| 2003年04月11日(金) |
クチトンネルと戦争ミュージアム |
昨夜遅く、クチトンネルとカオダイツアーが、クチだけになったと(カオダイに行きたい人がいない)電話が来た。同じ4ドルのツアーなのに、そりゃないよと思った仕方なし。それだったら、ほかのカフェのツアーっていうのもあったのよね、などと独り言。 で、ピックアップタイムはホテル8時15分、8時過ぎに部屋を出て待つも、来ない、来たのは、8時半。 「遅い」と文句を言ったら、ガイドのおじさん、「10分だろ」。 そうか、ベトナム時間があるのね。 TNKトラベルは、日本人客に今後力を入れたいらしいが、この時間感覚だとダメだね。と、あの「ベトナムが大学院」の子に言っておこうではないか。
★★ ここで クチトンネルとカオダイの説明を少々 ★★
クチトンネル ホーチミン市から70キロに地下トンネルがある。ベトナム戦争当時、この辺りにベトコンの基地が置かれ「鐵の三角地帯」と言われていた。 米軍は、空爆と枯れ葉剤の投下を繰り返したが、ベトコンは地下に潜ってゲリラ戦を展開した。 総計250キロに渡る手掘りのトンネルや作戦本部は今も残っていて、それが観光名所となっているのである。
カオダイ カオダイ教という、ベトナム独特の新興宗教がある。 タイニンという、ほとんど国境近くにある町に本部がある。 シンボルマークは強大な眼。仏教、キリスト教、イスラム教、儒教等々のいいとこどりをした宗教で、昼の礼拝を見学できるのだ。 今回は行かなかった。(ベトナム最終日に訪ねたので、その時にまたくわしく)
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ツアーバスのメンバーは、スイス人夫婦、オーストラリアとイギリスからの女の子各一人。そしてわたし。 ガイドは、かなり年配のカンさんという男性。 彼の英語は何だか、フランスなまりっぽくて、聞きずらい。 要するに、3,6,8メートルの地下に3層構造でトンネルがあってそれは脱出路としてサイゴン川にもつながっている。 初めて地下トンネルができたのは、1940年代、抗仏戦争のとき。それが上のフロア。 200キロから250キロはあった。とても狭くてすべて手で掘った。 集中して聞いて、アタマで翻訳しているとすごく疲れる・・後ろでは、イギリス人の女の子が、気持ちよさげに寝ている。 ベトナムの空気は集中を妨げる・・で、外を眺める。 そうすると、カンさんの口から流れる英語は、ぜーんぜんわかんなくなる。
外の様子もこれまたすごい。 ちょうど通勤タイム。バイクの波がとうとうと流れてくる。 もちろん、その流れに、なん彼らを追い越そうとする車も入っていて。車から見ていると、バイクの波の右折・左折はまるで曲芸のようである。
10時過ぎについたが、スモーカーがおおかったので途中で休憩。 周囲の林は漆の栽培林。カンさんによると、すべて戦争後の木だという。 それは、そうだろう。 枯れ葉剤で裸になったのだから。 それにしても、ベトナムの空気は眠い。 イギリス人の女の子は、タバコを1本吸うと、またイスにねっころがって寝入っている。 空気に、睡眠薬が混じっているんじゃないかと思うが・・・・
クチトンネル入場料5ドル。ドンの持ち合わせが少なかったのでドルで払った。 ホテルなどでは、ドル払いのみだし、なんでも、ドル換算で支払うことができる。 戦争にゃかったが、ドルに経済は支配されているのは皮肉な話ではある。 クチトンネルは、ジャングルに残っているトンエルや施設を見る前にビデオを見せられた。なんと、1967年製。トンネルを掘ったり武器をつくりながらベトコンさん達はドキュメンタリービデオもつくっていたのである。びっくり。 ビデオを見ると、実に楽しそうに武器つくりの仕事をしている。
次にいよいよ森(ジャングル)にはいる。 カンさんによると、この辺は、枯れ葉剤で裸になったので、その後に大きくなった木だという。大人なの太ももほどの太さの木もあって、成長ぶりというか、戦争からの時間を感じた。(べトナム戦争・・米軍の本格介入60年から75年) 最初に枯れ葉に隠された秘密の通路を見た。すごく狭くて細い人が一人とおるだけの感じ。爆弾が落ちたクレーターもあちこちに残る。 わなのしかけを見た。 実に単純。踏むとくるりとひっくりかえって、竹やりがぐさり。こんな発想のモノが多かった。 近代武器を粋を集めて進軍した米軍がこんなあっけない獣をねらうようなしかけに悩まされたというのがおかしいが、事実、それらによって彼らは負けたのだ。 「彼ら(ベトコン)は土から、泥の中からでてくる」 という米兵の台詞をどっかで読んだ記憶があるが、ここを見ているとそれがうなずける。 最後は、ほんとにせまいトンネルをくぐっておしまい。 狭いし天井がひくくて、まるで穴禅定のような・・・トンネルの中でそんなことをかんがえた。 クレーターのそばにあった、木にカシュウナッツがなっていた。 ピーマンのような実がなってそのさきに実が付いている。
午後から町に帰って、戦争ミュージアムに行った。 沢田教一さんの写真もあった。 米軍がのこしていったでかい戦車や爆弾を見ると改めてベトコンの手作り爆弾や鉄砲で勝ったということに、しみじみする。 ベトナム戦争は、全土で、400万人の人が死んだという、それもまた記録を見るとうなずける。 悲しいのは、枯れ葉剤の影響で今の奇形児の子がたくさん産まれているという事実。ダイオキシンの恐怖は何時までも尾を引いている。 それから、拷問道具のすごさよ。 わたしは行こうと思っていた、フーコック島はかつての拷問島、今はリゾートアイランドだけれど・・・行くのを止めた。 米軍の罪は深い。 そして、米軍は「あやちはくりかえしません」ではなくて「次は負けません」という反省で、軍費をつぎ込んだのだ。 それは、その後の湾岸や今回のイラク戦争を見るとよく分かる。 マジにいやな国だ。 中庭のイスで休もうと外に出たら日当たりばかり。 そうしたら、日陰に座っていた女学生のグループが手招きして、席を空けてくれた。行くと英語でいろいろと質問された。 どこから、何時来たのか、。ここの感想は?・・・等々。 経済大学の社会学の実習なんだという。 女の子たち感じがよかった。 その後、日本語を勉強してます、の女の子が話しかけてきて、「練習台」になってしまった。この子もまた、奥ゆかしげなよい子だった。 ベトナムの女の子、なかなかよいぞ。
とりあえずはベトナム戦争は避けて通れないと思っていたのだが、疲れた一日だった。そしていろいろ考えさせられた日だった。
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