世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年01月12日(土) 第18夜 再びカイロ  ハーンハリーリで遊ぶ

 
ルクソールからカイロまでは飛行機で約一時間。
 ナイル西岸のすごいほどの赤茶けた岩山を空から見ながらルクソールにさよならしました。
 
 さてカイロ。今度はお迎えがありません。自力で市内のホテルまで行かねばなりません。空港の建物を出たとたん、タクシードライバーに囲まれます。
「要らない、わたしはバスで行く」
 通りかかったツーリストポリスのおじさんにバス乗り場を訊くと「ほら、あの木の下」
 あーりがとう。
 バスに向かったわたしに声をかけてくる運転手はもういません。このあっさりあきらめ加減、エジプト人、スキよ、インドだとこうはいかないと思う。
 クーラーつきバスは市の中心、タフリール広場まで2エジプシャンポンド。となりにものすごくおでぶなエジプト人の女性が座ったので若干席が窮屈ではありましたが、快適でした。次回行くことがあったら、絶対バスですね。
 
☆ ★ ☆ ★ ☆

 ところがタフリール広場から、徒歩でホテルに向かったワタクシメ、何をトチちがったか道を間違ってしまいました。きょろきょろしていると「あなたはどこに行くんですか」
「わたしのホテルです、でも道がわからなくなって」
「コスモポリタンホテル、連れていってあげましょう」
 男はわたしが渡したホテルのアドレスカードを見ていいました。
 ふだんだと、そう簡単についていかないわたしですが、この人は大丈夫そうと、即座に判断。素直に「ありがとう」と彼に従いました。
 この人、オーストラリアのシドニーで仕事をしているエジプト人、今は休暇で実家のあるカイロに家族で帰ってきているのだそうです。
 例の定番質問のいくつかー「エジプトは初めてですか」「エジプトはスキですか」「エジプトのどこに行きましたか」に答えている間に見慣れたホテル前に到着しました。
「では、カイロ滞在を楽しんで下さい」
 彼はにこやかにそういうと帰っていきました。ありがとーーーう。
 ホテルの前では、銃を持ったガードマンが「おう、帰ってきたか」という顔で微笑んでくれました。

 そうそう、カイロについてすぐにこの旅の汽車や飛行機、ホテルを手配して下さった「ナイルストーリー」カイロオフィスの和田さんに「無事に戻りました」とお電話をしました。
「日本政府は戦争が始またのでエジプト全域に危険度2を出しました。日本で家族の方が心配しておられるでしょうから電話を入れて下さい。でも、この危険度2は現状とは違いますねえ」
「ホントです、どこも危険じゃなかった」
 危険度2が出ると、団体旅行がキャンセルになるのでお仕事あがったりなのだそうです。
「日本も、自己責任において旅を自由にできるようにすべきですよ」
 いや、まったく。
 ほとんど危険ではないエジプトやトルコに危険度2を出しながら、現実的には一番危険なアメリカやイギリス、アルカイダ組織があった欧州の国々には何も出さない・・危険度1も出さない日本の外務省のやり方はおかしい、とわたしも思います。
 日本国民の安全をホントに心配するんだったら、「テロの後には炭素菌」のアメリカには危険度3くらい出すべきでしょ、フン。(=_=)

☆ ★ ☆ ★ ☆

 エジプトの日々は残すところ半日。
 カイロ大土産物センター「ハーン・ハリーリ」はぜひ行かなくてはなりません。
 「歩き方本」によれば、14世紀、市場ができたのをきっかけに発展し、今や土産物屋が軒を連ねるバザールとして旅人が必ず<ホントか? >立ち寄るところだといいます。
さぞ、あやしいエジプト人がたくさんいるだろうなあ。

