世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年02月09日(土) 第46夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★

2月9日<土曜 晴れ 風強し> 歩行距離 28キロ内 車お接待12キロ

夕べは車がうるさくて時々目が覚めた。それでも疲れでまた寝つくのだが。6時半朝食。朝からサンマの焼き物や厚焼き卵などのごちそうが並ぶ。どちらもうまい。夕食の時「お遍路さんやし、魚にしたわ、肉はよけた」といわれたが、朝食もそうらしい。

食べ始めたら、大将<昨日はおっさんで登場>が「迎えがきとるで」。思わず、はあ??
「昨日、送ってきてくれたにいちゃんが、またきとる、あんたらを童学寺まで送っていくいうとるで」
「エー、私たち、なにも頼んでいませんよ」
「そんでも、まっとる」
 ありがたいことというか、びっくりというか。
食事を終わって、kさんのエネルギー源であるコーヒーを頼む。久しぶりに本格コーヒーを楽しんだ。
私たちが食べて飲む間、大将は「ゴルフ客を当て込んで作ったペンションだけどバブルがはじけて、瀬戸大橋ができて当てがはずれた」などといろいろと話していた。「お四国さん」にはサービスをするし、ほかの客よりやすくするから来てほしい、らしい。
 宿代を払い、支度を終えて外に出たのは、7寺すぎ、遍路石リサーチャーのニイさんは外で待っていてくれた。
外の空気は昨日よりずっと暖かい。最高気温は昨日より低いらしいが、朝の冷え込みは和らいだ。
「童学寺まで送りますよ」
ありがとうございます。
お言葉に甘えることにした。
走ること5分あまり、あっという間に別格霊場2番童学寺に到着。

「この辺な、狭い地域にものすごいお寺や神社が多いんじゃ、どないなっとんやろと思うで」
茂兵衛さんの遍路石探しにこの辺もすでにいろいろ踏査したようだ。
童学寺の寺内で毎朝お参りに来ている方にお会いした。
お寺の境内には隠れキリシタン灯籠や、見事な藤棚があった。でも、別格はお参りの人が少ないのと朝早いので、落ち着いた雰囲気が漂っている。
一頭の白い犬が、ついてまわる。納経所の人が「団体のお遍路さんが来ると、えさをくれよるからな、またもらえると思うとるんじゃろ」
 私たちがお参りする間、遍路石のにいさんは、せかしもせずに待っていてくれた。
 次は13番大日寺へ。
「恩山寺まで行くし、乗せていこうか」
といってくれたが「ありがとうございます、でも大日寺からは歩かせてください、徳島市内の大鶴旅館を取っているし、そこまで歩きます、あんまり楽したらいかんと思うし」
 またまたあっという間についてしまった。
にいさんにお礼のお札を差し上げて「これからはまわるときに遍路石に気をつける、もし見つけたら連絡をする」と約束して別れた。ありがとうさんでした。

「プチペンションやすらぎ」から、童学寺往復8キロ、さらに大日寺まで4キロと少し。半日仕事だと思っていたのに9時前についてしまった。車という文明の利器の便利さ、早さを改めて感じた。
でも、人間のできていない私には、この楽さが怖い。
「やっぱり、苦労してこその遍路道、私はまだ人間ができていないから楽になれると、どんどん乗りたくなる、楽したくなる、乗せてもらうのは難しいですね」
 kさんもうなずいた。

大日寺、次の常楽寺、国分寺、観音寺、17番井戸寺7,8キロ。ゆっくりと歩いた。
へんろみち保存協力会の札が見えなくなっているのを手持ちのマジックで濃くしたり、道しるべの「南無大師遍照金剛」と書いた布きれをわかりにくいところに結んだり、と、いろいろと道草をしつつなので時間がかかる。
これをできるのも、車お接待を遍路石ニイさんからいただいたおかげと感謝した。 
途中、常楽寺で、腰の曲がった小柄なおばあちゃんと一緒になって、そのおばあちゃんも歩いて16番観音寺さんまでいくという。後になり先になりして進む。


