世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年05月19日(月) 熊野古道 小口から熊野本宮まで・・大峰奥駆け行(2)

私たちは7時過ぎに出るといったら、行者さんは先に行かれた。本宮で合流しましょうということで。
昨日よりお元気で荷が軽くなったせいか、足取りも軽い。
またまた、本宮では寝るところ(もちろん野宿)があるというので、本宮瑞鳳殿をキャンセルした。

昨夜、宿直のおじさんに「ここには、青岸渡寺の山伏さん達、お泊まりになるんですか」とお聞きしたら、「ここにお寺の方が泊まったいうんはきかんな」とのこと。
つまり、青岸渡寺の峰入りはもっと早い時間(夜明けと共に)に出て、ここは風のように駆け抜けて、多分一日で本宮に行ってしまうのだろう。
す、すごいよ。
だって、あの胴切坂を降りて、小雲取の500メートル登りにまたかかるのだから。体力もさることながら、そのとぎれない気力に脱帽する。
歩行は、結局のところ、気力と根性だから。

ということで、今日は小雲取を越えて本宮まで。
昨日にくらべたら、楽である。
特に、最初の桜茶屋跡休憩所に着くともうすごく長い登りはない。
アップダウンを繰り返しながら、請川に着く。
おかげさまで、今日も降り出しそうもない感じで曇り、昨年は暑くてつらかった桜茶屋への登りがとても楽だった。
しかし問題は、下り。どうしても固い靴皮に指先があったって痛い。
この固い皮って、柔らかくできないのだろうか・・・
ホントは行者さんのように、「行者地下足袋」を履くのが一番いいのだとは思うが、あれでは今度はいろいろなモノに当たって痛すぎる。
でも、まあ、早くもないが、遅くもなく石堂茶屋10時半、途中でお昼をとり、1時半請川着。
なんとか、行者さんに追いついて自然の家で作ってもらったお昼の弁当を渡そうと思ったのだが、追いつけなかった。今日は早いよ、行者さん。

昨年もそうだったが、請川の国道沿いで自販機を見ると「文明の地に戻ったなあ」
自販機から、冷たい飲み物を買ってしみじみと飲んだ。
請川のバス停近くで、前からひょんひょんと歩いてくる外国人の男の子に道を訊かれた。
聞けば、湯の峯から大日越えをしてきたようだ。
今日は、小口泊まりだという。
で「あなた、小口、宿の予約をしたの」「した」
「この時間では遅いか」と、彼は聞く。
私、少し考えた。
若いし、荷は少ないし、まあ、5時か6時までには着くだろう。
「ジャストタイムよ、」と答えてあげたら、ニッカと笑ってまた歩き始めた。
この坊や、英語以外は「こんにちは」くらいしか日本語が話せない感じだ。
少しいって、右に曲がると教えたのだが、心配で、じっと見ていたら、時々振り返っては、こっちね、という手つき。
ウイヤツじゃ。多分、ドイツ人だ。
そうして、無事に中辺路への道を登って行った。
私は、彼に、外国での自分の姿を見るようでハラハラ、ヤレヤレであった。
古道が世界文化遺産に正式登録されたら、外人の観光客はもっと増えるであろう。
そのためには、英語表記の道しるべも、歩き用パンフレットも必要だろねえ。
中辺路は実によく整備されているが、英語表記はない。
昨夜、小口自然の家でS氏にこの話をしたのだが・・・。

2時15分、熊野本宮旧社地着。
私は、今の本宮より、ここのほうが好きである。
ここにあった拝殿は、明治22年の洪水で流された。
今は小さな祠が建っているのみ。爽やかですがすがしい空間となっている。
地の気が強いし気持ちいいので、いつまでもいたくなる。
お参りして座っていたら、ちょうど草刈りをしていたお兄さんも休憩した。
行者さんのことを聞いたら、さっき30分か、40分ほど前にここにいたよということであった。
お兄さんは、この町育ちで、新宮で働いていたのだが帰ってきて今は本宮の職員なのだという。
「ここ、昔、10年以上前だけど、草ぼうぼうで、こんなにきれいじゃなかったよね」
 私がここに初めてきたのはそれくらい昔。
「そうやったかな、そうかもしれん、我らはここで野球したりいろいろと遊んだもんじゃが」
中上健次の追悼祭や熊野大学講座がここであったとかいう時代の話だ、たしか。
そんなことを話したら「中上が、おばさんになりますいうたあとの都はるみをここに連れてきたんや、また歌うようになったんはそのあとなんやで」
フーン。
それにしてもゴージャスではないか。熊野参りの、その歴史ある地で野球だの、鬼ごっことは。
どこに泊まるんや、と聞かれたので、瑞鳳殿、と答えたら「儂らの宿舎もあるが、きれいやないで」「別に、寝られたら」
などと話すうち、「温泉、連れていってやろか」となった。
オオ!!やった。
このMさんと夕方5時半、待ち合わせで、川治温泉の公衆浴場行きが決まった。
温泉に行けるとなると、元気が出て郵便局にいく用を済ませて、本宮お参り、食事をだして下さる珍宝庵のおネエさんとも話をして、宿着。
神官の人に案内してもらって部屋に着いたら、行者さんも名物の「お餅」を持って見えられた。
行者さんは、まじめな若い神官さん相手に憂国論や神社はどうあるべきか、という激論をぶつけていた。
「あの、行者さん、私たち、ここの職員の方に川湯温泉に連れていってもらうんですが、いきましょうよ」
「温泉か・・あんたらな・・・」とあきれ顔。(ハイキングやないで、といいたいのであろう)
でも、一緒に行くことになった。
びっくりしたのは、玄関にあった行者さんの荷物だ。
なんと、リュックになっていた。
「どうしたんですか」
「アンタがリュックが軽くていいうたやろ、そんで本宮について直ぐに買いに行ったんじゃ」
 恐るべし、老行者師。
頭が柔らかい、すばやい。
「それで、あの手製の背負子は?」
「ああ、悪いけど、処分してや、いうて、リュックこうたとこにおいてきたわ」
それもすごい。ずっと使ってきた愛着とかなかったんだろうか。
変わり身の早いこと、だだモノではない。決断の早さがすごい。

川湯は気持ちのよい温泉であった。
連れていって下さったMさんに感謝、だった。

帰って来て、老行者師のお話を拝聴した。
今や世界中が金、金で動いている、日本も滅びる寸前だ。(この認識は正しい)
それは、日本の背骨である奥駆け行が「逆」しか行われないからや。「順」を行じたのちに「逆」にならないとすべてが狂う。
天皇は、京都に戻るべきや。
日本が世界の中心や、日本がおかしくなったら世界がおかしくなる・・・
「大和」(世界が和するという意味)を忘れてはいかん(これは、ホントにそう思う)
しかし、戦後教育を受けた者としては、ついていけない独特の歴史観もありで。。

またまた、野宿はやめた方が・・とお止めして、ここに部屋を作ってもらった。
「今日は、温泉に入ったし、野宿は止めとく方がええな」と素直にいわれた。

ところで、「伊勢には7度、熊野3度、お多賀さんには月参り」というらしいが、私は昨年の今頃から、3回熊野参りをした。
1度目は去年5月の中辺路歩き、12月の小辺路歩き、そして今回。
「私、3回、お参りしましたよ、本宮の神さまによくお話しておいて下さいね、ご褒美下さいって」
と、若い神官の人にいったら、自分でお願いして下さい、と困ったようにいわれた。((^^))

明日はきつい。
未知のコースだ。


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