     お・も・し・そ・ろ・そう、フフフ。 

 ホテルの外でタクシーを止めます。場所柄長く車がとめておけないので、「乗れ」というので、乗ってから料金交渉が始まります。
「ハーン・ハリーリ、いくら」
「10エジプシャンポンド」
「高い、5」
「ダメだ、」
 信号待ちの交差点で言い争っていたら、隣りに停車していたトヨタから顔を出したマッチョでリッチそうな男が「なにを争っている?おまえはどこに行くんだ」
「ハーン・ハリーリ」
「? 地図をみせろ」
 走っている窓越しにわたしは「歩き方本」を彼に渡しました。
 次の信号。
 彼はなんとトヨタから降りてくると、運転手にきつい顔で何か言いました。
「7エジプシャンポンドだ、いいだろ。アンタが行くところは遠い、彼はアンタをちがうとこに連れていくとこだった、今度は大丈夫だ、オレがちゃんと言っておいた」
 彼によれば「ハーン・ハリーリ」という交差点? が近くにあるんだそうです。
 マッチョサンは「エジプトを楽しんでくれ」というと、歩き方本を返して車に戻っていきました。
 ヒエエ、カッコよかばい。日本の男にゃできんマネだわね。
 我がドライバークンは不服そうでしたが、無事にハーン・ハリーリに連れていってくれました。そして7エジプシャンポンドでいなくなりました。
 運転手クンはあのマッチョ男サンに「位負け」ですね。アイツがいなくなったから、約束を反故にする、ということをしないのがまた素直というか、ワルじゃない・・よね。
 
☆★☆★☆

 さてハーン・ハリーリ。
 周囲に、ガーミア・アズハル<イスラム世界の東大、アズハル大学>、ガーミア・ホセイン、ガーミア・アズル・ダハルなど天を指すミナレットを持つモスクが建ち並ぶもっともカイロらしいところでもありました。
 ガーミア・ホセインは巡礼地としても知られているところなんだそうです。

バザールの中は、同じ品物が軒を並べるようにつくられています。
 香辛料屋、生地屋、宝石屋、ガラペーヤ屋、などなど・・それぞれに臭いがちがって人のにぎわいがちがっておもしろいのです。
 わたしはあちこちでただ値切る・・を楽しんで、結局買ったモンは、しおりに干しナツメヤシの菓子・・という感じで。もしかしたら、値切り倒したまま買わんかった店では恨み? <(_ _)> かったかもです。

 時々、客引きしているニイちゃんに「わたし、明日の早朝帰るからお金がないの、バクシーシちょうだい」なんて言ってました。オニイも大笑いして「1ペセタ硬貨」<一円玉みたいなモン>をポケットから出して「ほら、あげる」ときましたモンね。
 いや、わたし、エジプト人のこういうとこ、好きですわ。

 干しナツメヤシ屋の前で休んでいたら、エジプト人女性が美味しそうにアイスを食べています。わたしも食べたい・・・。
 彼女と同じチョコのヤツを食べていたら、近くの土産屋の男が寄ってきて「どこからきたの」「日本」「おお、ヨシの国だ、彼はいいね、日本いいね」
 ヨシとは、あの「吉村作治先生」です。彼の名前はあちこちでききました。有名人でした、エジプトでも。
 そして毎度おなじみ「年はいくつ? 結婚している? 」
 「年齢はトップシークレット」といったら、また大受け。彼は「オレはマフィアさ、これ、トップシークレット」ときました。大笑いしました。
 
 遊んでいるうちに夕方です。薄暗くなってきました。
 ガーミアホセインの裏通りにある「シャワルマ屋」で、サンドイッチを食べて帰りました。
 
 シャワルマ食えば お名残おしや カイロの夕暮れ
 
         と一句詠みました。

☆★ メモ ★☆  

* シャワルマ でかい羊肉が太い金棒に巻き付けられて店先であぶれられてまわっている。それをこそげ落としてパンにはさんでサンドイッチにする。
 エジプシャンファストフードといっていい。

* コシャリもエジプト独特のファストフード  なんと米とスパゲッティが混ざって上に辛いソースや酢をかける、まずくはない、何回か食べた。
 シャワルマもコシャリも安い、店も多い。3から5エジプシャンポンドで食える。



>>>>>>>>1月12日本日のできごと>>>>>>>>>>>

 8日出した原稿の直しが昨日FAXで入った。それをした。
 イヤになるほど色気のない生活だ。
 あたしって旅の時しか輝けない??(-_-;) はああ(=_=)とため息。
 夕日がきれいでした。
 
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