おひさまの日記
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2009年08月03日(月) |
「自分の声を聞いているか?」 |
今日もひとり。 なんとなく時間をつぶすのももったいない。 せっかくなら、こういう時間を楽しもうと、近所のお風呂屋さんに行った。
おっきいお風呂はいい。 足が伸ばせる(笑)
サウナにも入った。
ただぼぉ…っと座っていると、 普段いかに忙しく頭であれこれ考えているのかがわかる。
そう言えば、最近わけもなく気持ちがどんよりしてる。 重苦しい感じが常につきまとって苦しい。 なんとかしたかった。 でも、どうしたらいいかわからなかった。
サウナの中で、ふと、昔ある人に教わったことを思い出した。 自分をサポートしている存在と対話したい時の方法だ。
それはこんなイメージワーク。
イメージの中で、自分が心地よいと感じる場所に、 テーブルと、そのテーブルを挟んで椅子をふたつ用意する。 自分がこちら側に座り、テーブルを挟んだ向こう側の椅子に、 今自分に必要な存在に座ってもらう。 そこで、対話していく。
蒸し暑いサウナの中で、やってみた。
不思議な森のような中。 木のテーブルと椅子をイメージする。 私がこちら側に座る。 気づくと、テーブルの上にキリギリスみたいな緑色のバッタがいた。
「あれ、このバッタみたいなのが今日の私に必要な存在?」 なんだかなー、バッタかよ」
そう思いながら、浮かんでくるままにイメージを感じていた。 バッタは時々ガサゴソ動くだけで何も言わない。 私はバッタに話しかけてみた。
「こんにちは」
バッタは無反応。 でも、見ていてなんだか面白いので、じっと眺めていた。 ずいぶんしばらくしてから、バッタが言った。
「自分の声を聞いているか?」
ぎょっとした。 バッタは繰り返し言った。
「自分の声を聞いているか?」
その言葉に私の奥の方がざわざわし始めた。 バッタはまた繰り返し言った。
「自分の声を聞いているか? 自分の声を聞いているか? 自分の声を聞いているか?」
わかってしまった。 私はわかってしまった。 その言葉だけでわかってしまった。
バッタは続けてこう言った。
「お前はもっと自由だ」
私は目を背けていたことに直面せざるを得なかった。 自分の声を聞いているか? その問いに対して、私の内側から声なき声がした。 声なき声と言うか、感覚のようなものだった。
「私は、自分の声ではなく、周りの声を聞いていた。 その周りの声に従って、選択し、行動し、そこから生まれたものを自分の現実にしていた。 自分の声を無視していた。 自分のしたいように、ではなく、周りが望むようにしていた。 そうすることで、相手の機嫌を損ねないようにしていた。 相手が望む自分でいれば、問題は起こらないから。 相手の意思に背けば、イヤな顔をされたり、不機嫌な態度を取られたりして、つらい思いをする。 悲しくて不安で恐ろしくて、いてもたってもいられなくなる。 だから、従順でいた。 もし、相手の機嫌を損ねようものなら、それをなだめようと必死だった。 自分の声ではなく、相手の声を正しいものとし、一瞬でも自分の声に従った自分への許しを乞うた。 そうする度に、自分の声を葬り去った。 それは自分の『死』だった。 私の内なる声は何度も死んだ。 もはや私は私ではなく、相手が望んで描いた私を生きていた。 私はここにいるのに、私はここにいない。 私は自分の声を聞いていなかった」
そんな感覚を感じた時、私は深い安堵を覚えた。 言葉にすると長いけれど、それをほんの一瞬で感じた。 そして、思った。
だから苦しかったんだ… すべてが腑に落ちた。
バッタはもう何も言わなくなった。 すると、白髪の長い髪に白髪の長い髭の老人が現れて、 バッタを両手ですくいあげるように手のひらに乗せた。 その老人を見てハッとした。 見覚えのある老人だった。
あなたは…
そう、もう何年も前に、同じ方法でダイブした時に出会った老人だった。 あらーっ、またお世話になっちゃって…(笑)
その老人はやはり何も言わなかった。 そして、片手を伸ばして大きく振り上げると、私の頭の上から振り下ろした。 まるで頭をざっくりとえぐるように。 後頭部がぽっかりと空洞になったような気がした。 すると、その空洞になった部分にイヤな感じがしてきた。 見てみると、後頭部からミミズだのへんな長い虫みたいなのがうじゃうじゃ飛び出していて、 見るとその恐ろしさのあまり石になってしまうという、メデューサのようだった。 あまりに恐ろしくて気持ち悪くて助けを求めた。 けれど、その老人はバッタを手のひらに乗せたまま去って行った。
あああ、おじいさん、放置プレイですか〜っ!?
