世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年08月28日(水) ショック KGB博物館 タリンへ

今日の予定は、KGB博物館、ユダヤ博物館、独立バリケード記念碑。
ソビエトからの独立にあたって一番血を流したのがバルト3国の中ではこのリトアニアだ。事情的には、このリトアニア、他の2国に比べ圧倒的にロシア人が少ない。リトアニア人が国民人口(約370万人)81%を占めることにある。

今日は、こんなところを中心に見て回る。

まず、国会議事堂前にある「バリケード」
これは、1991年1月、ソ連政府が送った武装部隊に首都が囲まれたときに数万人の市民が国会を守るために立てこもった記念だ。
同じ時期に、テレビ局前では、11人の犠牲者が出た。「血の日曜日事件」といわれている。その人たちの肖像写真が十字架に記されてバリケート前に立っていた。
誰も見物人はいない。私だけ。時々、忙しそうにエリートという感じのスーツ姿の人たちが国会の建物に入っていく。バリケード前にたたずむ私にちっらと視線を送るが無表情だ。バリケートは大きなコンクリートブロックが積まれているのだが、そこには鳥がフンをしてそこから芽を出した木や草が茂り始めていた。10年という月日、その間の平和を感じた。

KGB博物館。
入り口がよくわからず通りすがりの女性にガイドブックを見せて聞いたら、いそいそと案内してくれた。
重い扉を押してはいると、すごく暗い。
ここは、以前、KGBが逮捕したパルチザンのメンバーや彼らを援助した人を連れてきて取り調べたり、ときには秘密に殺した建物。そこがそのまま博物館として公開されているのだ。
そんなビルの歴史がどんよりした気配に感じられてすでに薄気味わるいが、しかし、旅行者としてとして少しでも訪れた国の素顔にふれるためには見なければ、なのだ。美しいところだけでいいとは私は思っていないから。
 地下に降りると、薄暗い部屋。まず連れてこられた人がすべての衣服を脱がされるところ、その後、写真がとられる。後に続く部屋は、部屋中にクッションがはられて悲鳴や叫びが聞こえないようにした拷問クッション部屋(血がこびりついていた)や、水ぜめ部屋、眠らせない部屋・・・もうため息が出る。その後には、囚人(?)たちの部屋がいくつも並ぶのだ。
あらためて、KGBのすごさ、ソビエト時代の怖さを思った。
ここに入れられたのは、独立運動のリーダーたち、パルチザンだ。写真を見ると、若い。それから、カトリックの国らしく、神父さんたちが運動のリーダーとなって逮捕され、無惨に殺されている。
射殺の場所となったところがガラス張りで保存されている。
そこの部屋に入ったら、年取った男性が一人いて、優しげな感じでビデオを見るか、と聞く。ハイといったら、つけてくれた。
地球の歩き方によるとここでこういう風にガイドする人は、かつてここに入れられて生援してきた人だというが・・この人もそうなんだろうか。

外の明るいところに出てほっとした。
表通りを歩いてふっと見たら今私が出てきたKGB博物館の建物の外壁にびっしりと犠牲になった人の名前が刻まれていた。合掌

ユダヤ博物館。
はっきりいって、ぼろかった。
しかし、この町にはかつて北ヨーロッパ最大といわれる(5万人)ユダヤ人街があった。しかし、それがナチスドイツの侵攻でほとんど壊滅した。生き残った人たちも、ソビエトの、スターリン時代にシベリアに送られた。
今は5000人ほどのユダヤ人が残るのみだという。
日本のシンドラーといわれる杉原千畝さんが彼らのためにビザを書き続けたのは、かつてのこの国の首都カウナス(行かなかった)だ。

時間があったので、国立博物館へ。
リトアニアは、十字架の国といわれる。トラカイに行く車窓からも時々草原のマンナカに唐突に十字架が立っていて「ほう」だった。
博物館で年月で木目が浮き出た十字架をたくさん見た。歴史を知ると「十字架の国」にうなずける。

夕方荷物を持ってバスステーションへ。
8時45分のナイトバスで一番北の国エストニアの首都タリンへ
隣はエストニア人、タリンから北という若い男性。
クールだったけど、何かと親切だった。

北から下って、最終日にまたこの町に帰る。







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