2002年01月23日(水) |
第29夜 ベンチシート型トイレのある エフェス遺跡 |
朝。六時ころ、明るくなりかけに、鶏がでっかい声で「コケッコッココウ」と、トキの声を上げたのにはびっくり、そして笑いました。また寝ましたけど、コーランより早かったですね、鶏の方が。
昨夜は「ここはぼくたちが冬を過ごす居間なんだ」と説明があった室内のテーブルでディナーをいただきました。 朝食はお庭のテーブルです。パン、チーズにオリーブ、卵料理、コーヒー。トルコ人にとって、オリーブは日本人の梅干しみたいなモンなんでしょうね。どんなときにも出てきます。
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ドルムシュに乗ろうと、乗り場に行ったら「トルコジーン」て感じのお腹のでた威厳ありそうなおじさん<おじいさんに近いか?な>に、日本からか?と声をかけられました。 ごくごくチョウ簡単な英語、後はトルコ語。そして私の勘、でわかったことは、若いときに船に乗っていて日本に行ったことがある、東京、銀座、横浜に行った、日本はなつかしい、日本好き・・ということみたいなのです。 この町に住んでいて、お店をしている・・私について来い、ついて来い・・としきりに誘うので行くと、ブドウ棚の下のお茶屋でシャーイをごちそうしてくれました。 もっと話したいけど、私はトルコ語はまったくわからず。彼、英語はほとんど話せず、こういうとき現地の言葉が話せたらな、とくやしく思います。 ごちそうになった礼を言って、ドルムシュでセルチュクにでました。 今日は飛行機の時間まで「観光、観光」です。 *** ここで唐突にまたまたエフェス講座 *****
紀元前10世紀ころからの都市国家遺跡。アレクサンダー大王だの、ローマ帝国の勃興だの、の時代を生きた都市。最盛期は紀元前133年にローマ帝国の支配になってからで、一時は人口25万人を数えたこともあるとか。<これって、もしかして今のセルチュク市街より大きい人口だったりして>
教会堂、初期キリスト教の遺跡や、大きな図書館、劇場、大理石通り、娼婦の館、公衆トイレ、公衆お風呂まで残っているトルコのみならず世界でも指折りの大きな遺跡である。 ***********************
寄ってきた客ひきニイさんをぶっちぎってまず向かったのは、エフェス博物館。 クジラ好きとしては、イルカに乗ったエロスの像とか体中に卵みたいなヤツをくっつけたアルテミス像が見たい・・のでした。 イルカに・・は小さな作品でしたが、ここエフェスが海の文化の地だったことを改めて意識させられました。イルカは、今も時々気まぐれか、イルカニズム<イルカ的ヒューマニズム・・あたしの造語>かで、海でおぼれかけたニンゲンを助けたりするけど、この時代にもあったのか・・なんてことを想像しました、ね。 さて奇怪なアルテミス像、おもしろかったです、ホント。エジプトの神を連想させる立ち姿、でも、胸にはぎっしりと卵のようなモノをつけて・・白い大理石だから、「タマゴ」の感じはとても強い。 さらには腰から、脚にかけて、神や動物の彫像をこれまたぎっりちとレリーフしてある・・なんか不思議というか奇怪というか、生命を司る、という説明に何となく「そっかー」でした。
エフェスの遺跡までの道、久しぶりに歩くぞ的にボチボチ。しかし、のってけの車がうるさい・・頼むからほっておいてよね・・。
遺跡近くのレストラン前、なんと昨日の女の子と一緒だったおじさんがいるではないか。 「昨日会っただろ、案内するよ」 「いくらなの?」 「50ドル」、といってから、おっさん、片目ウインクしました。 ヤッパな。 昨日の子はお金、最後に取られたんだろか。それともあの子は若い女の子だったから、オッさん無償奉仕? ンなことないよなあ・・・わからんなあ??? オッさんの誘いをきっちりと断ってまたまた歩きました。
