2002年01月21日(月) |
第27夜 だまされ パムッカレ |
二日目の夜<つまり最後の夜>9時過ぎ、ヤマツアーのオフィスを訪ねました。 オオサカニイさんや若年寄ふう26歳ニイさん、そのお友達が犬のカラハシと共にくつろいでいました。 カラハシはビクターマークの犬種、少々汚いのですがヤマツアー犬なんです。利口でおだやかないいヤツです。
・・・独り言 人間の名前を忘れて、犬の名前を覚えている 私ッてっば? なんなんでしょう・・・・・
「オオ、どうしました」「明日の夕方、私は去るから」 「ギョレメは楽しかったですか」「ええ」 なんて話しをしているうちに、危険度2をトルコに出した日本政府、アフガニスタンを空爆するアメリカの話になりました。
「でも、アメリカはアフガニスタンに援助もしているでしょう」 彼らがどんな反応を見せるか、わざと水をむけてみました。 「何をいってんだい、アメリカのやっていることはこうだよ!!」 オオサカニイさん、突然立ち上がるとテーブルの上にあったパンを取って、カラハシに見せびらかしはじめました。カラハシは、「食いたいよう」って感じで舌を出してパンに飛びつこうとします。 ニイさん、パンを見せびらかしながら、カラハシが絶対に届かない位置まであげて、カラハシのアタマがんがんと、たたきます。 「そうだ、」 後の二人も手をたたいて同調。 カラハシは、たたかれてもパンが欲しいのでクイーンクイーンと鳴きながら、舌を出しています。 「わかるだろ、アメリカのやっていることはこれだよ」 アメリカはあめとむちどころか、絵にかいた餅をアフガニスタンに提示して、鞭<空爆>していると彼らは主張しているのです。
「アメリカや、あなたの国<日本>では貧しい国の人の一年分の収入を一日で消費する、そういうことが問題なんだ」 そう、それはその通り。どうやっても埋めきれないほど世界の貧富格差は広がっている、旅をしていると、それは肌で感じます。確かにその絶対的貧困の問題が今度のテロや戦争の根本的問題のひとつだと、私も思います。 「アメリカもアメリカ人もセルフィッシュだ、この頃日本人もそうだ、昔はそうではなかったのに」 「税金を払わずにごまかすあなたちはセルフィッシュではないのですか」 彼らは、税をうまいこと逃れているという話を少ししてくれたのです。 「オレたちは貧しいから、お役所も目をつぶってくれるんだよ」 そういうの、自己チュウだって・・だから国が貧しいままだって事も少し考えろよな・・アメリカについてそれだけシャープな論理を展開するんだったら、です。 こんな話をつたないワタシメの英語でしているうちに夜は更けました。 彼らは、英語でガイドをしているしうまいんです・・・こういうとき、まじめに英語をお勉強しなかった自分の若いころを深く反省します。
「次は、ひとりじゃなくて、ハネームーンで来いよ」 私が「お休み」と帰るとき、オオサカニイさんがにやりと笑って言いました。 ったく。ありがとうよ。 でも、私はまた小宇宙にいる感じの村、ギョレメにまたいつか戻りたいと切に思います。ほのぼのと温かい人たちもいるし・・
★☆★★☆
またまた夜行バス。 少し厳しい日程です。 夜にギョレメを出て朝方に、世界遺産になっているパムッカレ。昼からのバスでセルチュクに行く・・・そこからさらにドルムシュ<小型バス>にのりかえてシリンジェ村へ。
パムッカレに泊まりたい、といったらチエコさんがよくガイドブイックに載っているパムッカレの石灰棚を流れる温泉はもう枯渇しているし、石灰棚だって壊れていて泊まるだけの価値はない、とアドバイスして下さったのです。それだったら、がんばってシリンジェあたりまで行ってはどうかと・・。 はい。
ギョレメのオトガル。バスを待っていた私にオフィスにいたおニイさんはパッムカレからどこに行くんだ、とききます。 「パムカッレを見てから、セルチュク、それからリシンジェ村、ホテルはとっている。心配なのは、パムッカレに早朝着くことだ」 「セルチュクまでのバスチケットを今予約してくれたら、パムッカレは心配することはない、ぼくのバス会社があなたの荷物を管理する」 この一言に乗りました。 12ミリオン、といわれて出しました。 パッムカレ行きバスで隣り合った21歳の女子学生は「どうしてあなたはひとりで旅行をしているの?」ときいてくれました。「私の国では女性もひとりで旅をする」 さて朝方。 バスは、パッムカレのオトガルに着きました。 これが予約チケット、ギョレメでもらったバスの券を見せたら、こっちに来いと日本語で連れていってくれるおじさんが現れました。 「いいです、」 あやしそうな顔をしていたので断ると「オレはあやしくない、日本人と結婚していた」と怒ります。そして私の荷物を勝手にひっぱていきます。 なんなんだあ? なんだかしらんけど、ついていくことにしました。