2002年01月22日(火) |
第28夜 野越え、山越え シリンジェ村へ |
セルチュクはエーゲ海に面した古い町です。 ギョレメでは夜になると冷え込んで皮コートでも寒い・・息が白い・・でしたが、一転して爽やかな初夏の日差し、半袖Tシャツ一枚でもいい温度となりました。
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セルチュクのオトガルでバスを降りたとたんに、ホテルの客ひきニイさんの登場です。 「私はシリンジェまで行くから、ここには泊まらない」 「ホテルは予約しているのか、」 マッチョな感じのニイさんは詰め寄ります。 まだ、とか言おうもんなら、この町に泊まって日帰りで行けとか、おれんとこは安いぞう、とか引っぱられそうな気配。 「もちろん」と私は、メモを見ながら「エルデム・エヴェリ」というチエコさんが予約してくれたホテルの名前を言いました。 男はうなずくと「そうか、アンタは今晩あそこのうまいワインを山ほど飲むんだ」 「シリンジェは、ワインがうまいの?」 「ああ。それで、アンタ、明日はどこに泊まるんだ?」 「明日はイスタンブルに帰る」 「忙しいんだな」 うん。客引きにしてはあっさりしているこのニイさん、好印象でした。 「トルコはいい国よ、またきたら、アンタのとこに泊まるから」 「OK、またこいよ」 ニイさんは自分のホテルのパンフレットをくれました、「一晩朝食付きで20ドルだ」と言いながら。 インフレの激しいトルコですから、次はもっと高いだろうな。 ★☆★☆★
客引きニイさんが教えてくれたシリンジェ行きのドルムシュ乗り場、バスは30分おきにあります。 Tシャツ一枚まで着ているモノを脱いで、近くの食堂で買ったトルコサンドをかじりながら、バスの出発時間までひなたぼっこです。 今度は近くの旅行社のニイちゃんが私を見つけてやって来ました。 「あなたはどこに行きますか」 「シリンジェ、ホテルは持っている」 「明日の観光はどうしますか」 「決めていない、明日はイスタンブルに飛行機で帰る」 「では、去るまでエフェスの観光はどうですか」 「考えておく、もし行くんだっったら、あんたにたのむ」 男はうなずいてもっと話を詰めたそうにしましたが「私は今日ギョレメから着いてつかれている、今は決めたくない」といったら、OK、といなくなりました。
この町の人、みんな「すな〜お」だわ。 ★☆★☆★
小型マイクロバス的ドルムシュはトルコの公共的乗り物のひとつといっていいでしょう。 シリンジェまで、バスはの越え、山越え、ひなびた道を進みます。真っ白なほこりが舞い上がって乾ききった大地をいやでも印象づけます。 木はオリ−ブだけ、って感じ。時々、道を羊が横切ります。 田舎です。トルコの古い田舎の村のたたずまいを残している、というのがシリンジェ村のウリなのです。 と、ここまではよかったのですが、30分後、着いたシリンジェ村はなんと大混雑。 やっぱりトルコの田舎を味わいたい日帰りの外国人客、都会系のトルコ人客で村の狭い道は人であふれかえっていました。日曜日のせいもあるのでしょう。 ついたホテルも大繁盛。伝統的トルコの家をホテルにしたというのがウリなのですが、「12時にチェックアウトしたお客の部屋がまだ掃除できていない、お茶でも飲んで少し待って欲しい」といわれてしまいました。 30分ほど、といわれたのに1時間待っても部屋の用意ができた、というお呼びはかかりません。寝不足とギョレメとのあまりの温度の違いに頭痛がしてきていました。すこし昼寝でもしたいと思っていたのにこれは少し・・なあ。 「部屋にまだは入れないのか、私は頭が痛い、チエコさんはよいホテルだといっていた、しかし、30分といってもう1時間が過ぎた、私は少し休みたい」 オーナーである男性に言いました。彼はお母さんがトルコ人、お父さんがドイツ人とかで、流ちょうなドイツ語、英語を繰る人です。 「チエコさんは、あなたが夕方につくといった」 「パムカッレはつまらなかった、だから早く来た、それに頭も痛かった、私は少し眠りたい」 しばらくして、部屋に入れてもらえました。 日本と同じように靴を脱いであがります。部屋にいるとトルコのお母さん・・という感じの人が頭痛に効くからと部屋までハーブティーを運んできてくれました。 ジンジャーのような香りがするホットなお茶でした。 ベッドに入ろうとカバーをめくると、なんとシルクのシーツとシルクのお布団がかかっています。 おお、こんなんの初めて!! まるで中国の「太太」<お金持ち奥様のこと 確かこの字だったと思うなあ?> じゃないか。肌触り、いい・・いいい・(~o~)・・。すぐに眠りに落ちました。