国分寺から観音寺までの道、新しい道路ができていた。
観音寺は工事中。
またお遍路石兄さんに再会。彼が、いろいろと情報をくれた。柳水庵で一緒だった青年Aは10時半頃には井戸寺を出ていったらしい。おお、迷わずに旅しているようだ。千葉からの65歳女性は旅館の人に大日寺まで車で送ってもらって乗り物で動いているようだ。あしをいためたのでは。。。。私たちと別れてから彼は二人と会ったらしい。

納経所の窓口にいくと、受付に出てきた女性が「窓口のガラスどんどんたたいて壊す人もおるしなあ、お遍路さんもいろいろじゃ」という感じで話し出して「さっきはびっくりしたで、納経料をごまかそうするんじゃ、観光バスのガイドしよる女の人じゃけどなあ、あんなんは初めてやわ」
 
大型バスなので納経帳がたくさんある。出されるままに書いて後からお金をもらう。その女性ガイドさんは、うけとった納経帳はどんどんしまってしまって袋のふたを閉めて、かたずけて、最後に一冊だして、納経所のおばさんが書くと、じゃこれの分です、と300円だけを渡していなくなろうとした、まだほかの分もらってない、というと謝りもせずに、しれっと黙ってお金を出した・・・。
 つまりトリックプレーというわけ、あたかも前の大量のものはお金は先に払ったように見せて「これの分です」と一冊分だけ出しておしまいにしようとしたわけであります、子供だましみたいなトリックだが、ひっかる納経所もありそうな、、、気がする。

昼食、観音寺近くの神社境内にて。残っていたパンやミカンを食べたら荷が軽くなった。日溜まりは春先のようにあったか。風が吹かなかったら4月といっていい感じ。

観音寺で聞いた団体バスらしいのには、次の井戸寺で会った。「たぶん、あの人だねよねえ」
私とkさんは、その愛媛のお遍路バス会社のガイドの女性を眺めてしまった。
「罰、あたりだよね」
「お金をもうけたり、人をだましてももうけたいってんだったら、お遍路バスのガイドなんてしないで別の仕事がありそうなもんなのにね」

観音寺で帰るといっていたおばあさんとまた井戸寺で会った。
「また一緒だね、ご縁じゃったね」
「おばあちゃん、観音寺で帰るといっていませんでしたか」
「そうやけんど、常楽寺でお大師さんに無事に歩かせてください、とお願いしたしな、お礼わんとならんし、井戸寺までき てしまったわ」
おばあちゃんは、自宅に近い井戸寺のお大師さんにお礼参りに歩いてきたらしい。
バスの時間まで待つというおばあちゃんに、待つ合間になめてと、あめと小さなおかきの袋をお接待した。柳水庵でいただいたお接待袋に入っていたものだ。

徳島市内への道をてくてく歩く、国道沿いのつまらない道だ。しかしこの8キロを歩かないと旅館に着かない。風が強いので笠があおられて歩きにくいが、仕方ない。
途中、100円のお接待と、お茶のカンのお接待をいただく。
4時半大鶴旅館着。
おばあちゃんが、お杖を洗ってくださる。

夕食の時にkさんが自己紹介をするとあのkさん、、、、事故で亡くなったと聞いたときはホントにびっくりしたというかショックやったと奥さん共々におっしゃる。
kさんのご主人の「旅日記」を前に思い出話になった。
kさん、ご主人に供酒。私が供えたいっぱいをいただく。
おばあちゃん85歳。頭も口も切れるスーパーおばあちゃん。この春は徳島一刻をバイクでお遍路なさる予定だとか。脱帽。
二匹の黒猫を愛情たっぷりにかわいがっておられた。

食後に1時間はおしゃべりした。
いい宿だ。

明日は18番と19番を打って帰る。

出費
宿、洗濯の乾燥機代、コーヒー 7500円  納経 1500円 


 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加