世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年01月04日(金) 第12夜  アブ・シンベルの日の出

 アブ・シンベルのでかい、すごいを少し説明をしましょう。

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 約3300年前に砂漠のまん中<当時は砂漠じゃなかったと思う>につくられた岩窟大神殿。つくった人はあのラムセス2世のミイラじゃない、生きているその人。大神殿前にはラムセス2世その人の巨像がドーンと4体。なんと20メートルもある。
 岩山をうがった神殿の中に入ると大列柱室には、彼の生前の戦う姿が生き生きとレリーフされて、その躍動感は時空を越えて迫ってくる。<これはすごかったです、引き込まれました>
 前室をどんどん進むと一番奥には至聖所がある。ここには、ラーホルアクティ神、神格化したラムセス2世、アモンラー神、プタハ神の座像が並ぶ。年に二回<確か、2月22日と10月22日>この至聖所へまっすぐに朝の光が届く。左端のプタハさんは冥王<地獄の閻魔さんと思って下されば>とかで、そのときも絶対に朝日は当たらない。
 隣りにはラムセス2世がもっとも愛した奥さんのネフェルタリの小神殿がある。ラムセス2世と彼女の巨像、足下にはその子どもたちが、これもまたドンと。
 それぞれのお部屋のレリーフ、壁画、等々語るべきはたくさんあるのですが、後は省略。

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 制作者ラムセス2世についても少々の説明を・・

古代エジプト新王朝時代第19王朝の王。在位BC1304〜1237。在位67年の間、奥さん4人、側室さん200人以上、子ども200人以上。すごいよね。
 あちこちの神殿に犬のマーキングのように自分の巨像をどかどかと立てたお方。
 10日もエジプトにいて遺跡巡りをすると「ああ、またおるんかいな。ラムセス2世はん」と声をかけたくなるくらい、その像になじんでしまう。
 モーセの出エジプト記は彼の治世時ですから、異教徒の迫害もやったんですねえ。あのミイラ室で見た我の強そうな骨相を思えばまあ、これは妥当ではあります。
 新王朝の王は「神様」ではなくて「ヒーロー」の位置付け、王はみんなの先頭に立ってかっこよく戦い、「オレすごいだろう。従えよ」と。日本でいえば戦国大名かなあ・・。自分を神格化して神殿の奥に祭り上げる根性の人なんだから、まああぶくのような戦国大名と比べるのは失礼かも・・なんですが。

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 わたしは最終便で観光客が帰ったあと、誰もいない<ホントに>アブ・シンベルを堪能しました。さらに夜の「音と光のショウ」を楽しもうと始まりを待っていたのですが、お客が来ない。わたしと、フランス人のカップルだけなのです。
「10人いないとショウはできないんだよ、もう少し、待って。よし、ホテルにお客探しに行ってくるよ」
 ショウ担当のおじさんがいいます。
 その間、売店のヌビア人のお兄さんが我ら三人の待ち客の相手になってくれます。
 ヌビア人は肌色ブラック、髪はちぢれ。いわゆるわたしたちが「黒人」というとイメージする人たちです。アスワンからこっち、ヌビア人が多くなります。性格的には、おだやかでややシャイ、エジプト人ほどせこくない印象を受けました。わたしは、ヌビアの人、けっこうスキでした。
 ヌビアの兄さん、本来は土産物売りなのですが「わたしはまだ旅をするから、今、土産は必要ない」といったら、あっさりと商売を引っ込めて例の定番質問をした後に「日本語を教えてくれ」ときました。
「どうして?」「ここは日本人がよく来る、話したい」
 彼が知っていた日本語は例の「バザールデゴザール、サラバジャ」で、他の言葉が覚えたいのだそうです。
 彼は、おだやかで素朴な話しぶり、賢そうで感じがよい人です。教授するのにやぶさかではないのですが、「日本語を話す現地人・エジプト人には気をつけろ」が、旅人の合い言葉だし・・果たしてホントに教えていいものか・・・。彼が期待するような経済効果はないと思うのですが。
 こんにちは、安い、ありがとう、と教えている間におじさんが戻ってきました。
「ダメだ、ホテルの客はきてくれなかった、すまないが今日は中止だ」
 本当にすまない、とおじさんは何度もソーリーを繰り返し「ホテルまで送るから」とわたしとフランス人カップルにいいました。
 わたしのホテルは神殿から歩いて10分、ヌビアンのお兄さんに「さようなら」をして、なま暖かい風が吹いて砂埃が舞う中を歩いて帰りました。
「ライゲルク」ーヌビアンのこんにちは。彼がわたしに教えてくれました。

