世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年02月10日(日) 第47夜 ★ リアルタイム お遍路日記 ★ 

 2月10日 <曇りのち風花 晴れ> 歩行距離 14キロ 

 6時半、温かい朝食をいただいて、スーパーおばあちゃんがつくって下さった焼きおにぎり3個や大きなあめ玉をお接待でいただく。
 7時10分、出ようとしたら、今度は若奥さんが美味しいお芋をチンして持たせて下さった。玄関で、お二人しておくって下さる。ふりかえると、寒い中、まだ2人して立っておられた。角を曲がるまで、つまりわたしたちの姿が見えなくなるまで見送って下さった。こちらの宿のお遍路さんへの手厚いもてなしはきいてはいたが、なるほどであった。
 
名古屋のお遍路仲間であるM氏の「大鶴のばあさんはお大師信仰のかたまりだあ」というにこにこ顔が思い出される。でも、M氏は大鶴のスーパーおばあさんが大好きらしくて2回とも泊まっている。
 歩き遍路さんには「般若心経布団」をかけて下さるときいていたが、今回はそのお布団が長期の滞在者の荷物がっている押入れで、開けることができなくて残念であった。
 そういえば昨夜、95年にまわったおりにあちこちで一緒になった、千葉は袖ヶ浦のhさん姉妹の噂を聞いた。あの時はお母様も一緒だったが、今は姉妹二人で春になるとまわっていらっしゃるとか。もう7年目だという。つまり、彼女たちも「お大師病」にかかっているということなんだ、ね。何だかなつかしい。 
 
 今日は昨日の快晴とうって変わった曇り空。今にも降ってきそうである。冷え方からいって、降るんだったら雪だろうとkさんと歩きながら話す。
「いよいよ寒修行になりそうですね」
といったら、そうだねえとkさん。
 町中は連休の静けさが漂う。自転車で通り過ぎる人はみなマスクや耳あてをしている。
 18番恩山寺までは、県道か国道の平坦道。楽ではあるが、退屈な道だ。大鶴さんでも話したのだが、いくらのらくら歩いても、昼前にはつく。昼には19番立江寺まで。そこで、今回は打ち止めだ。夕方7時の飛行機までかなり時間があるが、ここで止めておくと次回、始めるのに何かと便利だ。
 歩きながら二人の話題はなぜか夏遍路。
「お父さんがやりたがっていたから、私も行きたいんだよね」
 とkさん。
 kさんのご主人は、1996年7月の暑い盛りにひとりで出られて焼山越えあたりで足を痛められて戻られたのだった。
「いいですけどねえ、私は夏にはまけるなあ、高知あたりを歩いたときは尋常の暑さではりませんでしたよ、ウーン・・・・」
 体中がアセモだらけになった夏遍路、日中は日陰で昼寝した夏遍路、いいけどねえ、あたしは冬遍路の方が好きだなあ。
 とにかく次回は、防寒着が要らなくなったら出ましょう、ということになった。今年は、春には父母を連れて午年ご開帳の秩父参りに行くつもりだし、巡礼年となりそうだ。

 今までは、kさんも私も国道に出ていたのだが、県道を行ってみることにした。
 冷田橋あたりで、コインランドリー発見。野宿の人の洗濯に便利そうだ。
 しかし、県道ルート、歩道がない。それがこわい。安全性からいって、やはり恩山寺まではうるさくても国道がいいように思う。
 途中で、自転車に乗って前から来られた女性が「お遍路さんにおうたらあげよう、思うていたんよ」とkさんと私にそれぞれ500円玉をお接待下さった。
 南無大師遍照金剛を3回しっかりとお唱えしてご健康をお祈りしますと、お礼の言葉と共に申し上げた。

 ついに山が白くなり、雪が舞ってきた。
 kさんとひどくならないうちに「保険」をかけましょう、とザックにカバーをつける。体はすでに防寒具兼雨具で固めているし。
 やがて国道合流。もうすこしだ。
 それにしても国道はうるさい。以前は野原状態だったところに老人ホームなどがドデンとできていて景色も少し変わっていた。
 遍路ジルシの指示で、右に入り10時過ぎに恩山寺着。
 
 山門前のビランジュの大木はお元気さんだったが、坂の上に大きな「修行大師像」ができていた。見上げるとまだお顔に白い布の覆面状態「開眼式」がすんでいないらしい。
大きな威風堂々とした大師像だが、本来の遍路道?に背中を向けているのは気になる。車お遍路が登ってくる方をむいておられるのだ。
 どっちにも平等な建立のしかたがなかったのかしら。
 数の少ない歩きお遍路より、車お遍路が・・・ってことは、まさか、ないよね。  

 恩山寺はお遍路さんでにぎわっていた。
 境内のベンチにいた若者遍路と話す。
 鶴林寺のふもと、金子屋さんに断られたのでもう一軒の宿に行くという。
「あなただったら、21番の麓まで行けるんじやない?」
「いあや、初めから無理したくないし」
 オオ堅実。まじめそうな男の子である。
「そうや、無理じゃろ、やめといた方がいい」
 となりにいたおっちゃんが言う。
「でも、若い子は馬力あるしねえ」
「わし、この前歩いた、きついで、無理せんとき」 
 きけば、このおじさん、近くの人。春先に歩こうと思って練習をしてるという。自信がない、室戸までの道は長いやろ、という。
「2泊3日あれば行きます、四国の人はどのくらい遠いかわかるから初めから挫折しているけど、遠くから来るモンは実感がもう一つないし、行けるみたい、大丈夫、歩けばつくから」
 そうか、とおじさんはうなずく。
 ここで、あと二人、男の子のお遍路に出会った。

