が頂上であった。 そこには、お不動さんが祭られていた。 地図上、5センチにも満たない長さを3時間悪戦苦闘したわけだ。 お不動さんをご真言でお参りした後、どうするか、話し合った。 景色はよいし、シャクナゲはきれいだが、それどころではない。 雨はそこそこに上がった。 kさん「だいじょぶ。歩けるよ」 「でも、それでは、明日とか進めないよ」 「しばっていけるし、でも、行くな、言うことかとも思うけど」 そう、私もそんな気がするんだよね。 想像以上にすごい道だ。 壊れた靴では無理だと思う・・・が。 「Kさん、靴、どうやってしまって置いたの?」 「使ったら、そのまま」 「だめだよ、しっかり拭いて外で干して、防水したり、脂をつけて磨いたりしてからしまわないと」 そうしていると、靴のラバーの状態とかがわかるのだが。 しかし、今さらだ。 kさんは「ごめんね」と靴をなでてはいるが・・・。 気をつけて進もう、ということで、いよいよ、大森山へのルートにかかった。 崖を下っていると、人の声がする。 どうやら登山グループ。 おばさんを中心とした高年グループで、「あんたら、これから、大森山、玉置へ、きついで、大丈夫かいな? 懐中電灯もっている?」と偉そうにいいながらさっさと登っていった。 北の奥駆けは行ったけど、南ははじめてらしい。 こちらも、この先大変ですよと言いたいが、あまりに自信たっぷりなグループだったので言葉を飲み込んだ。 3000メートル級のお山で「中高年遭難」の新聞記事の元になるグループの「過信」を見た気がしたことだった。 あの人達にいわれなくても、大森山3時も絶望、最悪、終わりの方は懐中電灯で歩くことになりそうだ、うまくいって日没ぎりぎりで、着くかな、だとは私にも分かっている。 篠尾辻から、またすごい登りにかかった。 岩つかまり、木の根っこつかまり、石が浮いているとひやりとする。 落ちたらおしまい・・・ Kさんが「あの方、帰って見えたわ」 振り向くとあの行者さんがいた。 「この山はどうかね」 「いやですね、疲労死しそう」 と、わたしが言うと、笑われた。 それで、靴が壊れたこと、老行者さんの荷物があること、等々をお話しすると「その行者はあんたらおいて困ったもんだね」 「私たち、多分、7時くらいししか、玉置に着けないと思います。そういうこと、お知らせ下さいませんか」 「分かったけど、自分でも電話がつながるようだったらしてよ」 そして、真剣な顔をして「明日は、はっきり言ってもっと大変だよ、その靴ではいけないよ」 「そんなに大変なんですか」 「つかまるところがないよ、吉野から熊野本宮を行ったり来たりしているのでよく分かっている。大変だよ」 聞けば、この方、100日行で大峰の奥駆け道を吉野から熊野を行ったり来たりしているらしい。 驚くべき話だ。 そんな行者さんが今どきいるのだなあ・・・ なのに、しんどそうな顔ひとつせずに、あくまでも爽やかで目は優しい、澄んでいる。 やがて行者さんは、わっしわっし、まるで平地を歩くように私たちがふうふう言っている崖を踏み越えて見えなくなってしまった。 すごいよ、すごすぎる。 「お若いときのお大師さん、あんな感じでご修行なさったんやろね」 「そうだね、そう思うよ」 必死の私たちに、必要な情報を下さって明日のことを心配してくださる・・・お大師さんもそうだったに違いない。
さて、登るほどにますます急となった道?はついに踏み後さえもわからなくなっ た。「これでいいの?」「赤いテープがみつからんのよねえ」 時々、ささやかに奥駆け道を示す道標と共にあかテープがついていた。 「尾根、尾根、行者さんも言っていたし」 とにかく尾根を目指した。 「あった、ある、しるしが・・・あ、ここでな亡くなっている人がおるよ」 と先に尾根に出たKさん。 kさん、靴パックンにもかかわらず、健脚である。 (老行者師に預けられた「ご本尊」、Kさんがずっと持ってくれている、高所恐怖症の私が持つのを見てる方が怖いと言って・・感謝)
確かに、道はあったが、そのそばに2リットルのペットボトルに水が入って「交通安全」と書かれた木札が入ってういていた。 下には名前も書いてるようだが、読みとれなかった。 「ここで亡くなる気持ち、分かるわ。だって、一人だったら、疲れて立ち上がる気しない、二人だから、行こかといえるけど」 「そうやねえ」 などと話ながら、手を合わせた。 ホント、このとき私も「疲労死」しそうなほど、疲れていた。 ここでやはり靴が壊れたということは「行くな」という天からのサインだろう、止めて明日帰ろうという話を二人でして確認した。 宅急便で替えを送ってもらうとか、接着剤を借りて貼り付けるとかいろいろと考えたけど、天の声に従おうと。 勇気ある撤退。 撤退は時として、進むより難しい。 何しろ、荷が重いのは明日からの無人の山小屋泊まりのことを考えて、なのでくやしい、正直言って。 しかし、高所恐怖症としては、つかまるところのないやせ尾根では恐怖で気絶するんじゃないかとも。
