世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年09月04日(水) 先生と大聖堂のオルガンを聞く

「リーガ大聖堂のオルガンを聞かないとリーガに来たことにならない」なんてことが地球の歩き方に書いてある。こういうことを書かれると、すぐにその気になるミーハーな私なのだ。
ということで、今日の予定。
午前・・・ラトビア野外博物館へ行く
午後・・・ブリギッタ先生に会う
夜・・・・先生とオルガンコンサート

博物館へはNO1のバス。20センティ(約40円)で30分もバスに乗った。
リーガは人口が多いだけに郊外も広い。
「ラトビア野外博物館」とラトビア語で書いた紙を見せてバスの車掌に頼んでおいたら、「ネクスト」と教えてくれた。さらに、降りるときにあっちへ歩けとも。親切である。
野外博物館は立派な松の大森林の中にあった。
砂地の道をずんずん歩く。誰もおらんのだ・・・・エストニアの博物館にあったような木製のおうちが時々あるが残念ながら大方しまっている。
ところでここを歩きながら気がついたんだけど、松って砂が好きなのね。

森の中央付近で子どもの声がした。
いってみると、どうやら学校の授業できた小学生、中学生らしき子達がいる。
絵を描いているのだ。
独立以来、バルト三国ではソビエトによって踏みつけにされてきた自国文化を学ばせるのにことのほか熱心だというが、こういう光景を見ると、なるほどだ。
このあたりの家はあいていたので、入って見学だ。
入ると、かすかにハーブの香りがする。
匂いの元はクリスマスリースのような形の枯れ草の輪飾り。
内部は、だいたいエストニアとににたような感じだが、こういう輪飾りはなかったよな、エストニアには。
1軒のおうちの軒先では伝統衣装をつけた女性が民芸品を売っていた。
その人がまあ、流ちょうな英語で、つかいかた、どうやってつくるかを説明してくれる。
黙って聞きているときりがないので「私は必要ない、もう行かねばならない」とことわったら、にっこりとわらって黙ってくれた。
ありがとう。

帰り道で大ハプニング。
なんと、バスを間違えた。
よくも見ずに1番の時間に来たバスに乗ったらそれは9番。
とーんでもないところにつれて行かれて「あれれえええ」
「セントラルに行きたい」とあちこちに人に訊く。
おばさんたちは困った顔をして遠巻きだし、中年男達は逃げるしで、こまった。
そこへ、バスのドライバーが33番を指して、あれに乗れ。
承知いたしましたでござるが、はたして、本当に行くのか?
バスのわきに書かれた字は読めないし・・・ホンマ困りましたわ。
隣りに座った子が若い女の子だったので、「このバスはセントラルにいきますか」と英語で聞いてみた。
かのじょ「イエス」と初々しく答えてくれて・・ホッ。

午後1時半、ブリギッタ先生と市場であった。
この話をしたら、9番、一番よくないバスに乗りましたね、といわれてしまった。
ブリギッタ先生も今朝は大失敗だったらしい。
先生は昨年から大学にまた通っている。(若い頃にモスクワの映画の大学を卒業)
教育学の学位が取りたいのでまた勉強をしているのだという。
その初日だと思っていたのにそれは明日だったという。
59歳にしてまた大学生。その意欲、すごい。学びたい。
「まだ、若いですからね」
これが先生の口癖だ。
ところでリーガの市場はかつて飛行船ツェッペリン号の作業所だった4つのドームをつかって開かれている。でかい。野菜、果物から肉、チーズ、ハム、魚・・・あらゆるものがある。
先生が「これ、美味しいです」といって小さいうなぎの煮たヤツを手渡して下さった。立ち食いした。ホント、すごくうまかった。こういうとき悲しいのはご飯がないこと、コシヒカリだよ、やっぱり。
以前ポルトガルで、イワシの炭焼きがうまかったときも飯!!飯もってこいと叫びたかったもん。
「先生、ご飯が食べたいです」といったら、ブリギッタ先生は笑ってうなずいて下さった。
彼女は、数年前に浦和に数カ月滞在している。(あの丸紅の方のおうち)

市場の後は、旧街にいって先生がいちいち案内をして下さった。
時々子どもの物乞いが来るのだが「ロシアの時はいなかった、教育は無償だったから。でも今は新学期に本代だけで40ラッツいる、子どもがたくさんいて貧しかったら学校にはやれない」。
先生はお嬢さんがモスクワにいるのだが「もうロシアは外国です、たずねるにはビザがいります、とてもたくさんのお金がいります、もう行けませんね」
そんな話をいろいろとした。
途中、今日の私の2度目の失敗。ガイドブックを忘れたのだ、どこかに。
しかたないです、あきらめます、といったのだが、先生は行ったところ全部に電話して下さった。そしたらあったのですね。感謝。