オトガルには人がたくさんいるし、ものすごくやばいことにはならんでしょう。 バスのオフィスについたら、今度はわきからピンクのワイシャツの男が現れてわたしの持っていたバスチケットを取ろうとします。 「NO !! 」 「大丈夫だ、そのチケットはバス券と交換する、心配しないように」 なんだかわからんうちに、私の荷物、今度はピンクシャツの車に積み込まれてしまいました。 車には、金髪の女性がひとり乗っていました。 「あなたはどこからきたの」 走る車の中で、その女性は訊きます。 「日本」 「私はイスタンブルに19年間住んで先生をしているの」 「旅行ですか」 「そう」 なんかへんな感じです。 ピンクシャツのニイさん、ホントにバス会社の人?って感じですが、先客の女性のおかげで「どっかにつれて行かれる不安」<もうアラブの石油商人のハーレムに売られるほど若くないから、どっかの農場でオリーブもぎかなんかの奴隷かなあ?>はなくなりました。 夜が明けて私が連れて行かれたところは、パッムカッレのホテルのロビーです。 「ここに荷物をおいて見学に行くといい、食事ももうすぐサービスできる、もしガイドが必要ならいってくれ」 はああ、なんかおかしい。 この人の言っていることは、バス会社ではなくて旅行エージェンシーだよ。 食事なんて待っていられないので、バックに持っていたバナナとパンを食べて出発しました。 山に近づくにつれて白い景色が広がります。石灰棚です。 しかし、お金を払ってはいれば、チエコさんが言うとおり、温泉水はショボショボ、温度も温泉というより水です。 ここは古代からの温泉保養地だったはずなのですが、昨今の乱開発がたたったのです。
★☆★☆★ さて、石灰棚の上にある古代遺跡を見て、約束の11時半に戻って、ピンクニイさんの不可思議な行動の謎は解けました。 バスまで送ってくれることになって、送りにきた少年が手にしていたバス交換チケットのお値段を見てびっくり。そこには5ミリオン、と書かれていたのです。 ギョレメのバス待合所のニイサンとピンクニイさんはぐるだったんですね。 7ミリオンを上乗せしてバスチケットを売っていた、まるでピンクニイさんが人に見られると困るという感じで私からバス予約券をもぎ取ったのはそういうことだったです。 ラチするように私を連れだしたのはそういうことだったんです。 私は、まあ「ぼられた」わけです。 2倍以上のお金を取られてしまったのです。 ヤラレタゼ・・・ですが、7ミリオンのためにご苦労なことです。 バスのニイさん、こんなだます手口じゃなくて「フェア」にいってくれればいいんだよ。 「バスチケットは5ミリオンだ、しかし、あなたが早朝着いてからの安全を確保するために7ミリオンだせばガイドを世話する」 わたしは、7ミリオンで安全が確保されるんだったら出すよ。 ピンクニイさんもそう。あなたが出した12ミリオンの内訳はバス代5ミリオンとガイド料7ミリオンだ、と。 ★☆
私の怒りのとばっちりを受けたのは、送りにきたピンクニイさんの部下?の少年です。彼は当然チップをもらえると思って、私のまわりうをウロウロするのですが、無視。この子に罪はない、とアタマではわかるんですが、やっぱり財布を開ける気になれませんでしたな。
またまた、トルコ人のだましの手口について考えました。 イスタンブルの「ホジャ」は親切な人を装っていました。今度も、あのニイさん、親切をするようにだましました。 手が込んでいるんですね。 例えば、私がバスチケット交換券をのぞき込まなくて、正しい値段を知らなかったらばれなかったはずです。私は、なんかおかしい、と思いながら、ぼられたことに気がつかなかったはずです。 ストレートにだまさないところが、この国の文化の奥深さか?? だまされ パッムカレ。 今回のお題は我ながらゴロがいい・・・
>>>>>>1月21日 本日のできごと>>>>>>>>>>>>> 初大師。雨の中、川崎大師にお参り。悪天候にもかかわらず混んでいた。 その後、親戚によって昼ご飯をごちそうになった。 大伯母の仏前にカサブランカとソルボンヌというでかい百合を持っていった。 百合の分際でまるでフランス映画みたいじゃないか・・・ ママやパパ<若いころに居候をさせてもらっていたのでそう呼んでいる>、Mちゃんやkちゃんとも久しぶりで、いろいろ話が弾んで、3時過ぎに辞す。 外は大荒れ。なま暖かい風が気持ち悪い・・なんか変だよね。ホントは大寒のはずだろ。 パパが、踏み切り飛び込みと焼身自殺と2回立て続けに見たとママが気にしていた。 夢なんかだと、葬式の夢はいいというけどねえ。 漁師さんなんかも不幸事で大漁の縁起担ぎをするというからそう悪い事じゃないと思うけどなあ・・。でも、世の中、みんな「うつ」なんだと思った、ふう。
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