おひさまの日記
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2010年10月06日(水) |
ばいばい、お父さん<時が満ちる編> |
父が他界した話からは少しそれるけれど、 私がアンナを連れて離婚して、abuと暮らし始めてしばらく経った時のこと。
ある同業の友達が電話でこう言った。
「ねぇ、アンナはどうしてるの? 新しいパパとはうまくいってる?」
私は答えた。
「仲良くやってるよ」
すると彼女の口調がキツくなった。
「アンナは無理して新しいパパとうまくやってるんだよ。 セラピストなのにそんなことにも気づけないの? あの子がどれだけ離婚で傷ついてるのかわかってる?」
私は答えた。
「気づいてるよ、わかってるよ」
彼女は納得いかない様子だった。
「じゃあ、あの子の心をどうしようと思ってるわけ? つらい気持ち吐き出させてそれをしっかり感じさせてあげて、 心のケアをしてあげなくちゃダメじゃない。 それでも母親なの?」
それから先の会話はあまり覚えていない。 けれど、話をうやむやにして電話を切ったことだけは覚えている。
私は電話を切って泣いた。 怒りと悲しみが入り交じっていた。 彼女には言わなかったけれど、本当はこう言いたかった。
「あの子がつらいのはよくわかってる。 わかってるけど、今踏ん張っているあの子の頑張りをそっと見てる。 そして、いつか、あの時は頑張ってたね、って言いたい」
心理療法のセオリー通りに進まない、進められないことはいっぱいある。 心は生ものだから。 神様の息がかかったものだから。
心はうまくできていて、 大きなショックや強くつらい感情を感じる体験があると、 それをまともに受け止めて壊れてしまわないように、 自動的に感情を感じなくなったりする。 また、元気に振る舞うことによって、 自分が受ける衝撃を緩和したりすることがある。
そして、流れの中で、少しずつ事実を受け止めていけるようになると、 正面から大きなショックや強くつらい感情を感じる体験を受け止められるようになる。 心が壊れないように、少しずつ、少しずつ、受け止めていく。
だから、私は、頑張って踏ん張ってる娘をそっと見ていようと思った。 その時に実の父親と離れたことを真正面から丸ごと突きつけたら、 あの子はつらくて耐えられないだろうと思った。 彼女は、小さいなりに一生懸命現実の出来事を自分の中に取り入れていこうと頑張っていた。 だから、そんな今を生きる彼女を見ていようと思ったのだ。
実の父親と離れたのはさびしい、けれど、abuのことは好き、 そんな狭間で揺れていた彼女を、私は知っていた。 そして、アンナの笑顔の裏にある頑張りと押し殺した感情を感じて、 abuも苦悩していたことを。
私はふたりの間で、それぞれの頑張りを、ただ黙って見ていた。 少し距離を置いた心同士が近づき合おうとしている姿を見て、 泣いたり笑ったりしていた。
歯を食いしばって踏ん張ってる時ってあるじゃない? そういう時はピーンと張ってて、 少しでも触れようものなら、パチンとはじけてしまいそうなの。 表面張力ギリギリ、あと一滴たしたらカップの水が溢れるって状態と同じで。
それは、すごく頑張ってる時。 そして、自然に最後の一滴の水が落ちてきてカップの水が溢れ出すように、 「その時」ってのが自然に来る。私はそう思ってる。
「その時」が来る前に、無理矢理頑張りをやめさせて事実を突きつけてしまうと、 早産の赤ちゃんみたいなことになる。 お母さんのお腹の中でその日までゆっくりじっくり育つからこそ、 いい状態で外におぎゃーって出られるんであって、 それを早いとこ出しちゃいましょ、ってやっちゃうと、 外で生きられる体にまで育ってなくて生育に障害が出たり、亡くなったり。
それと同じでね。
人の心も「その時」ってのが来るんです。 「その時」が来ると自然に色々なことが受け入れられて、 自然につらい感情もしっかり感じて、 自然にそこからの気づきや学びをしていく。
どんなものにも「時が満ちる時」がある。 「その時」を迎える時が来る。自然にね。
そんなことを思い出したのはね、色々な人から色々な言葉をかけられたから。 自分がその時のアンナみたいだから。
元気ね、と言われて、元気じゃないよ;と悲しくなり(笑)
本当はつらいのに無理に元気にしてるのね、と言われて違和感を感じ(笑)
ということは、結局、つらいんだけど元気そうにしてますと言いたいんだろうし、 いいえ、別に無理なんかしてませんとも言いたいんだろう。 ああ、おもしろいやっちゃ〜 (/´Д`)/
私は元気だ。 でも、晴れ時々雨の「晴れ間」みたいな元気。
そして、悲しい時は悲しい。 晴れ時々雨の「雨」の時。
今の私にはそのどちらもある。悲しみを感じ切っていないかもしれないし、 無意識に実際よりも元気に振る舞っているかもしれない。
逆に、感じるところはしっかり感じているかもしれないし、 元気な時は別に無理しているわけではなく自然に元気なのかもしれない。
それは今はわからないし、わからないから別にどっちでもいい。 今の私は全然気持ちの整理なんぞできていないのだ。
そして、上に書いたように「その時」が来たら、 ちゃあんと感じるものを感じるんだと思う。 「その時」まで、私は私をただ見ていようと思う。 きっと踏ん張ってる自分を。
「お父さんへの思いをしっかり味わって感じてくださいね」
「その奥にあるものが大事なんですよ」
こんな言葉もあったな。感じなさい味わいなさいと言われなくても、 親が死んだらイヤでもそれは感じる(笑) いや、むしろ今感じ過ぎて恐らくわかって 意図的に遠ざけてるんでそっとしといてね、って感じ(爆)
時が満ちるまで、私は今のような、 なんなんだかわからない状態の中にい続けると思う。 そして、それでいいと思う。
おとといから発熱。 何の症状もないのに発熱なんておかしいと思いつつ医者に行ったら、 喉のリンパ腺が腫れていた。 結局風邪。
布団に潜り込むこの上ない理由を与えられた私は1日中寝ている。 これもいい機会だ。 うん、贈り物、贈り物(笑)
熱が下がる気配が一向にない中、ブログはゆらゆらしながらも書くという。
そして、ゆらゆらしながら空手に行って、さらにゆらゆらしてしまって、 今日は空手休んだ方がいいんじゃない?って言ったabuの言うことを ちゃんと聞けばよかったと反省中。
稽古の最後、神棚に向かって正座、黙祷、礼、起立、ってがあるんだけど、 その時の「礼」で、ぽーっとしていた私は、 みんながすでに頭を上げて正座に戻っていたのに、 いつまでも「礼」をしていた。 実は前に突っ伏して半ばもうろうとしていたという(爆)
合掌、ちーん。
時満ちる時まで、私はこんな感じの私。
そして、それを見ている私。 私だけでなく、母も、アンナも、abuも、きっとそう。 自分の中だけでの物語があるんだろう。 そして、家族は私のこともそうやって見ててくれてるんだと思う。 通じ合った友達も。
ありがたい、本当にありがたいね。 恵まれているとつくづく思う。 こういう時だからこそそこにある恩恵を強く感じる。
みんなが頑張ってる。
世界中のみんなが頑張ってる。
明日もいい日。
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