おひさまの日記
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2009年08月04日(火) |
ヒトリ映画鑑賞会「西の魔女が死んだ」 |
今日もひとり。 昨日はお風呂を満喫したので、 今日はDVDを借りてきてヒトリ映画鑑賞会をした。
観たのは「西の魔女が死んだ」。 以前、原作を読んでとても感動したので、 映画化されたのを知った時、ぜひ観たいと思ったんだけど、 なんとなくそのままになってしまっていた。
たくさんのあたたかい涙が流れた。 観終わった後は、とても大切なことを思い出したような、 そんな気持ちになった。
いい映画は、ぶれた自分を元に戻してくれるような気がする。 映画という仮想現実の中で、ストーリーや登場人物と自分を重ねて、 そこでの出来事や感情を疑似体験することで、 自分で何かを体験をしたのと同じくらい、大きな贈り物をくれるのだと思う。
でも、実は、心が動く映画を見るのは気が引ける。 観て心が震えるのがなんだかイヤなのだ。 イヤじゃないんだけど、イヤなのだ。 それは、心のどこかで、 感じないようにしてるものを感じてしまうのが、 わかっているからなのだろう。 いい映画を見ると、そんなものにイヤでも触れる。 私の場合、だから観る前って抵抗があるのかもしれない。
そして、観た後、必ず思う。 観てよかった、と(笑)
「西の魔女が死んだ」、本当によかった。
親である自分、娘である自分、子供だった自分、色々な自分に思いを馳せた。 そして、親として、娘として、ここに在ることの喜びとありがたさを、深く感じた。
映画の後、私は母に電話をして、 日頃の自分の言葉や態度を詫び、いつも支えてくれることへの感謝を伝えた。 どんなお母さんであろうと、そこにいてくれるのがいいんだ、と。
最後に、普段なかなか言えない「お母さん、大好き」を言いたかっんだけど、 言う前に母の携帯の電池が切れ、会話は尻切れとんぼのようにそこで終わった。
お互いに電話をかけ直さないところが、親子だなぁ、と思った。 かけ直さなくても伝えたいことが伝わっている、 それを受けて母が返す言葉まで伝わってくる、そんな感じがした。
私には意地悪なまでに冷たいこともあった母だけれど、 おばあちゃんになった今、孫のアンナには想像もつかないくらいやさしい。 それは、「親も孫には甘い」なんてだけじゃなく、 時間の中での母の人間的成長もあるのだと思う。 そう思う時、私もひょっとしたら、おばちゃんになる頃には、 もっと成長して違ったものを発する人になっているのかもしれない。
人はそうやって死ぬその瞬間まで成長しながら生きていくんだろう。
ヒトリ映画鑑賞会、本当にいい時間だった。 8月中は旧作のレンタル料が100円のゲオ、明日も何か借りちゃおうかな♪ この安さ、今がチャンス!とばかりに、 攻殻機動隊 S.A.C.と S.A.C.2もまた全部観ちゃったもんね。
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