| 2002年09月01日(日) |
キフヌ一日 ウロウロ記 |
隣りのお部屋にいた日本人女性2人は、朝の船で「本土」へ。6時半に起きて見送った。朝日がすばらしく美しかった。 出る前に、お金を支払っていたが、サウナ、自転車いろいろと請求が細かくて「オオ!」だった。 ここもまた、アラスカ同様、夏の稼ぎで冬も暮らす、の典型みたい。
朝ご飯を食べてから、島の探訪に出た。 森が面積の大半を占める島。森の中に農家が点在する。 人影は日曜のせいもあって少ない。牛が草を食むのみ。村のインフォはしまっているし、1軒だけのカフェは開いていたが、なんかにぎやかな音楽が聞こえるが、それ以外、静かだった。 港からずっと続く道が島のメインルートだが、5キロほど。これを縦とすると、横は3キロ足らず。これがキフヌのサイズだ。マジにちっこい島である。 しかし、、家と家をつなぐ小道が森や草原の中に相当数あるのだ。適当に(島の小ささをなめていた)歩いていたら、見事に迷った。森の中に迷い込んだ。 延々と松林が続く。エストニア本土もそうだったが、立派な松の林がこの地方の特色。迷ったとはいえ、晴天だし、気持ちよい。迷ったままにさまよった。 さすがに、昼食の時間(2時)をやくそくしていたし、このままじゃいけないと気持ちを入れ直して、人家を探してウロウロ。森から出てきた夫婦連れに、民宿の名前をいって、絵と手ぶり身ぶりで帰り方を教えてもらった。 2時15分前に戻った。
お昼は、ブタの塩漬け肉と、人参、ジャガイモ、ハーブなどを入れた伝統スープ 、発酵黒パン、酸っぱいような(後で聞いたらヨーグルトが入っていた)どろりとした茶色の飲み物、粉末をといたようなオレンジジュース。 この島の当たり前のお昼。パルヌのインフォで、魚が食えるときいたが、魚をとっている気配はないし、昨日の夕食も、この発酵のパンと豚肉といもだった。 別のテーブルで昼食を摂っていたエストニア人のひとりが「スープはどう?」と聞きに来た。民宿の女主人がきいてきてといっているらしい。 「美味しいよ」 そう、酸っぱい飲み物も、ジュースも、美味しくない、はっきり言って。 美味しいのは自家製らしいバターとこのスープだけだ。 私の返事を聞いて手織りの伝統スカートをはいた彼女は喜んでいた。
昼からは自転車を借りて、島の北端の灯台へ。 誰もいない松林、砂の道を飛ばしてお尻が痛くなった頃についた。 もちろん、またまた無人。 バルトの海が輝いて、あの独特の波の音がするのみ。 この島はエストニアの生きた博物館、というが実になんにもない。家が古い(確かに博物館行きになりそうな家がたくさん)、島の女性が自分で織った独特のスカートをはいている・・・くらい。 まあ、ぼんやりしたい人ムキの「観光地」。 そんなの日本の離島でもできる、という人は行かなくてもよろしい。 地球の歩き方は少し美化して書いている。 私は小笠原の母島の方が好き・・だね。
夕方、帰ったら、エストニア人団体は帰ったあとだった。 今晩の客はどうやら私ひとりらしい。 またまた、いもと豚肉の夕食だ。 いやはや。別のものが食べたい。魚、なんていう期待を持たせくれた地球の歩き方とパルヌのツーリストインフォはいけないよ。 夕食後、片言の親父から、パルヌの女性のスカートの話を聞いた。 縦縞にいろいろな色がつかってあって、模様が三種。 ピンクや赤が中心のものは未婚者やだんなアリの既婚者。黒を主体とした縞は未亡人ということらしい。うん、確かに森で見たご老人は黒だったな。 つまりだ、この島の男どもはあの子はまだ未婚、とか、アイツはかわゆいが旦那持ちとか、未亡人だったら、望みアリ、とかってスカートで判断できたという訳なんだな。博物館で見たスカートがまだ織られて、穿かれているという点では「生きた博物館」ではあるのだ。 ちなみに自分のものは自分でおりのは基本。
夕食後、シャワー、すごいほどの夕焼けをリンゴをかじりながら見た。 このリンゴは庭になっているものを勝手にもいで食べる。しかし、落ちてるものの方がうまい。 どこの家も広い菜園兼用の庭に6,7本のリンゴの木がある。
今夜は私ひとり。(オヤジたちは別の家に帰るのだ) それも、カギ無しの部屋にさ。 田舎で平和ではあるんだけど、・・・少々恐いよな。 夜、全くの無音。またしても19世紀の闇と静寂。
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