世界お遍路 千夜一夜旅日記

2003年04月14日(月) 列車で、古都フエへ 大怒り!!

「ベトナムが大学院」くんが、5、6ドルしか違わないし、ファーストクラスがいいですよ、というもんで、そのように頼んでいたら、指定のコンパートメントにいて見ると、そこはセカンドクラス。
私、怒ったね。
ファーストクラスのお金を取って、くれたのが、セカンドって言うわけ??
拙い英語で目の前にいた男女2人組に話す。
男は「自分は松山にいたことがある、日本人の知り合いはたくさんいる、あなたに申し訳ない」実に流ちょうな英語で申し訳なさそうに言った。
松山・・・おおお、だった。
聞けば、彼は、ハノイに行く妹を送りに来たんだとか。
そうか、カップルではなくて、兄妹だったのか。
車掌に話せと言うが、もちろんラチは開かない。
だって、正規のセカンドクラスのチケットなんだから。

★★ベトナムの列車セカンドクラス寝台とファーストクラス寝台のちがい★★
それは簡単、ファーストは寝台は2段で、1コンパートメント4人定員。ベットふかふか、シルクのブランケット、乗客はハイソ系。
セカンドは、3段寝台、ベッドは固くはないがふかふかではない。シーツなどはふつうの綿製。
「ベトナムが大学院」くんはさらに食事がつくというとったが、それはセカンドもついた。朝はなんとカップ麺だった、昼は2菜一汁、ご飯。デザートは一緒のコンパートメントのおばさんがライチをくれた。
でも、ま、ファーストは食事内容がもっといいのやも知れぬ。
 ベトナムタイムがありそうな感じだが、列車は実に正確に運行されている。
車両の前後にかたや西洋式、かたや和式(いやベトナム式といいべきか)のトイレが付く。シベリア鉄道のようにサモワール(湯沸かし)もついている。
料金は、外国人料金がある。(昔、中国にもあったし、エジプトでは今もある)
ベトナム人の10倍近いのではないか。(これはチェックしなかった)
しかし、入館料などはちょうど10倍だし、そうまちがった目安でないと思う。

    ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

切符は乗ると車掌に預け、おりるときに回収される。証拠がない。私がセカンドクラスに乗っていた、ということを書いてサインをしろと車掌に迫ったが、私のチケットにあった切符の値段は彼が自筆で渋々と書いてくれたが、いくらしつこく迫ってもついにサインはしなかった。
曰く「それは自分の仕事ではない」
どこも同じや役人根性。
でも、それじゃ、サイゴンに帰ってお金が取り返せない、私がごねているとでてきたのが同じコンパートメントのお兄さん。
彼に、アンタは私と同じコンパートメントなんだから、私のチケットの値段、わたしはここにいたことを書いてサインしろとまた迫った。
彼、さんざんいやがっていたが、渋々、ついに値段と今日の日付を書いて、自分の名前をサインした。
やった。
ベトナムの男は優しいね。
これで、サイゴンに帰ったときに「闘う」準備ができたというモノだ。
たった5ドル、6ドルとはいえ、ベトナムでは3回ご飯が食べられる、ビール付きで。それと、私は世界各地の現地旅行社で切符やチケットを手配するが、ここまで悲惨なことをやってくれたのはベトナムはホーチミンのTNKトラベルだけだ。
きぶんがよくないのだ、きぶんよくなるために「闘う」
私の怒りが終わって(気分は良くないが)次は、車掌氏隣りのコンパートメントの中国人に「冷房がきかない」とどなられていた。
そのオッさん、通路で私がふくれ面で車掌を待っていると「おまえんとこも冷房が効かないのか」といったお人。
冷房じゃない、騙されたんだ、私は1等のお金を払ったのだ、といったらさすが中国人、興味を示して来た。で、私は、チョーへたくそな中国語を少しだけ交えながら話したら、受けてしまって「ヨシ、いよいよ困ったら、助けてやる」とかいったオッさん。しかし、私が下手な英語で苦戦している間、彼はでてこなかった。
君子危うきに近寄らず?? しかし、北京から来たと言っていたし、あんまりお近づきにはならない方がよいかも。
彼らも、なにしろ中国人、しつこい、車両を変えろ、とか空いてるところに変えろ、とかかなり粘っていた・・が、私はその後すぐに寝てしまって知らない。
・・次の日、同じコンパートメントから出てきたし、彼が折れたのか?・・・

