世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年01月09日(水) 第15夜 ルクソール 王家の谷

 エジプトといえば、オピラ、次にツタンカーメンのお墓が見つかった王家の谷、ちょっと前にあそこの大きな神殿で大勢の観光客が過激派に殺されたでしょとなる、んですね。
 王家の谷と悲劇的な事件があったハトシェプスト葬祭殿はルクソールのナイル川西岸にあります。カイロから飛行機で一時間、アスワンからは30分のナイル中流域です。
 暑いです。それから、意外なのですが、モスレムよりもコプト教というキリスト教の信者が町の55パーセントを占めるということで、町中には教会が目立ちます。
 観光地のわりには、ほこりっぽくて田舎臭くて人はクセがあってあからさまで・・また行きたいですね。バザールのオヤジと日がな一日しゃべっていても、おもしろそうだもん。

★ ☆ ★ ☆ ★

 でもって、王家の谷。
 西岸はドカンと赤茶けた岩山がそびえ立ってあの山麓や山陰にお墓があるということで、朝が勝負。何でかといえば、暑い、昼からは昼寝タイムにしないとやっておられんというのが「歩き方本」の教えでした。
 朝7時、ホテルのカウンターに行って「王家の谷に行きたい、タクシーをチャーターしたい、よきドライバーを紹介せよ、そして、値はいかほどなるや」と交渉をしました。
 すぐにカウンターにいた男が外に行ってガタイのあるエジプト人顔、人がよさが表情にでているヤツを連れてきました。名前はナス。タクシー代は男が午後1時まで60エジプシャンポンドと決めてくれました。めぼしいところをまわって80とか、レンタルバイクで90とかと「歩き方本」にはあったので、「60」は安い。「即OK」です。
 ナスくんは不満そうで、カウンターの男に何か言っていましたが、彼が厳しい声で何か言い返したらシュンとして「ホンじゃ行くよ」となりました。
 ホテルのカウンターでここまでしてくれるとは思わんかった、ありがとう、でした。
 
 まず目指すは、あのラムセス2世のお后さんネフェルタリの墓入場券ゲットです。
 ネフェルタリの墓は入場料100エジプシャンポンド<3000円だよ、世界一高い入場料だろう>なのですが、内部の美しさは折り紙付きとかで、野次馬根性で見たい!!でも、保存状態を悪化させないために一日の入場150人。早い者勝ちというわけです。英語があまり通じないナスに「ネフェルタリ!!」を連呼したら、大きくうなずて車をとばししてくれます。例のごとくのボロですがよく走る。朝の道路はまだ空気もきれいで、ひんやりとした風が入ってきます。道沿いには、学校に行く子どもたちが制服姿でパンをかじりながら歩いていたりしてのどか。

☆★☆★☆

「あなたのために特別にチケットを用意しましょう」
 ネフェルタリは専用のチケット売り場で買うのですが、窓口のオッさんはニヤニヤしながら言うことはなかなか。でもチケットを出しません。あなたをわたしが案内しましょうとか言ってさあ。
「今日のチケットは終わったの? だったら、わたしはもう行く」
「ある、でもまだ時間が早い。ここで話して行きなさい」
「タクシーが待っている」
 要するにひまなもんで、からかう相手がオッさん、欲しかったんだよね。

 ネフェルタリの墓は王妃の谷にあります。王家の谷は要するに王様専用。お后は一緒じゃないんですね。
 入場は8時から。行くとすでに数人が待っていましたが、じきに入れてもらえました。
白茶けた木も草も見あたらない山に地味な入り口があります。ホントにここに3000円も出してみる価値のあるお墓があるのかい? です。

 狭い階段をしずしず。すると、鮮やかな赤や黄色、緑の色が目に飛び込んできました。オオ。思わす立ち止まって見上げ見回し、オオ・・こりゃすごい・・さして大きくない部屋ですが、白い壁いっぱいに満艦飾状態でヒエログリフ、神々、ネフェルタリその人やラムセス2世が描かれているのです。とにかく色彩が美しい、絵があやしく華やか、確かにネフェルタリはきれいな女性だったんだろうな、多分とても賢こい人でもあったと感じます。「歩き方本」にかなり修正が入っているんじゃないかあまりに鮮明すぎるといういけんがありました。確かにそんな気配もなきにしもあらず、です。しかし、修正する人もしがいのあるお墓です。意欲もわく?でしょう、これは。
 ラムセス2世が指揮したといいますから、やっぱり愛していたんだねえ。でも同じお墓に入りたいっていうのはなかったのかねえ・・・。
 判定 100エジプシャンポンドの価値あーり、いただきましたあ。