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 翌朝。日の出5時50分、というので5時半にホテルを出ました。周囲になーんにもないホテルですが、この近さは「買い」です。
 一番乗りだったらしくて、窓口のおじさんは、大急ぎで門を開けてくれました。チケットは昨日買ったものが有効です。
 神殿前に行くと、ナセル湖からさわやかな風が吹いてきます。さざ波が立って、岸ではチャプチャプと波が寄せる音がします。
 湖の向こうが日の色に染まって、少しずつ濃さを増し、見上げると空も、藍に近い深い色から濃いスカイブルーへと変化しつつありました。刻々と変わる色に胸がドキドキします。やがて、燃え上がる太陽がゆらゆらと顔をのぞかせはじめました。深紅のまんまるいお日さま、です。とたんに鳥が鳴きはじまめす。陽はすごい勢いでどんどんと上がってついにはその姿をすべて湖上に出しました。
 太古から変わらない日の出。荘厳、命、勢い、エネルギー。何だかわからないけれど、胸がいっぱいになって感謝、の気持ちになりました。あのお陽サンがなければ、わたしたちは存在できない・・のだから。古来エジプトの民がなぜ太陽神を信仰したのかわかる気がしました。
 わたしは、光の先を追いました。何しろ10/7日ですから・・・。
 番人が神殿の扉を開いてくれていました。
 陽の先は、確かに至聖所の右の三神の膝あたりまで届いていました。そして、左の冥王プタハ神にはまったく当たっていませんでした。3300年前にここまで計算して神殿を造ったエジプト文明にも神秘を感じました。
 
 陽の先を確かめてまた外ですわっていると、番人さん、神殿入り口に水をまいてお掃除を始めました。エジプト人はきれい好きとは聞いてましたが、でもさあ、湿気を嫌う神殿遺跡、水まいて掃除は止めた方がいいじゃないだろうか。それにラムセス大巨像に張り付いて遊んでる小鳥の多さよ。もしかしてラムセスさん、「うるせえ」と追い払いたいんじゃなかろうか、と思いました。当然フンはあちこちにこびりついています。あれも、よくないと思う。一番よくないのはナセル湖だろうね。湿気の多い風がラムセス像を変形・くずすことは必定だ、と思います。
 「形あるものはやがて滅ぶ」かな・・・。この状況をつくったのはニンゲンですから。ユネスコの努力には敬意を払いますが。
 7時近くになって、飛行機始発できた団体客が姿を見せました。そんなわけで、日の出から、の時間まで、ヌビア人のおじさん番人と警備のかっこいいソルジャー、わたしだけ。またまた贅沢な時間でした。

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 わたしが、アブ・シンベルの太古の日の出に感動していたとき、アメリカはあの報復攻撃を始めようとしていたのですね。あの太陽の前に正義も不正義もない。愚かなことです。
 時々アメリカについてエジプト人と話しました。
「彼らは勝手すぎる、イスラエルの横暴を何とかしろ」
 こんな感じでしたね。
アメリカを好きな人ってあんまりいない・・ですね。<わたしも「アメリカ」は好きではありません。ただ、時々旅で出会うアメリカ人、いい人がいるんですよね、去年、アメリカに行った時はいろいろと親切にもされたし、ウーン>


>>>>>>>>1月4日 本日のできごと>>>>>>>>>

今日も黙々と仕事。ただ、銀行とイトーヨーカ堂には行きました。

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