夕方、ちょっと、おしゃれなお店でビールと軽食をとってリーガ大聖堂へ。
私は先生に私は明日立つし、後、19ラッツしかない。勿論両替すればいいのだができればこのお金で今日のすべてをやりたい、と話してあった。(先生と私の分)先生は大丈夫といわれたのだが、リーガ大聖堂の安チケットは2ラッツ。それがない。3ラッツは?と聞いたらそれもない。4ラッツとなると予定が狂うんだよね。
先生が「どうして2も3もないのか?」と強行に窓口の女性にいったら、なんと3ラッツが出てきた。
しかし見るとそれは、8月の切符だ。勿論それで入れたのだが、先生は「私はここの館長と知り合いだ、この切符はおかしい、明日いう、2ラッツがないのもおかしい、年金生活者が来ても4ラッツでは高すぎてはいれない」
先生がいうのには、あの切符売りの女性は不正をしている。
8月の切符(売れ残り?)を売ってそれは自分のぽっぽに入れているのだろうということだ。ありそうな話だ。
先生はコンサートが終わった後彼女にあって、「どうして8月の切符なのか、このことを館長にいう」と宣言したようだ。
まあ、フェアだよね。

ところで、コンサート。
よかった。響きが重厚で荘厳。
疲れている身体に、ものすごく気持ちよかった。
大聖堂のパイプオルガンは1883年製、6718本のパイプと10メートルにも達するパイプの長さなど、当時は並ぶものがなかったらしい。
外側の重厚な装飾は16世紀のものだし。
パイプオルガンはワタシ的には教会できくものだとおもう。
だって、そもそも神様に捧げるためにこの楽器は作られたんだし。
その音色を聞いて人も癒されたんだし。
オオと思ったこと。
「ソビエトの頃はこうやって聞きました」
先生はそういうとひょいと板のイスの向きを変えた。そうすると、教会の正面に向いていたイスがパイプオルガンの方に向いたんですね。キリスト像のある教会正面に人は尻を向けることになるのだ。ソビエトロシア時代、信仰は許されなかったから、だ。
3ラッツの席はまん中席ではなかった、はしっこ。しかし、先生によると「このイスが16世紀のものでこの教会で一番古い、だからここがいいのだ」と。

8時過ぎ、すっかり薄暗くなった町を先生と共に先生おすすめの「民族料理店」に行った。
2人それぞれにサラダ、グラタン、デザート、ビール。これで、5ラッツにもならない。お金が余った、すごい。
「先生、お金、余りましたよ」お財布を見せたら、先生、ニコニコ。
10時くらいまでお話ししてバスに乗せてもらってさよならした。
「ありがとう、楽しかった、また来なさい、今度は私のところにおとまりなさい!!」
そういって先生、手をふって下さった。
こちらこそ、楽しい時間、ありがとうございました。
名残惜しかった。。

そうそ、先生のはなしでクリスマスリースのようなものの正体が分かった。
あれは夏至の時の「白夜祭」の時の冠。
お日様が一番長い日、国を挙げて華やかな歌の祭典があるのだが、そのときに頭にかぶるという。
香草で作りそれこそクリスマスまでベッドのわきに置いて香りを楽しむのだという。
考えて見れば、私がバルトの国に興味を持ったのは、アイスランドであったラトビアの女の子のせいだった。
彼女は「私の国はすばらしいのよ、美しいし、歌の祭典がすばらしい、」という話をたくさん聞かされたからだ。彼女はすごく気がいい子だった。
そんなことを考えながら、ぼんやりしていたら、バスを一駅降り損ねた。
さらに私が歩き出した方向が違っていて・・そうしたら、若い女の子が追いかけてきて「駅の方に行くんでしょ?こっちよ、気をつけて」と教えてくれた。
もう10時半だし、確かに気をつけないと。ありがとう。
3日間のリーガだったがすごくいい時間を持った。
先生のおかげ。
絶対会いに行くぞ、と決めた自分の根性を褒めたい。(よく自分を褒めるヤツだとあきれないでおくんなさい)
駅の電話コーナーでアムスのミエコの所に「もうかけないよ、次は日本からメール」と電話した。
「でも、このラトビアのテレカ、まだあるよ、次に来たときも使えそう」と冗談を言ったら、じゃまたいけば、と笑われた。(10ラッツなどという大金で買ったんだもんな、これしかないのだ国際電話用は)

明日は朝8時15分、リトアニアのパランガに行く。






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