2002年01月29日(火) |
第35夜 七年ぶり・・・北京 おなつかし日記 |
朝11時にでたバンコック、北京にはほとんど夕方着きました。 乾燥しきった空の色。夕焼けが異様にキレイです、しかし寒い。 「北京的秋天 最好」<北京が秋が一番いい、美しい>と習ったことを思わず考えるなり、北京の夕暮れ、であります。 そう、「北京的秋天 最好」か? をチェックするために来たような北京。4日間の滞在です。 ホントはスヌちゃんと待ち合わせるはずだったんだけど、お仕事が忙しいらしくてダメになりました。 趣向を変えて、日記メモふうに記録していきましょう。
*** 第一日 ****
空港で「国際飯店」行きのバス<民航班車>をきいたら、英語で答えようとする北京人にびっくり。オリンピックのおかげ? 無事についたが、私の目指す国際飯店YH(青年旅遊宿舎)は、ゴージャスなホテル裏の寂れた建物。 まあ、一晩50元だから文句はいえんが。 受付の若い女はにこりともしない。国際飯店ゴージャスホテルの受付で、ここの場所をきいたんだけど、そのときは愛想良かったのに、えらいちがい。 「アンタは電話で予約したのか?」 どうやら、私の予約がいないようだ。 まあ、中国。そんなこともあるでしょう。 「そう。話した人は男だった、約半月前」 すんなりと通ったが、これが満員だったら、一悶着起きるとこだった。 同室者は上海から来た親子。 2週間滞在して北京をしっかりと見物するんだという。 かつては、中国人と外国人のホテルは厳然と分けられていた、中国人と同室に時の流れをしみじみと感じる。 記憶の底にこびりついていた微々たる中国語で、上海人親子と話す。 彼ら、フレンドリーで親切だ。 食事をしに北京駅ちかくの食堂に行ったら、私が食べているわきで男が唾と痰を吐いた・・やっぱりやるのね、そのくせ直っていないのね。どれだけきれいなカッコしても・・私は気持ち悪くなって吐きそう・・。 笑顔のないレセプション、痰・唾・・中国人は変わっていませんでした。 わすれるとこだった、トイレもくさい。 れいのごとく、使用済みトイレットペーパーかごがあった。この辺も変わってないわーあ。
***** 第二日 ********
ホテルを出て、建国街大街通りを歩き始めたとたんに道を訊かれた、それも続けざまに。 「私は知らない、外国人だから」 というと、初めの女性は「リ−ベンレン マ? ソーリー」ときたもんだ。 次の男は「ちっ、リーベンレン」という感じで。 とりあえず王府井へ。もう変わりすぎ。ホコテン、けばいビル。こぎれいな土産物屋。 どうしたの、王府井・・状態。 マックは言うに及ばす、あらゆるファストフードがある。 ボチボチとなつかしい景色を求めて北へ。 北馬司<ベービマス>あたりまで行くと完全になつかしい景色あり、だ。 一ヶ月お世話になった中央戯劇学院がある東綿花胡同はかわっていなかった。ただ、そのころあったお店はきれいになっていたが。 いつも昼にいっていたきっちゃない水餃子屋はなくなっていた。 スヌちゃんが、昼飯にレーメンを食べていた学校の門真ん前の店はきれいになっていた。 1ヶ月滞在の最後の日、ヤマちゃんと、スヌちゃんと三人で昼にいったら「今天算了」<今日は、金、要らない」>とぼそっと言ってくれたおっさんはおらぬかとのぞいたが、いなかった。 今日はセンチメンタリジャニーだった。 陽が落ちると真冬のように冷えこむ。息がしろい。 天安門あたり、空気が悪すぎて排気ガスでけむっているよ。北京市民、喘息の人が増えたんじゃないか? 町中に車椅子の人が目立った。
>>>>>>1月29日 本日のできごと>>>>>>>>> 寒い朝。富士山がくっきりである。 クジラレターを書く。10号なので、第2部突入で、継続の申し込みお願いのお便りも入れないといかん。忙しい。
10時前、スヌちゃんから、気をつけてね、という電話。ありがとう、です。
夕方近く、kさんが「明日、気をつけていって」と、かわいいネコのはがきと共に来てくれた。彼女は、Mさん<ハワイに同行>も私も、忘れる、アッというドジを踏むことを心配しているようだが、まあそれはKさんもそんなとこあるしな、同病相哀れむってとこか。 足の踏み場がない状態の我が部屋だったが、あがってもらって、一緒にコーヒータイム。Tさんからもらった横手名物の柿羊羹がうまかったっす。
新聞社のS氏から、PCの新種ウイルスについてのFAXをいただく。添付を開くと移るというタイプみたい、クワバラクワバラ、だ。
まだ、やることがいくつも残っている。夕飯食べているヒマもない。カップヌードルだ。今度はわすれんようにしないとな。
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