世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年09月03日(火) ブリギッタ先生に会う

地球の歩き方に「ラトビアの小さな日本」というコラムがある。
国立の日本語学校があるというのだ。ラトビアは国民総人口200万ほどの国だ。どうしてそんな国で日本語?極東の小さな国の言葉を?
その熱意の中心になっているのがブリギッタ先生。

ちなみに北欧なんかだと日本は「極東」という表現の中に中国台湾、韓国といっしょにされることが多い。
この頃、日本人は大団体で旅をしていない。大団体のうるさい・行儀の悪いツアーグループの人たちは中国人か、韓国人である。しかし「日本人」と認知されていることが多い。言い訳のチャンスがあると、日本人はあんなにうるさくないよ、あれは中国人、とか韓国から、とか言っている、だってみればわかるモン。しかし、欧米の人にはわからんのだね。顔や気配以外の見分け方として、靴がよかったら日本人とか、白い服が真っ白だったら、日本人とかあるんだけど、まあそこまでいうとナニだし、いわないが。
中国に1ヶ月いると白いTシャツが黄色くなる。(洗濯すると)理由は、水質だ。
これは体験である。
オッと、話が横道だ。

とにかく本日の予定は「日本学校に行く」なのだ。
決めているのだ。行き着くぞ。
昨日、インフォのお兄さんにだいたいの場所をきいていたのだが、地球の歩き方にある電話にかけたら、○×△ツーリスト? ガッコじゃない。
あれ、へん???
しかたないのでもう一つのブリギッタ先生の塾「スタジオ 言語」に電話にかけた。
「日本語で話せるか」と英語でいったら、いいですよ、と日本語の返事。
おお!!
聞けば、日本語学校はもうないのだという。(2000年の秋にはあったんだよ!!)
とにかく興味があるのだったら来なさい、というので行くことにした。
場所の説明がどうも・・いまいち・・・ワカラン。昨日来たばかりだから。
あきらめて、ホテルの受付にって受付のおばさんに無理を言って電話をかけて今一度聞いてもらう。おばさん、「モバイル・・」とブツブツ言っていたが、私の勢いに負けてかけてくれた。(後でわかったことだが、ブリギッタ先生の電話はモバイルでモバイルの電話は送受信とも日本同様高い、すごく高い)
それで、その後俄然親切になって、私といっしょに所在地をさがしてくれた。
結構わかりやすい場所。
歩くと20分くらいだとおばさんはいうのでボチボチと行く。

伺うと塾は半地下の場所、大人二人が日本語をやっていた。ひとりはオスカルさんといって、12月から日本に陶芸の研修に行く人、もう一人は日本で日本音楽を学びたいというお嬢さん、彼女はこの国では有名なシンガーだという、きれいな子だった。ウィーンで勉強していたのでドイツ語ができるという。ドイツ語できる?ときかれたけど、すみません・・だった。
ブリギッタ先生は、59歳。大柄な眼のよく動くエネルギッシュな人だった。
「何故日本語を?」と聞いたら「運命でした」
モスクワで映画を勉強していた彼女は、夏休みにリーガに帰ってきて海(ユールマラ)に行った。そこでひとりの日本人の男性と会った。彼は丸紅の人で、文通が始まり・・・彼女は日本語の、特に漢字に興味を覚えて独学で日本語をマスターしたのだ。ちなみに彼女はわたしはカメラマンで漢字研究家だと言った。ラトビアでは、有名人らしい。
私は「鸛」という漢字の読み方を教えてもらった。(コウノトリ・・ですよ、読めましたか?)
まさに民間の、ひとりの人と人の出会いから始まった日本語なのだ。
国立の学校は簡単にいうと「こんな小さな国に日本語の国立学校はいらない」という大臣の鶴の一言からなくなって今は教会学校に併合されている状態だという。
ラトビア大学に「日本語科」はあるらしいが。
それでも、ブリギッタ先生の努力はすごくて「ラトビア・日本語辞典」まで作られていた。
今はこの塾で大人から子どもまで日本語を学びたいという人に教えているのだという。数十人の生徒がいるという。
夕方のクラスには子どもも来るというのでまたおじゃますることにした。

ロシアのマフィアにラトビア語を教えに行く(家庭教師だ、彼女は英語も堪能だ)のだという先生と、途中までいった。
この国で金持ちはたいていロシア人、そしてマフィアに関係する人が多いとか。
「でも、彼はバカじゃない、それにラトビア語をやろうというのは立派だ」
たいていのロシアマフィアはラトビア語なんてバカにしてやらんらしい。(アメリカ人みたいだのう)
そうそう、彼女の話でおもしろかったこと「縦書きで書くことは体にいい」

お昼は町の中心のベジタリアンカフェ。
セルフで好きなものをとって、はかりに乗せて重さ分だけ課金されるシステムだ。なんと、昆布のサラダがあった。もちろん食べた。うまかったよ。

ホテルで昼寝をしてまた先生の塾へ。
6人ほどの子どもたちのクラスでひらがな学習を見学した。
かく、かく、かく・・・・その後、発音。その後が独特だった。
壁に貼り付けてある墨書のひらがな表で、今かいた文字を見つけるのだ。
古風な学習法だ。
それでも、子どもはすごい、ちゃんと見つける。
先生の説明だと、ひとりの男の子は自分の弟が目の前で池に落ちて死んだ、その心のケアのためにここに来るのだという。
日本語と心のケア、よくわからんが、その子、一生懸命にやっていた・・不憫だ。

授業が終わったあとで、グナさんにあいに行った。
グナさんは、日本の俳句をラトビアに紹介した人で俳句の研究者だ。
犬がいる庭のある古い木造の家。
そこにグナさんはおネエさんと一緒に住んでいらした。
優しい、すごく感じのよい人だ。
岡崎に1ヶ月いたことがあるという。
「日本語の日常会話は難しいです、あなたはゆっくり話してくれるからよくわかりますが」
 そう、私は、できるだけ、正しい日本語をゆっくりと話す努力をしている、だって私も英語をそうしてもらったらわかるもん。
お庭でキャンドルをつけて、庭先で採れたブドウ、手作りのスグリのジャムを入れた紅茶、などをごちそうになった。
グナさんは英語も教えているのだという。

ブリギッタ先生も、グナさんも本来なら年金で悠々自適の生活だったはずなのだが、でもロシアが崩壊して国が独立した。老後の生活が大狂いである。
「教える」は不足の年金補充のアルバイトなのだ。
そして、そういう特技のない人は街角に立たねばならない。

ブリギッタ先生から聞いたお話でフーンと思ったこと

「日本は今経済が悪いのでしょ。でも日本大使のフラット(住まい)はラトビアで一番高いところにある」
そうなんだ、外務省・・もっとたたけばありそうな。

グナさんが出して下さったジャムは、生ジャム。煮るのではなくて、スグリに砂糖を入れて何時間も棒でつくのだという。確か煮たものとちがう味、フレッシュだった。

明日も午後から先生に会うことになった。


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