世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年02月08日(金) 第45夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★

2月8日<金 晴れ>  歩行距離 22.2キロ 4キロ車お接待

6時半近くに、朝食。すごいごちそうだ。7時すぎに、柳水庵のおいしいお水をペットボトルにいっぱい詰めて出発だ。次にくるときまで元気でいてくださいと、ご挨拶してお別れする。
前回から6年すぎているがあのときもそういっておわかれした。今回もそう。きっと大丈夫だろう。台所からものを運ぶのがきつくなったようでが、それくらいだ。変わったのは。

ちょうど山から昇った朝日が金色の光を放って美しい。
静かで清らかな山の朝だ。
「やほー、うれしい!!!」
お日様に向かって、大声で叫んでしまった。
青年Aは、13番大日寺の門前まで行くので一足早く出た。65歳の千葉からの女性は植村旅館さん泊まりなので、植村さんが荷物を取りに来てくれるとかで軽装。焼山越えの後半、荷物がないのは楽だろう。ほんの少し先に出たばかりなのに姿が見えない。

後半は杉林の中を抜ける道が多い。ゆるゆるとした登りだが、続くのできつい。途中で千葉女性に追いつく。一緒にミカンを食べながら、休む。昔は一気に登った道なのに、それができない。
年、ですね。
やがて、一本杉庵<浄連庵>だ。長戸庵と同じく全く山中の庵だ。
大きなお大師さんの像が出迎えてくださる。
「このごろ、当庵の主だという人が時々いるようだが当庵は、無住で、信者たちがまもっている云々」の張り紙があった。住み着いてくれる人がいるんならそれの方がいいんじゃないかと思うんだが、それは素人考え?か。

左右内<そうち>の村落に出て休んでると、梅の木の世話仕事のおじさんに会う。
年を聞くと74歳、おじさんではなくておじいさんだった。でも若くて、とても70代には見えなかった。
山中のきれいな空気、お日様を浴びた生活などがいいんだろうな。
「梅もなあ、中国のやすいのが入ってきたんで、もうだめやなあ」
遙か向こうの山に雪が見える。暖かい徳島、いつ降ったんだろう。
「昨日じゃろ」とはおじいさんの言葉。昔は1メートルも降ることがあったようだ。
畑際に小さなお墓がある。
「お年路さんの?」ときくと、いや昔のご先祖のんやな。
みると、文化年間だったりして、すごくふるいものだということがわかる。
土葬の時代だから、死んで土にかえって梅の木の栄養になっているというわけだ。いいねえ。

いよいよ、垢取川を越えて、焼山越えの最後の山場だ。途中の道でもおばあさんや梅の世話をしている人にあう。
3回目にして初めてこの村でこんなに人にあった。やはりあったかいせだろう。
「この先50分の登り」の道しるべが出ていよいよ道は急坂へ。
途中で、あつくて仕方なくなり着ていたセーターを脱ぐ。あがらない右足君をいたわりつつ、進んでは休み、杖にすがりでなんとか50分で焼山寺着。駐車場や、手すりが新しくなり焼山寺さん、ずいぶんと近代的になっていた。変わった。
でも、山中の澄み切った空気や山寺独特のりりしさは失われてはいない。
kさんと私がお参りし終わったところに千葉女性到着。よかった、よかった。
境内の日溜まりでゆっくりと休んで、おやつまで食べる。
焼山寺の奥の院に登りたいと思い聞くと、往復で一時間10分。境内から見える三角形の山と教えられる。時間を聞いて次回、と決めた。今日はこの後まだ16キロあまり、少し無理だ。

焼山寺からの下り、kさんの亡きご主人が足を痛められたところ。気をつけてゆっくりと降りる。実際、下りは登りより膝によくない。
衛門三郎の一本杉庵近くでミカンのお接待をいただく。
一本杉庵には衛門三郎とお大師さん邂逅場面の彫像までできていてkさんと「新しいねえ、初めてだね」と話す。
この付近は梅が名物。梅林中の道しるべなどがすごく充実している。ここに限らず道しるべはあちこちにあって地元の方手作りの立て札が多くなった。ありがたいことだ。これで初遍路の人が途方に暮れることはほとんどない。加えて逆打ちようの道しるべも多くなったのにもびっくりだ。

鍋岩のところにも新しい美しいトイレができた。休憩。12時50分、玉が峠越え道に進む。これが思ったよりも厳しくて、また一汗ものだった。初遍路の時はさして厳しい、と思わなかったのだが、これも年かねえ、むなしい。平地は強い私だが、kさんは登りになると俄然スタミナ発揮、強い。さすがにフルマラソンをご主人と走ったお人だ。

てくてくと下り道を1時間あまり。梅がふくいくと香る。空は青く。
「今回は車のお接待で乗りなさい、といわれたら素直にありがたく乗せていただくつもりでいるのにちっとも声がかからないね」
「歩くぞ、と思っておると声がかかるもんなのよ、きっと」
とkさん。
そうなのかねえ。

鮎喰川沿いに出て、私もう疲れた、、、ぶちぶちといっていたら、軽トラックが止まり「今日宿はどこや?」
とおっさん。
「プチペンションやすらぎ」 

「わしとこや、もう8キロはあるで」
はい、しってますよん。よくよく聞くと、おっさんはペンションの主であった。
近くになんか荷物を運んで仕事に来たようだ。
「この荷台に乗せてほしいわ」
 半分冗談、少し本気で言ったらおっさん「あるく人はこだわっておるしなあ、やたらに乗せられんわ、この前なんか、あんまりこんし車で迎えに行ったら、懐中電灯をつけてがんばります、歩いていきますいうんや、まいったわ」
そのお人は乗ってはくれたものの次の日また焼山寺まで車で戻って乗せてもらったところから歩いたらしい。そんなこともあって、おっさんは車に歩きの人はやたらに乗せられん、声はかけんときめているらしい。
 私らは3回目だしこだわらん、といったら「はじめての人がこだわるわなあ、ごっつい」
そうでしょう、そうでしょう。私もそうでしたし、はい。
「そうや、にもつ、のせていってやるわ」
 オー、それだけでもありがたい、ぐっと楽になる。
 喜んでお願いしてまた歩き出す。背中が楽になっただけでも極楽だ。

後4キロ地点休んでいたら、焼山越えの山中で昨日会ったお兄さんが車で通りかかって再会。ペンションまで乗せていただく、初めての車尾接待を受けた。ありがたかった、一時間の道のりがあっという間だった。
お兄さんは新居浜のお人で中司茂兵衛いの遍路石のあり場所を調べているんだそうな。240もあってまだ60しか調べとらん、とんでもないことひきうけた、と嘆いていた。
私たちが駐車場で話していたら、おっさん到着。

お風呂、ご飯、と毎度おなじみのお遍路の定番。私は仕事のfaxが来て少し仕事。昨日はさすがに山の中、携帯の入りがよくなかったので日記のアップができなかった、で、宿についたとたんにした。

おっさん、食事をしている私たちを相手にこのごろのお遍路さん、お寺のこと、商売のことなどをいろいろと話す。
この主人、いい人だと思う。部屋は新しくてきれい。

今日は疲れた。日記をかかずに7寺から2時間眠った。ただいま22寺すぎ。これをアップして寝る。
明日が最後5泊目だ。

今日の出費
宿代 5000円 納経代 300円


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