朝。
コンパートメントのメンバーは、優しいお兄さん、おじさん、おばあさんに近いおばさん、ハノイに行く「妹」さん、おネエさん系のおばさん、私。
何しろ、乗ったそうそう、ケンカをやらかしたので、同じコンパートメントの人は、ジトジトという感じで私を眺めていた感じ。
しかし、カップ麺をつくってくれたり、お茶を分けてくれたり、デザートのライチを恵んでくれたりと右も左も分からぬ日本人に何かとご親切ではあった。

窓の外は、延々と田園地帯。水田、あるいはまた森である。
ホーチミンの大都会ぶりからは想像できない、のどやかな景色である。
そんな景色を見ながら「事件」が起こった。
私の前に座っていたおばあさんに近いおばさんが、バックから封筒を取り出してなにやら訴えてオエンオエン泣きながら話し始めたのだ。
私以外のみんなはフムフムと聞く。おじさんだけが、時々口を挟んでちょこっとあきれたように笑うが後の人たちは真剣だ。
どうしたんだあ??
私は兄ちゃんが英語は流ちょうだったし、「妹」に聞いたが彼女ただ首を傾げるだけ。(後で判明、彼女の英語力は日本の中1くらい。何だか、複雑なわけのあるおばさんの事情を説明できるわけがない、上の兄さんもこの事情が説明できるほど達者ではないらしく沈黙)
しかし、あんまり悲しそうなので、私は前のおばさんの膝に手を伸ばして、なだめるように、慰めるようにたたいた。
おばさん、しきりにうなずいて、ありがとう、という感じで眼をぬぐう。
でもなかなか泣きやまないので、私はついに、そばにいって背中をなでて、肩もみをしてやった。おばさんは、はにかみながらも、嬉しそうで、私もよかったよかった、という気分になったのだった。
(ベトナム人も肩もみ、手もみ好きである・・これ、数日の観察で判明したいたこと)
私はついに最後までおばさん何で泣いているのか理解できなかったが、これを境におばさんをはじめとした同じコンパートメントの人たちがやたらにさらに親切になった。
ダナンでは、停車が20分近くあったのだが、おばさんと「妹」に連れられておりて、「妹」にゆでとうもろこしをごちそうになり、ダナン名物の大理石置物までいただいてしまった。
「マイ・メモリアル」という言葉ともに。
(これ、今、うちのストーンコレクションにはいっている)

フエ着、16時44分。
私がおりるとき、みんな手をふってくれた。
「妹」はおりるときまで、私の手をしっかり握りしめていてくれた。
そんで、おりる前、4時過ぎに「夕ご飯」が来たんだけど、おじさんが「こいつの分はないのか」と配膳員に訊いてくれた。もちろん、すぐにおりるヤツに夕食は支給されない。
荷物を背負っておばさんの肩を抱きしめて「どんなわけがあるかシランけど、もう泣いちゃいけませんよ」と、日本語で言うと上にいたお兄さんが英語で「彼女はもう泣かないよ」といってくれた。
一期一会。名残惜しい、よい別れだった。
瓢箪から駒、二等寝台もよかったぞ、と思ったことだった。

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フエの宿は、日本人ご用足しのような「ビンズオン」。
しかし、またまた、タクシートラブル。
知っていると言ったのに、同じところをぐるぐる回ってくれたもんだ。
おりるときにケンカして、同じ所を3回回ったから6000ドンは払わない、といってやった。
で、3万ドンだけ、おいておりてやった。金額の過多ではなく、やり方が気にくわない。だって、ほかのホテルの客引きにわざと声をかけてそいつ、うちの方がいいよ、と危うくそっちに行きそうになったんだから・・まったく。
トルコなんかじゃ「ノウ」がいえない日本人がこれで、拉致されるように予約とは違うホテルにつれて行かれる。
わたしは予約はないけど「ベトナムが大学院」くんがここはみんないいと言ってますよ、というので決めたホテル、妥協なんてできない。

ヤレヤレ、いろいろとありましたが、17時間近くかけてフエへ。
町の風情ものどかに田舎っぽくなった。

★メモ 1ドル=約1万5000ドン★













 


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