2002年01月05日(土) |
第13夜 アスワントランジット ルクソールへ |
かの王家の谷で有名なルクソールはアスワンから飛行機を乗り継いでいきます。 経済的な方法は、アスワン市内からバスか鉄道なんだけど、この陸路は外務省が「危険度2」に指定している地域なので、飛行機がまあ一番安全で簡単、というわけです。 朝にアブ・シンベルを発つ飛行機は、アスワンで6時間以上も待ち時間があります。 どうすっかな、何すっかな。
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アブシンベルからの飛行機、日本人の団体と一緒になりました。おじじさん、おばさんのグループなんだけど、わたしが日本人でひとり旅してると知ったら、突如、気味悪そうな視線を向けた、あれってなんなの。ったく。わたしから見れば、団体旅行のなにおもしろい・・だけど、人それぞれだから、な。でもあの、人を値踏みするというか、じろじろと眺めるというかの視線は今思い出しても腹立つぞい。 そんなんで、日本人からお化けを見るように見られたわたしがヒコーキの中でおしゃべりしたのは、アメリカ人団体客のなかにいた日系人タミコさんでした。 新宿うまれで今はネブラスカ、というタミコさんは陽気な人で「アスワンではどこに行くの」と聞いたら「知らない、わたしは聞いてもすぐ忘れるの」と笑います。 そして、通路を隔てていたブラックのお友達に英語で「わたしたちのスケジュールはどうなっているの」と訊いています。しかし「わたしもよく知らない」と彼女は大口を開けて笑う・・・アメリカ人だよなあ。 ネブラスカ牛<あ、まちがい!!>にゃ、テロはあんまり関係ないんかねえ。ただ、わかったことは、あの状況、つまりまた飛行機テロがあるかもしれない、戦争を起こしてる最中、でも、彼らは旅をしているということ。二ユースなんか見るとアメリカ人はみんな逼塞しているように報道していたけど、あれは間違い。だって、タミコさんのグループ以外にもあちこちでアメリカ人ツアー客を見かけたもんね。みんなバカ陽気で、モスレムの国で肌あらわで、さ。
唐突ですがひとつの真理 人は戦争であろうが、非常時であろうが旅する存在である。 それは、アフリカやシベリヤから延々と旅をしてニンゲン分布を世界に広げたヒト遺伝子のしわざであろう。 おわり<(_ _)>
☆ ★ ☆ ★ ☆ ということで、アスワンに着いたらバスのおじさんも空港のセキュリティのニイさんもわたしのことを覚えていてくれました。<まあ、昨日の今日だしね>そして「今日はどこに行くんだ」と訊きます。 「ルクソール、しかし、わたしはたくさんの時間を持っている。荷物をあずけて観光したい」 ハイよ、ってなもんで、セキュリティのニイさん、カウンターに連れていってくれて荷物キープを頼んでくれました。昨日「ともだち」になっといてよかったわ。 そこに、東洋系の男の子ひとり。ザックひとつで途方に暮れたような顔。 「あなた、どこからきたの」 「日本から」 「エー日本人」とわたし、日本語になります。 その彼、は日本から昨夜着いて、カイロ空港で夜明かし、朝イチのアブ・シンベル行きに乗り、アブ・シンベル神殿を見て今帰ったところといいます。つまりわたしと同じヒコーキに乗っていたんだね。綱渡りのような旅だねといったら、明日はルクソールを見てカイロに帰り、カイロでオピラを見たらトルコにはいるという・・・わたしは目が点になりました。若いねえ、体力あるねえ。でも、だから、日本の若いモンは旅先で病気になったりするんだよな。 結局、そのTくんと一緒に車をチャーターしてオベリクスクの石切場やアスワンハイダム、イシス神殿を見て回ることにしました。 例のごとくタクシーを値切り倒すことにしてわたしが仕切ったら、彼「オレが出なくてもいいかっておもったんで」だって。「ありがとう」いえんかよ。かわいくなかった。 極めつけは、わたしはラムセス駅のカフェで2ポンドと20ポンドを間違えて出したら「ちがう」と教えてくれた・・という話しをしたときでした。 「オレはそのウエイターだったら、そういうとき、黙っているな、だますわけじゃないし、もらっておく」 当たり前の声と顔で静かに淡々と言われたとき、わたしは「この子イヤだー」と思いました。ちがうだろ、です。もちろん「エーあなたねえ、そりゃよくないよ!!」とわたしは叫びましたが。「わたしもそのウエーターさんと同じことするよ、商売の、ヒトの倫理でしょ」 「そうですか」。しれっとした声。したたかというか、荒廃というか・・。 幼い顔していたんで20代初めかと思ったら、27歳、確か?でした。 また突然、唐突に愛国者になってすまぬが、 日本の未来はくらい。この国はやがて滅ぶ。
独り言 まじにいい旅してたら、あーいう発言はしないよな・・・金と時間つかって、Tくんはなにしてんだ・・・この場合、人それぞれだから・・なんて心境にはなれんなあ・・・
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オベリスクの石切場は圧巻でした。切り出しを放棄されたオベリスクの固まりのでかいこと、石を断ち切るのに、木片<くさび>と水を使ったという知恵にも感動でした。ブルトーザーも大型トラックもない時代にさ、と思ったらこれもエジプト文明の神秘だな。 っま、オピラ、作りとか、こういうでかいもの運びのお仕事は、農民のナイル川氾濫期の出稼ぎ現金稼ぎしごと?<というのかどうかしらんが>だったとなんかで読んだことがあったからかなり現実的なお仕事ではあったんだろうなあ・。 ルクソール行きの飛行機の窓から見えた夕日の美しさ。この日はアブ・シンベルの朝日からルクソールの日没まで・・何だか「エジプトした一日」でした。
>>>>>>>1月5日 本日のできごと>>>>>>>>>
仕事しました。しかし、うっかり「保存」すべき原稿をしないで消した。立ち直れなかった・・・。「魔」がさしたんだよねえ。
夜10時40分「ムーンライトながら」に乗るために家を出る。紅茶、おにぎり2個、バナナ2本、ミカン3個、ミントキャンデー1袋、本二冊、手袋、西国観音霊場の納経帳、カメラをザックに入れる。カメラは、リコーから修理が終わって戻ってきたあの「GR1」だ。 なんか「エルマーの冒険」のエルマーの荷物みたいにになった。
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