そして、遺跡。今度は「ガバメントエージェンシー」なる男が、タクシーのお誘い。ここは入り口ではない、入り口は反対側だ・・ここからタクシーで反対に出てここまで歩く方がいい・・。ウソを言え、ウソを。 私が怒ると、 「ここから行くのはノーマルではないという意味だ、ここからは登り道できつい、反対に出ると、またここに帰らねばならない」 この言い分は多分、そうまちがっていません。さっきの50ドルオジも、途中であったお巡りさんもそういってた。さ さいしょからそういえよ。 夕方5時半くらいには空港に行かなくてはならない私には、時間のゆとりがありません。 この道を往復するのは時間的にきついかも・・ということで、この客引きの話にのって10ミリオンのところ、結局7ミリオンでタクシーに乗りました。 <この7ミリオンも乗って降りてまだ異様に高い、と気がついたがあとの祭り・・ぐやしい> 遺跡は・・。うん、確かに見応えのある遺跡でしたよ。 私には、ものすごく壮麗な図書館のすぐ近くに公衆浴場や、公衆トイレ、娼婦の館があるのがおもしろかった。
なじみの娼婦とこによって、公衆トイレで用をたし、その後お風呂。さいごに図書館で本を読む、借りる<貸し出しが今のようにあれば・・ですけど、なかっただろうな・・> なんてことができちゃう距離。おまけにトイレはベンチシートのしきり無しがから、用足しながら知り合いと話したり、やあやあ、アンタもここへ、なんて空いてるとなりの「穴」をすすめたり・・・。
写真、たくさん取ったのに・・ああ〜〜〜〜全滅なのがマジにクヤシイ。(=_=) リベンジしにトルコに再度行くのはいつのことやら・・・。トルコ行きの旅があたる懸賞でも出すか・・。
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夕方、ホテルの方からイズミール空港まで有料で送ってもらいました。 けっこうな高速道路でした。 飛行機のお客もバスの客層とはまったくちがっていました。 イスタンブルのケマルアタチュルク空港。 タクシーのお誘いを蹴散らしてバスに乗りました。 バスの中で、おもしろい華僑系のインドネシア人に会いました。 会話再録 「****」<中国語> 「私は中国語はわからない、英語で話してくれる?」<チョーつたない中国語> 「アンタ日本人?」<英語・・以下英語> 「そう」 「旅行か?ひとりか」<ニコニコしながら> 「そう」 「私はひとりで旅行なんてできないよ、えらいな」 「あなたは今ひとりでしょう?」 「仕事、ところでアンタは今夜どこに泊まる、そこはいくらだ?」 「ペンション。25ドル」 「そうか・・」<携帯を取りだし、ホテルの交渉をはじめる、どうやら私からホテルの相場を聞いてぼられないようにしたかったらしい>
会話再録中止・・めんどうじゃ・・すまぬ
おデブで、いかにも抜け目のない華僑のおっさん、仕事は輸入の絨毯や家具のトレード。北海道や大阪、東京にも行ったことがある。トルコ語も日本語もできないけど、どちらもお金の単位だけがいえるのがご立派でした。
私はインドネシアに行きたかったけど、戦争で危険になったからキャンセルした、といったら、バリは平気だったのにと。 「アンタは1000円でとてもいいホテルの泊まれる、インドネシアじゃ」 1000円、のところは「センエン」とおおさんはいいました。 商売人だと脱帽
こうして私は無事にひとりでジョシュクンペンションに帰ったのでした。
>>>>>>>>>1月23日 本日のできごと>>>>>>>>
クジラウオッチ原稿を書いた。書きたいことがたくさんあって、3枚に入れるのに苦慮。 でも好きなこと、書けるって幸せだなあ。(^^) あんパン半分<後半分は昨夜お腹空きすぎで眠れないので食べた>と豆乳、カップ麺<それも、つくったことを忘れていたんで伸びたヤツ・・お腹が空いていないと食えない代物>、コンビニで買ったバターロールのツナサンド、ドトールのアイス、リンゴ一個、と言うわたしの食生活はなんだ? 冷蔵庫のモノが腐っている・・・。 夜、Mさんと食事。美味しいイタリアンで「貧困な食事」の恨みを晴らした。 TVで久米さんと筑紫さんを見ながら、ヘマタイトの携帯ストラップと、ブレスをつくる。スヌちゃんへのプレゼント。ヘマだけではなんとも色気がないので、ローズクオーツを入れた。TVに集中すると、玉が滑って抜けたり、数を違えたりと悲惨。
鹿児島のクジラさん、どうなったかなあ。助けるだのなんだのいっているけど、無駄な抵抗だよねえ。弱肉強食の海の世界、あんな状態で海に戻っても所詮死ぬ。ニンゲンの安っぽいヒューマニズムだよね。 それよか、あの漂着した町の予算であのたくさんのクジラを始末<焼却のはず>することに同情してします。 私は、冷たいのでしょうか。
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