私は、後頭部のおぞましい状態をどうしていいかわからず、 しばらくそこでただ困惑していた。 そうだ、こういう時は天使にSOSだ!と思って、
「天使さん、これを取って!」
そう助けを求めた。 すると、天使がやって来て言った。
「ダメだ、取れないよ。 これは、あなたが持っていたいからここにあるんだもの。 あなたが取ると決めない限り取れないんだ」
いやぁっ、こんな気持ち悪いものいらないってば!
いらない! いらない… いらない? 持っていたい? なぜ持っていたいの? これは何なの?
私がこれを持っていたいのなら、その私に出てきてもらおうと思い、呼んでみた。
「これを持っていたい私、出てきて」
すると、出てきた。 中学生の私だった。 すぐにわかった。 おどろおどろしい絵ばかり描いて部屋中の壁に貼っていた私だった。 真っ暗な中に血走った目だけがカッと見開いている絵、 黒い沼から手だけがぬっと出ている絵、 顔半分が腐ったように崩れ落ちている女の人の絵、 楳図かずおの恐怖マンガさながらだった。
なぜそんなことをしたのか、今でもよく覚えている。
こういう気持ち悪い絵を描いて貼っておけば、 親に「この子は何かおかしい」と思ってもらえる、中学生の私はそう思っていた。 そういう絵を見せつけることで訴えたかった。 自分がどれだけ苦しいのかを。 支配者のような父親に言いたいことを言えば怒鳴られる。 思うこと、感じること、欲しいもの、したいこと、全部否定される。 そして、ただひたすら怒られる。 こわかった。 だから、ただ言いなりになるしかなかった。 そして、私の精神は崩壊寸前だった。 「助けて、自由にして!」と言う代わりに、私は絵を描いた。 おどろおどろしい絵を。 それが私の精一杯の言葉にならない言葉だった。
その中学生の私が、この後頭部の気持ち悪いのを持っていたい自分。 そうか、そうだったのか。 私の後頭部の気持ち悪いうじゃうじゃは、あの絵と同じなんだ。 これを持っていることで
「私追い詰められておかしくなってるんだ。 助けて、自由にして!」
そう訴えてたのか。 言うのはこわいから。 言ったらイヤな目にあうから。 だから。
彼女はおどおどしていた。 私は彼女の隣に並んで座った。
「こわくて言いたいこと言えなかったもんね」
そう言うと、彼女は短く「うん」と言った。
「ねぇ、大人になっても私はあなたとおんなじなんだ。 あの絵の代わりに、こんなのがくっついてる。 今も変わってないの。 私を見てどう思う?」
そう尋ねると、彼女が答えた。
「大人になったらもっと自由になれると思ってた。 がっかりした」
彼女はひどく失望したようだった。 これじゃいけないと思った。 私は彼女の希望なのだ、未来なのだ。 この子を救うのは私しかいない。 この子は私なのだ。
私は彼女の方に体を向けて座り直し、言った。
「ねぇ、私、頑張るから。 あなたが未来に希望を持てるように頑張るから。 もうそんな思いしなくて済むようにするから。 こんなものなくても、自分の言葉でちゃんと自分のこと言えるようになる。 こわいけど、もうそんな思いしたくないもんね。 私ももうイヤだ。 つらかったよね」
そう言うと、中学生の私は、自分の部屋に戻り、 壁中に貼ってあった気持ちの悪い絵を全部はがして持ってきた。 そして、丸めて私に渡した。
「もう、いらない」
彼女がそう言うと、私の手の中にあった気持ちの悪い絵が、炎に包まれてボッと燃えて消えた。 彼女はちょっと笑った。 そして、いなくなった。
