おひさまの日記
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2009年10月26日(月) 贈り物

これは、私が受け取った贈り物の話。

ゆう窓での出来事。

ドガン!!!と鈍い音を立ててカウンターを叩いた人がいた。
そして、まるで映画みたいに巻き舌で叫んだ。

「オンドリャァァァッ!!!
 何度も同じこと言わせんじゃねぇ!!!
 ふざけんな、ゴルァァァッ!!!
 出せっちゅーとんじゃぁぁぁっ!!!」

ものすごい形相でこちらを睨みつける。

こわくて膝がガクガクして足に力が入らなくなり、
立っているのがやっとだった。

さんざん怒鳴って暴れて、ようやく最後に思い通りになると、

「最初からこうすりゃぁ(言うことを聞けば)いいんだよ」

鼻で笑いながらそう言って去っていった。

付け足すと、そこで起こった出来事は、
詳しくは書かないけれど、
本来であれば、怒鳴られるようなことではなかった。
決して。
その人の言い分が理不尽だった。

招かれざる客が帰った後、パタン、と窓口を閉めて、
私はへなへなと崩れ落ちるように椅子に座った。

足は震え、心臓の鼓動はずっと早いまま。
体の奥の方から異常で不快な感覚がこみ上げてくる。
泣いていないのに涙がにじんできて、目の端にたまるのがわかった。
体中がガクガクぶわぶわして頭が真っ白、地に足がついていない。
錯乱している自分がわかる。

言葉にならない恐ろしい感覚に飲み込まれそうだった。

その時だった。
娘の顔がふっと浮かんだ。

あ…

この感覚はあの子の感覚、ふと、そう思った。
私もあの子をこんな目にあわせることがあるんだ、と。

すると、今度はさっきとは違う涙がこみ上げてきた。

こわかったね、アンナ、
体中がすくんで、頭が真っ白になって、
こわくてねじれそうだったね、
ママ、今わかったよ、ごめんね、ごめんね、
こんなつらい思いさせてたんだね、
どれほど恐ろしかっただろう、どれほど苦しかっただろう、
本当にごめんね…

小さな心と体で一生懸命に生きる我が子が、
こんな思いをしていたことを改めて深く知った時、
私は自分がかつてしていたことがどんなことであるかを思い知った。

仕事中なのに、泣けて泣けて仕方なかった。
ごめんね、ごめんね、アンナ…
そばにいたら今すぐ抱きしめたかった。

そして気づいた。
あのお客様は私に大切なことを知らせに来た天の使いだったと。
彼は、私が娘にしたことを、そのまま見せてくれたのだ。

あのお客様の怒りは私の怒り。
それは大切な気づき、大きな贈り物だった。

ホ・オポノポノでも言うように、自分の体験は自分の責任。
自分の心の奥深くにある痛みの記憶が引き寄せる出来事。
私は、人に理不尽な怒りをぶつけられる体験を引き寄せるような
痛みの記憶を持っている。
そして、そんな心の傷を大切な娘に投影し、
自分の姿を彼女に見て、今度は彼女を責める。
自分を責めるように、娘を責める。
裁いて罰する。

アンナは私のインナーチャイルドそのもの。
アンナは私、私そのもの。
彼女に怒りをぶつける時、私は自分を裁いて罰して責めている。
許せない自分の姿をアンナに投影し、
私を映した彼女を果てしなく否定しねじ伏せようとする。

それは、私が自分を否定し続けることに他ならない。

心から思った。
自分を受け入れたい。
自分を許したい。
自分を愛したい。
そして、それによって自分の大切な人達を心から大切にしたい、と。
家族を、友達を、周りにいる人達を。

ゆう窓の出来事は、
あのお客様もまた、幼い日、つらく恐ろしい体験をして、
心に深い痛手を負っていることを示している。

すべての人の心はひとつ。
同じ痛みを持ったもの同士が、
それぞれの姿を映し合い、見せ合う。
それに気づく時、終わりなき理不尽な世界に見えたこの世が、
別のものに変わる。

仕事を終えた帰り道、私はあのお客様に心の中で伝えた。

「今日はありがとうございました。
 怒鳴られたのはすごくイヤだったけれど、
 おかげで大切なことに気づくことができました。
 あなたの心の痛みも癒されますように」

もう二度とあんな思いはしたくないけれど、
それほどイヤな、ううん、イヤなんてもんじゃない、
舌筆に尽くし難いほどの苦痛を伴った体験だったけど、
それでも、今回体験したあの出来事は、
私にとって必要で大切な出来事だった。

お客様に心の中でそう伝えられた時、
彼への恐怖も怒りもやわらいでいった。
心地よかった。

人生には、頭でわかっていること、つまり「知識」が、
体験を伴って「知恵」へと昇華する瞬間が幾度となくある。

その瞬間、テコでも動かなかった人生の何かが、
突然、スーッと動き出すことがある。
魂の部分で理屈抜きに何かを感じ受け止め、何かが変わった瞬間なのだろう。

お客様の怒りは私の怒り。
私の自分自身への怒り。

私は自分をまだ許せていないみたい。
私は自分をまだ責めているみたい。
自分を罰し続けて追い詰めているみたい。

もう、そんなことから卒業したい。
本当に卒業したい。

私が郵便局にいるのは、
郵便局であまりに理不尽な体験ばかりするのは、
自分の中にあってそんなものを引き寄せてゆく痛みを、
手放すためのものなのかもしれない。
自分の中にあってまだ気づいていない自分への怒りや嫌悪を。

郵便局での色々な体験から、
それに気づいて、やさしくやわらかく包んで、神様の元へ返す時、
私は本当の意味で郵便局を卒業できるのかもしれない。

そして、そこからまた新しい道が伸びていくような、そんな気がした。

すべては贈り物。
その贈り物に目を向ける時、突然目の前が開けて、
世界が違って見えることが、
そして、世界が別のものになってゆくことが、わかってきたんだ。

贈り物は、時に、贈り物に見えない。
贈り物どころか、罰だの不運だの、そんなものに見えることがある。
でも、よぉく感じてみると、贈り物でないものなんて、
この世界にないのかもしれない。

受け取ろう、贈り物。
どんなに心が痛んでも、痛みを感じたその後、
差し出されたもののすべての中にあるそれを、
見つけようとする心があれば、必ず受け取れる。


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