2001年12月27日(木) |
第四夜 ピラミッドざんまい 2 砂漠で溶ける・・・? |
あまりにも有名なカイロ近郊ギザのピラミッド。みんなが思い浮かべる「あのピラミッド形」の典型です。実はあれ以外にも「形」はあるんです。ゆがんでいるヤツとか、階段状とか、計算違いで崩れちまったかわいそうなヤツとか。
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またしても唐突ですが 一夜漬け的 ユニーク型ピラミッド講座
DAHSHUR<ダシュフール> 赤のピラミッド 赤ッぽい石で作られている。一面が二等辺三角形型の最古のモ ノという。傾斜がゆるやかでドデンと安定した感じ。 屈折不格好的ピラミッド まん中辺でプリズムを通過する光のように突然曲がる 優美とはいえないが、不均衡の、おもしろい存在感がある。
MEIDUM<メイドーム> *時間がなくて行けんかった。次回の宿題か?・・。 表装石が崩れたピラミッド 外側が崩れたことによって骨組みが露呈している。 ダシュフールから、砂漠の中に遠望した。要塞のような形をしていた。
SAQQARA<サッカーラ> 階段ピラミッド 高さ60メートル。6層の階段状になっている。 この近辺には未完成ピラミッドとか、広大な墳墓群があり「ここはもっとも重要 な遺跡のひとつです」とホテルでタクシー手配をしてくれたオフィスの男がいっ ていた。「わたしはサッカーラで2年間遺跡を掘っていた」のだそうな。
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わたしのピラミッド巡りは、一番遠いダシュフールから始まりました。 やって来た車はクーラーなしの、まあボロではありましたが、例のごとく、ばんばん飛ばします。ドライバーは立派なお髭の強面ふう、名前はアブドラさんです。英語は出来るのですが、エジプト人英語で発音が独特です。 PENがben、くらいだったらわかりますが、「キャメル」<ラクダ>を「ガメル」といわれたときには、ガメル、ガメラ?? エジプトにはガメラがおるんかい?でしたもんね。 ダッシュフールは、カイロから一時間の砂漠のまん中の、ミニタリーエリア<軍の施設>のまっただ中にありました。カイロの喧騒から来るとまっさおな空とピラミッド、人気のない砂漠に「エジプトだなあ、来たんだなあ・・」という感じになります。 でも、暑い!! 強い日差しの下で溶けそうじゃん。 内部が公開されている赤のピラミッドの開口部まで、28メートル登ると息が切れます。 入り口には、砂漠の色と同化したようなガラベーヤ<エジプトの長衣>を着た番人がいました。お金を要求されましたが、チケットはすでにこのエリアへの入り口で購入済みなので「NO」。 でも、座り込んで彼と話をしました。ちょっくら休まないと。ピラミッドの中歩きはきついという話ですからねえ。
「どこからいかんだ? 日本人か?」 「はい」 「アンタひとりで来たのかい? 結婚しているのかい」 「そうよ、<ウソも方便。こういっておかないとめんどうなことが起きることもある>」 「だんなはどうして来ていないのだ? 子どもは? 」 「ダンナは仕事が忙しい、子どもはいない」 「子どもがいない、信じられないね、この国では。オレは四人いるよ」 この後あちこちでエジプト男と話しましたが「結婚しているか」「子どもは」「ダンナの仕事は」は、質問の定番だとわかりました。 中国では「給料は」「歳は」「仕事は」「テレビや車の所有台数」あたりが定番ですが、えらくちがいます。 ものすごく老人に見えましたが、彼は56歳でした。墓守サンの子どものうち三人は、外国。うち二人はアメリカ、後の一人はコロンビアで結婚しているのだそうです。彼はうれしそうに話してくれました。アメリカ・・ねえ。このご時世に、アラブ系として大変な思いをしていないといいのですが・・ね。
「エジプトは好きかい?」 「わたしは、ずっとピラミッドに来たかった、好きかどうかはまだわからない、なぜなら、昨日来たばかりだから」 「そうか、昨日来たのか」 「この国を楽しむといい」 おじさんは、立ち上がったわたしを見上げてのんびりといいました。 そうそう、この、「エジプトは好きかい」と「何回めのエジプト?」という質問も定番でした。 どうしてそんなこと訊くのよ?と初めは思っていましたが、やがてエジプト人独特のウエルカム精神<お四国でいえばお接待の心>だと悟った<大げさな・・> のでした。 この問いは、だから何か好きでしたね・・・。
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