| 2003年04月21日(月) |
洋服をつくる、日本人の墓・・・atホイアン |
昨日の夕方、洋服をオーダーしていた店に取りに行った。 その時に従業員の女性達たちと話した。 まず、教育費のこと 私が、なぜ学校に行かないで通りでものを売っている子がいるのかと訊いたのだ。 子どもを小学校にやるのに一月9ドル、食費等々を入れると18ドルはかかる・・・。これは、かなり厳しい額らしい。 その後、若い子がこっそりとわたしの耳にささやいた。 「私の給料は、月に20ドルよ、朝9時からおる9時まで働いて」 彼女、公休日はないとか。 「でも、私の世代では、私は恵まれていると思う」 要するにベトナムの地方都市のお給料はその当たり。 (後できいたのだが、ホーチミンあたりでは100ドルはもらえるらしい。だからみんな都会で職を得たがると) 私、スーツを2着、パンツを1着、ブラウスを1枚つくって100ドルほどを払ったとだったので彼女の20ドルのお給料というのが申し訳ないような・・・。
彼女の母さんに「日本人はみんなアオザイをつくって帰る、アンタは何でつくらない」と訊かれた。 「日本人はふだん、アオザイを着ない、それで私は太っているので似合わない」 私はルーズな服が好きだ、タイトなのはきらいだ。 「あんたは後5キロ体重をへらしたら、アオザイが似合う、そうしたらまたホイアンに来なさい」 ハイよ。 何もないホイアン、ただ古めかしいショボイ町と車が通らない通りを笠かぶった物売りおばさんがあるいている・・そんな町だけど、また来てもいい。なぜか・・不思議。
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何しろ、朝も8時になったら27度だ。勝負は早朝にあり。 で、6時にご飯を食べて(6時から始まる)7時前には、ホテルを出た。 日本人の墓を見物に。 市街地を過ぎて田んぼの中にそれはあった。 途中で分からなくなって自転車をこいできたおじさんに訊いたら、わざわざ遠回りして案内してくれた。 お墓のそばではちょうど稲刈りの真っ最中。 「シンチャオ」と挨拶をしたら親父、ニコニコと手招きして、手伝えという仕草。 あはっは。 この暑さでお手伝い、死にますわ、。ゴメン。 「鎖国政策によって日本に帰国することになった日本人がホイアンの恋人に別れを告げるために来たがここに死す、で墓のムキは日本に向いている」 といったコメントがついていた。 ほおう、悲恋かい。 意外と、ここで死んだことにして恋人とホイアンの町で幸せに暮らして死んだかもしれんぞい。 ということを妄想する私って根性曲がりか。
暑い。またたんぼ道を歩いて、今度は「チュックタイン寺」 ホイアンで一番古い寺。 小学生見たいな子が二人ついてきていらんというのに、案内してくれた。 もちろんモノねだりである。 あげんかった・・・頼んだわけじゃないしなあ。悪い癖はつけたくない。 外人に案内の押し売りしたら1ドルくれるっていうの、覚えたらろくなモノにならんよ。 あがって久しぶりにお経を読んでいたら和尚さんがでてきて、ベトナム式の三拝を教えてくれた。 ちなみにベトナムでは、お賽銭を木魚の中に入れる。 お賽銭箱はない。(観光化されているところはあるが)
外に出たら正面に観音さま。 あ、観音様だ、と日本語でいったら寺女みたいな人が「シバブッダ」といった。 シバブッダ・・観音様のことをこういうのだ。 なるほどねえ。 ここまで11時過ぎ。 いやあっつい。 昼寝だ。ビールだ、になってきた。
午後、かろうじて、日本橋や古い建物訪問をした。 で、シエスタ。 ホイアンでは、昼の1時2時にお店に行っても、人がでてこない。 みんなお昼寝かごろんとしてテレビを見ている。 まあ、お昼寝大好きな私、この国では思い切りシエスタしても、怠けている感がしない。ホントに居心地いいわ。 日本橋は、旧市街まん中に架かっている橋だが、屋根がある眼鏡橋。橋のまん中にお寺が付属しているユニーク設計。おもしろし。 この橋を境に日本人町と中国人町が分かれていたようだ。
夜、晩ご飯の後、散歩した。 川べりのベンチに座って、夜空の星を見ていたら、おじさんに話しかけられた。 「ベトナムははじめてか、どうであるか、日本は今頃どんな気候であるのか・・」 みたいな世間話。 はじめ、話しかけられたとき、この人は私に何を売りつけるつもりかな、何の勧誘かな、と心の底で思ったりもしたのだが、単に世間話だった。 下心なし。 しみじみいいなあ、ホイアン。 なぜか、何もないけど、また来るぞい。
明日は、ダナンから飛行機でホーチミンに帰る。
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