| 2003年04月20日(日) |
ホイアン、そしてミーソン遺跡へ |
★ホイアンについて★ トウボン川が南シナ海に流れ出る三角州にできた町で、4cころからベトナムに成立したチャンパ王国の時には中国とインド、アラブを結ぶ交易都市、その後、グエン朝の時にもやはり交易の中心として栄えた。 まあ、海のシルクロードの中継地点といっていい。 16,7cには日本人町もあって最盛期、1000人ほどの日本人が住んでいたといわれている。しかし、鎖国政策で衰退した。 市内には日本人がつくった「日本橋」が残り、「日本人の墓」がある。 かわらぶきの屋根が並び、通りは狭い。木造の古い家は、中国風、日本風、ベトナム風とそれぞれよいところを取り入れてつくってある。 この、交易都市の面影を濃厚に残す古くてなつかしい家並みが、99年に世界文化遺産に登録された。 要するに今や「ちっこい田舎町」である。だから、ベトナム戦争の空襲にもやられずに町並みが凍ったように残ったのだ。
★ミーソン遺跡ミニ知識★ ホイアンの北45キロにある。 チャンパ王国の聖地。 チャンパは、192年にフエ地方(ベトナム中部)に興り、延々続いて1471年、ベトナム軍に滅ぼされた。 チャンパ王は、中国風を取り入れたり、ヒンズー教屋仏教の影響を受けたり、まあいってみれば雑煮状態。 しかし、国自体は交易の利を得ておおいに盛んだったという。
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昨夜19日は土曜で、町の公園では大道芸人が劇をやっていて、満員の人だかり。 まるで祭りの夜だった。 暑い夜、ふつうの家にはクーラーはないし、そとにでて涼を取り、楽しんでいるのがよく分かる。 通りの提灯屋の店先には、明かりが入り幻想的な美しさ。 何より、旧市街、通りが狭いので車が来ない。それがいい。 狭い小路を歩いていると、日本のどっかの田舎町にタイムスリップしたような気分ちになる。 我がホテルも、入り口の提灯に明かりが入り、よい感じだった。
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朝、8時、ミーソンツアーに出発。 バスが少し走ると、水田が続く田園風景、これまたやっぱり日本の農村だ。 ちがうのは、ときどき牛農耕をしていること、国道にモミが干してあることくらいかな。
バスには、昨日見かけた日本人の女の子と男の子がいた。 おりてから訊くと女の子は北海道から3週間の旅、男の子はやはり横浜の子でミュウージシャンだといっていた。 バスの中はクーラーが利いているが外に出たとたん、熱気が襲ってくる。暑い。 それなのに、ミーソンの遺跡を2時間は歩き回るというわけ。 早くもくじけている。 バスから、遺跡行きのジープに乗り換える。 ミーソンの面白いところは、平原の中にあって、この地だけ山に囲まれているということ(高野山??)900年に渡って、ここに聖堂がつくられてチャンパの聖地であり続けたことだろう。 れんがを積んだヒンズー系の寺院や聖堂があちこちに点在する。 中にはいると、シバ神が祭ってあったり、何と天女までいる。 残念なのは、ベトナム戦争によって大半が破壊か半壊状態で、健全なのがないことだ。 それは、ひどい。 銃弾の跡がくっきりのこっている。 この状態で、ホイアンと共に世界遺産になったわけだが、これでいいのかと感じた。 900年の神秘よりも、ベトナム戦争の惨禍を改めて感じてしまった。 フエの王宮もだが、大半が破壊されているにもかかわらず世界遺産というのは、もしかして「アメリカの贖罪意識」の反映か。 そういう雑念は別としても大半が大昔、インド見た遺跡と似ていてまたしてもあんまり興奮せずじまいであった。 バックパッカーがアンコールワットを見たらミーソンはパスしていい、といっていたの、分かるねえ。 とにかくやったら暑いのに参った。 思うのは、ベトナムも日本と似ている、ということ。 日本も、極東文化が流れ着いてミックスされて・・という土地柄。 ベトナムも、春かインドパキスタンあたりから東進してきた文化のドンヅマリ。 勢い、まねっこ、やミックスにならざるを得ない。
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町に帰ってミュージシャンという男の子と川に浮かぶレストランで食事、ビール。 ついでに町を散歩して、ケーキにコーヒーというおしゃれなティータイムもした。 その後、例のごとくシエスタ。 ホイアンは田舎めいていますが都会です。 ビールは冷え冷え、ケーキもコーヒーもよかったっす。 ランコー村に滞在した後ではそれが身にしみます。
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