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夕方。あたりはすっかり暗くなっていました。 窓から下を覗くと、静かです。昼の「ホコテン」は消えてなくなっていました。 時計を見ると6時です。みんな、町に帰ったンですね、それにしてもウソみたいだわ・・。 階段を下りていくと、ハーブティーを持ってきてくれたお母さんみたいな人が「どう?」という顔できました。 「よくなった」 そう、アタマ、すっきりとしています。 「私は少し散歩に行ってくる」 石畳の道、古い木造の家、ウロウロする犬、明かりをつけてハンドメイドのレースを売るおばさんたち。寄って行けと微笑みます。 いい感じ、なつかしい気さえします。 村はずれまで来て戻ろうとしたら「日本人ですか」と日本語で声がかかりました。 見ると、髪の長い若い女の子がトルコ人の車にいます。 「そうですが・・」 「泊まるんですか、いいですね」 「そう、あなたは?」 「私、今夜の夜行バスでイスタンブルに戻るんです、それで案内してもらっているんです」 「お知り合いがいていいですね」 「いえ、今日セルチュクの街で声をかけられて・・案内してやるからって・・」 「ええ?危なくないの」、と言いながら、私は思わずとなりでに立ついているトルコ人のおじさんを見ました。 「今んとこ、安全ですよ」 「あとでお金を払うとか・・」 「いえ、何も請求されませんよ」 ひゃー、危ないわ。 チエコさんがいっていたあきれた若い日本人の女の子ってこういう感じの子をいうんだろうか。 でも、ごくふつう、むしろ顔つきなんてしっかり系だけどなあ。外国では、ただほど危ないモノはないんだけどなあ。 「くれぐれも気をつけてね」 そういって別れました。 ★☆★☆★
ホテルに戻って、オーナーの彼に昼間の不機嫌を詫びました。 私、頭が痛かったこともあってぷりぷりしていたからね。 「気にしなくていい、今日は忙しくて早く部屋の準備ができなかったぼくらもいけない」 といってくれました。 彼が用意した前菜のサラダ、きのこのホットプレート、チーズ料理、みんな美味しいモノでした。ワインも2杯。お代わりしてしまいました。 ドイツ人ってどちらかというとうまいモノ音痴だけど、彼、舌はトルコ人のお母さんの血を受け継いでいますねえ。 「今どこの国も経済がよくない、だけどぼくは自分の小さなパラダイスを作り始めてかなり成功しはじめている・・」 彼は、お茶を飲んでいる私のそばのテーブルにパソコンを出してレストランのメニューを手作りしながら、このトルコの古い家を利用したホテルが軌道に乗りかけていることをそんな表現で話しました。
またまたシルクの夜具の中。バスの疲れで少し腰が痛いのが心配ではりましたが・・・私ももう若くない・・とため息をつきましたが、こういうため息ってシルクの夜具になぜか似合う・・・(^_-)
静かな、すてきな夜でありました。 >>>>>>>>>>1月22日 本日の出来事>>>>>>>>>> 昨日とうって変わったよい天気。 午前中、善通寺の「へんじょう」をいろいろな方に、ノルウェーに荷物を送る。 パンベルジュでくるみ入りのうまいオフランスパンを買おうといったら、お休み。残念。突然、ランチは寿司にするか、と東急へ。生湯葉の握りなんていうめずらしそうなのがあったので、ネギトロと共に購入。散財でした。 味は、といえばものすごくうまいモノではありませんでした。評価「3の上」くらい、かな。 仕事が思うように進まない。 ハワイへ行く前にかたずけておかないといけないこと、いっぱいあるのにな。 1/8日にあげた原稿の校正が入ってきた。 オオ、そういえば、昨日、スポーツ用品バーゲンで、水着<スポルティ?2900円>お遍路用雨具<イビザ3900円 リーボック3900円>を買ってしまったんだった。 イヨーに安かった。でも、これも散財だ。いかんよなあ。反省(-_-)
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