 お参りをすませて、境内に出ていたお菓子屋さんのお接待のお饅頭とお茶をいただく。ものすごくおいしい饅頭だった。餡はあさりとしたさらしこしあん、皮にはヤマノイモをすり込んだ「ジョウヨマンジュウ」という上品なヤツだ。
 なさっているのは、若ご夫婦とおばあちゃん、二人の小さなお孫さんもいる。
「今日が初めてのお接待なんですよ」
 とにこやかにおっしゃる。
 お礼と共に、ご宝号を唱えて商売繁盛をご祈念する。

 立江寺まで4キロ近く。これもまた、ヘイタン道。
 恩山寺から立江寺への道しるべに中司茂兵衛の遍路石があった。新居浜の遍路石探しのおにいさん、これは見つけただろうか。
「探すのに苦労するンは、庭先や屋敷の中に移されてしもうたやつなんや」
 といっていたし、これは彼の目に触れただろう、とkさんと話す。
 お京塚の手前で「22番平等寺までお迎えにあがります 民宿みゆき荘 0884− 34−2144」という手作り看板を見つけた。
 22番近辺は宿がなくて困るところだ。
 でも、もしかして、これ、私が95年に泊めてもらった宿?ではないか。22番から、確か2時間歩いた。途中で腹が立ってきたもんだ。お迎えがあるんだったら、いいかも、だ。あのときは、確か鶴林寺のご住職さんが教えて下さったンだっけかな。
 空は晴れ上がってきた。
 風や空気は寒いが、もう雪や雨の心配はない。

 12時過ぎに立江寺着。
 行き違いで、恩山寺さんであった若者クンにであう。杖で方向を示して、こっちでいいのかときくから、いいよと返事をした。
しばらくしてなぜか彼、戻ってくる。
「どうしたん?」
「納経、忘れた」
 っは?? なんと、彼、お参りはしたものの、寺務所に行かないできたらしい。
 かわゆい、おドジなヤツじゃ。
「アンタ いくつ」
「高校終わったとこ」
「若い、もっと上にみえるね」
「いわんとってな」
「何でお遍路しているん」
「ワカラン、お母ちゃんに行って来い、いわれんや」
ワカラン、には笑ったが彼は兵庫の子。働きに出る前にと、お母ちゃんが郵便通帳にお金を入れてくれたらしい。
「じゃ、お母ちゃんには毎日電話しているんだ、スポンサーだし」
 大きくうなずく。なりは大きいし、老けた顔をしているがこの辺は幼い。
「いいおカアさんだねえ、ホント若いときにお遍路したら財産になるよ、がんばるんだよ」
 彼、大きくうなずいて出発していった。

 立江寺の本堂前には日溜まりができていた。
 ここも休みとあってお遍路さんでにぎわっていた。
 お遍路でお寺がにぎわうというのは、まあ平和ということ。昨今の不景気、あやしい事件はいろいろとあるが、とりあえずは戦争ではないということに、ありがたく感謝すべきことだろう。
 以前、戦争の時はお遍路さんがまったくおらんようになった、と32番さんできいたことがある。
 お寺の寺務所で納経をしたら、歩いているですか、今日は金子屋さんは休み・・といわれた。いいえ、ここでうち止めて帰ります、バス停はどこになりますか、時間は?ときいたら、JRの方がいい、1時半のに乗れるしという。いいです、2時過ぎくらいにあるバスに乗ります、できるだけ長く境内にいたいんです、こちらでおにぎりをいただいてから、2時のに乗りますから正確な時間を・・というも、長くいたい・・がよく理解してもらえなかったらしい。とにかく教えてもらってヤレヤレ、と本堂前の日溜まりで大鶴さんでいただいたおにぎりを開く。
 そばには、あとから到着した2人の若者遍路。
「私ちのおにぎり1つあげようか、3つあるけど2個は自分で食べる、1ヶだけあげる、食べる?」
 2人、大きくうなずく。
 食べながら話す。
 22歳の子はなんと新潟から。おじいさんが真言宗のお坊さんで最近なくなったから、供養をしたいんだという。彼は、かなりうまくお経を読んでいたが、そういうことだったんだ。最後に「先祖供養」といっていたから、こんなに若いのに、と思っていたのだがそういうことだったんだ。就職の前に来たのだという。
 もう一人は千葉柏の子。大学生だという。
「どうしてお遍路に」というと「何となく」という。彼は杖はもってるが白衣は着ていない。
 二人は、歩き用の地図をもっていないし、善根宿などを教えて、お接待でいただいたアメやお菓子を上げた。
「2人ともまじめそうな子だよねえ」
 kさんの一言。
 賛成である。

 二人を見送り、お遍路着をぬいで杖を洗い、お杖袋に納めて、バスに乗った。
 小松島のバスセンター近くに「金長タヌキ郵便局」とういのがあって笑った。
 徳島駅ビルでインド料理専門店をみつけて入る。kさんとビールで乾杯。お遍路着を来ているときは我慢、と決めているが。極楽だった。
 ビールを飲みながら、携帯とシグマリオンをつないでメールチェック。青年Aに出したメールがリターン。なんでだ? 返信で出したのにはじかれている・・・。
困ったね。あちらから情報SOSメールが来ても返信できんないじゃん。

 ほぼ満席のJAS、19時05分発。
 羽田でkさんに共に歩いて下さったお礼をいってお別れして、9時半過ぎに帰宅。
 無事をお大師さんに感謝。
  
 
出費
 宿代 5000円 納経代 600円 バス2回 430円×2 食事1630円
 おみやげ 2300円+1102円 バス1100円 
 


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