やがて大森山の三角点、1044メートル。 しかし、ここは頂上ではない。 さらに登ることしばし1078メートル、ここだ。 休憩。時計は4時10分前。4時前に着いたことを褒めよう。 Kさんの携帯はJホン。山中まったく入らず、役立たず。 で、私のドコモで玉置神社に電話をした。 そしたらなんと私たちの宿泊予約がキャンセルになっているという。 何か手違いらしい。 「そんなあ・・・行者さんが電話して下さっているはずなので安心していたのですが。いずれにしても行きますし、食べ物がなければ素泊まりでもいいですから泊めて下さい、行者さんも行かれますし」 おばちゃんは、いい人のようで気持ちよく「わかったよ、ご飯の用意して待っている、気をつけておいで、」といってくれた。 ああ、よかった。 聞いていたKさんが「よかったねえ、携帯が通じて」 ここは、見通しがきかないし、ドコモだって、柱が立たなくなったりするのだが、 、お大師さんのような行者さんに言われたし、柱がたっている時を見計らってしたのがよかった。 「携帯が通じるか通じないか、命にかかわるね」 「そうだよね、値段も通話料も高いけど、ドコモだね」 なんて話をして10分休憩。 ここからは道がよくなると、お大師行者さんからきいていたので少しほっとした。 しかし、まだ、玉置まで、2時間から3時間は歩かねばならない。
下り始めたら、法螺貝が聞こえた。 オオ老行者師だ。 携帯がなった。 老行者師からだった。 「靴壊れとるんやて、どないや」 「大丈夫です、今のところ歩けています」 「儂、下でまっとるしな、気をつけておいで」 そして、切って直ぐにまた法螺貝。 いい音だ。 旧篠尾辻でついに老行者師の姿が見えた。 氏は、Kさんの靴をしっかりつひもで結びなおしてくれて先頭に立って歩き出した。 荷は玉置の辻に置いてきたという。 速い。スタスタと曲がった腰で進む。 「足元注意」「落ち葉注意」とか言いながら。 「お速いですね、追いつけませんでした」 「儂、5時にでてあんたらでるのを隠れてみておってんじゃ。あの時間なら、玉置に着くな、と安心して折立からあがって(ええ、じゃ、本宮から十津川までバス移動じゃないのよ!!)来るのを待っていたんやけどやな、あの子(100日行者さん)が靴が壊れたいうし、びっくりしてとんできたんじゃ」 老行者師、ズルして(すみません)、バスで移動して玉置までの最短ルートでいったんだ。追いつけないわけだわ。
この後、玉置までは命に関わるところはないふつうの山道なので、スタスタと歩くのみ。 「ドコモがやはりよくはいる」という話になったら、老行者師「ドコモかしこもはいるんやったら、ドコモにせないかんな」 「アハハ、座布団とりたい」 「そうか、そうか、みんな、わたしが悪いんです」と老行者師。 さすが河内長野のお方、明るい、駄洒落が好きである。 まあ、こんな感じで、7時前に玉置着。 玉置神社周辺は、原始のままの杉の自然林、薄暗くなりかけていた。 神社の手水のところに出たので、思いっきり水を飲んだ。 うまかった。 そして、ご飯もお風呂も、極楽だった。 白衣は土や汗でどろどろとなっていた。 雨具のズボンも同様であった。
靴が壊れたことは、進むなということ、と老行者師にも言われた。 こんな事になるとは思いもしなかった・・・。 それにしても、奥駆け道は私がこれまで歩いたどの道よりも厳しいというか、質がちがうと言うべきか。 時間をかけたら、だれでも歩ける遍路道とはまったくちがう。 奥駆け道では時間をかけたら死ぬ。 やはり「駆ける」は必然なのだ。 プロの、命がけの行者さんの道だと悟った。 「貝ズリ」「アリの戸渡り」といわれる難所、ガイドブックに書かれているモノは読んではいたのだが、歩いてみて「こういう道のことなのね」と実感した。 なに事も経験なり、か。(私がおバカさんなだけか?) 登山経験がかなりないと、大峰奥駆けの道、命取りになりそうだ。 1日で、この先7日分の体験をした気がした。
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