私の後頭部には、気持ち悪いうじゃうじゃがまだそのままあった。 さて、どうしたものか。 あの子はもういらないと絵をはがした。 あとは、私か。 決めるだけか。
こわけど、決めた。
「自分を生きよう。 自分の声を聞いてそれを生きよう。 どんなにこわくても、自分に背かず生きよう。 勇気とはそういう時に使うもの」
後頭部からうじゃうじゃがなくなったような気がした。 けれど、後頭部はスカスカしてあまりいい感じじゃなかった。 なんかヘンな感じ… そう思いながら、私は閉じていた目を開けてサウナを出た。
15分近く入っていると暑くてたまらなくなってくる(笑) 水風呂に入り、一旦体を冷やしてから、露天風呂に入った。
お風呂に浸かりながら、ぼんやりとさっきの体験のことを考えていた。
私、自分の声、聞いてなかったな… 自分の本当の気持ち、本音、そんなものの通りにしたら、 相手を怒らせたり、イヤな顔されたり、イヤな態度されたりして、つらいから、 相手に合わせてたよな。 気づいていないフリをしていたけど、本当はどこかで気づいてた。 気づいてしまったら苦しくなるから、気づかないフリをしていた。 でも、押し殺した自分の気持ちや本音は、なくなったんじゃなく、 奥の方でぶすぶすとくすぶってるだけだから、重苦しかったんだ…
大切な自分の断片を取り戻した感覚。 もう重苦しくなかった。 スッキリとして心地よかった。
でも、後頭部のうじゃうじゃがないのに、 なんかそこが気持ち悪いような、ヘンな感じは変わらなかった。
気の済むまでお風呂に浸かって帰って来た。
キッチンの定位置で煙草を吸いながら、まだあの体験のことを考えていた。 おそるおそる後頭部を触ってみた。 フツーにいつもの頭だった。 そりゃそうだろう(笑)
こわいけれど、何よりも大切なもの、自分の声、それを大切に生きよう。 改めてそう思った。 それに尽きる、それに尽きるよな、と。 そこからすべてが始まるし、私がそうあることで、 私の関わる周りの人もそうあるようになるはず、と。 私の小さな頃のつらい体験はもう終わったのだ、と。
すると、私の頭に月桂樹の冠がふんわりと乗ったイメージを感じた。
あ…
月桂樹の冠は、勝利者の頭上に輝く栄光のシンボル。 誰が乗せてくれたのか、
「よくやったね」
そう言われたような気がして、うれしかった。
そか、これでいいんだね…
私の中で何かがカチッと音を立ててシフトした気がした。
自分の中で葛藤がある時、人は苦しくなる。 私は自分の中に葛藤があることに気づいていながら、気づかないフリをした。 「自分を生きたい自分」と「人の気持ちや思いで生きる自分」との間の葛藤。 その葛藤を見て見ぬフリをした。 目を背け続ければ、苦しみはどんどん大きくなってゆく。 気づかないフリをしているから、それで苦しくなっていることにも気づけない。 なんだかよくわからないけど苦しい、そんな状態になる。
これまでも、イヤというほどそんな状態を味わってきた。 そして、何度も抜け出してきた。 そして、そして、また同じ状態になる。 今、また、そこを抜けた。 こうして繰り返すうちに、いつかもっとまっすぐに生きられるようになるんだろう。
「自分の声を聞いているか?」
その言葉を、私は忘れない(でいたい・笑)。
あのおじいさん、また出てきてくれた。 きっといつも見守ってくれている存在のひとりなのだろう。 ありがとうございます。 また大切な体験ができました。 あの椅子に座りに、またきっと行きます。
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