★☆★☆★

 しかし、ネフェルタリを最初に見たのは失敗だったかもしれん・・と王家の谷で思いました。だって王様のお墓に入ってもでかいだけジャンという感じで感動が薄いんですよね。うまいものは早く、といってもこの場合は失敗でしたね。
 
 ツタンカーメンの墓でおもしろいことがありました。
 なかで見ていたら突然電気が消えたんです。停電。墓のなかですから、真っ暗。数人の修復士みたいなお人たちが絵筆を動かして仕事に励んでいたんですが、当然仕事になりません。
 わたしが冗談で「メイ アイ ヘルプ ユウ?」といいながら首にかけていた懐中電灯をつけて照らしてやったら、大受けでした。かなり光源の強いものでしたから「ベリーグッド」なんていわれて。(^_-)
 でも電気がないと暮内はマジ真っ暗なんです。では、この暮内の装飾は誰のため? 見る人はいない・・とするとやっぱり死後の生活、よみがえり?ですかねえ。ツタンカーメンのお墓はまだこの墓内にあるんですね。いいのかなあ、これだけ人の出入りがあると、ミイラがダメになるんじゃないのかな。

★☆★☆☆
 
 いったとこ一言メモ
    ハトシェプスト葬祭殿  入るまで3回くらいにもつとか調べられた、、
    ラムセウム    あのラムセス2世の葬祭殿 例のごとくデカイ・・ 
貴族の墓    センネフェルのブドウの描かれた墓内がきれい
    ラムセス3世葬祭殿  もう暑くて溶けそうで、早く帰りたかった・・

 貴族の墓<谷>の近くには村があった。昔からの村らしいけど、まるまる遺跡の上にあるんだよね。エジプト政府は退去させたいらしい、どっこい、で、不法占拠・・・   

 ナスクンも1時を少し過ぎたら不機嫌になったね。あのオピラのタクシードライバーアブドラ氏と同じでした。やっぱり「あなたがよい働きをすればチップを上げるであろう」でおだてて何とかしましたけど。エジプト人の労働意欲って午後1時なんだ、とわかりました。
 ンで、60エジプシャンポンドと2USドルをチップとしてあげたらえらく喜んで明日も自分を使えと・・。考えておくといいました。それにしてもあの強面のアブドラ氏も3USドルをチップとしてあげたら怖そうな顔くずすほど喜んでいた・・なんか・・そうなのか、君たちも・・と複雑でした。この人たちはドルが好きなのよ、エジプシャンポンドじゃなくてさあ。

ハードな一日<午後1時半でその日の予定終了>でした。昼寝をしました。
 夕方ホテルの屋上から見た西岸に落ちる夕日がすごくて息をのみました。陽が落ちる西は「彼岸」で「仏教」みたいです。というか、日没に対する人類共通の感覚なんだろうなあ。


>>>>>>1月7,8、9日 本日のできごと>>>>>>

7日
 気を取り直して5日に消した原稿を思い出しながら「復活」させました。
疲れた・・。
8日
 午前、FDSの会合。終わった後昨年暮れに見つけた渋谷の「みちのく」でお昼ご飯。鯖のミソに定食。うまかったわん。何しろ、米が魚沼コシヒカリだモンね。
今度はこの店で、夜、お酒がのみたい。酒のラインナップ、久保田、八海山、をはじめとしてすごいんだもん。
 午後、出来あがった原稿を持っていったら、担当の人に「わたしは横原稿、嫌いです」と厳しくいわれた。今ドキは、直しやすいし、横と思って横形式の紙原稿とFDを持っていったんだけど・・ショボ。日本人は「縦」ですよ、アメリカに毒されたらいけません、といわれて・・はあ。2日後に「縦原」を送る約束をした。

9日
掃除、洗濯をした。近所の梅がほころんでいるのを発見。春か・・もう。年末に買ったシグマリオン2で遊んだ。約束の縦原稿をPCから出して直しを入れた。

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