おひさまの日記
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2004年12月03日(金) |
やることをきちんとやる |
相当な面倒くさがり屋の私だけど、 やることをきちんとやるって、当たり前だけど、すごく大切だと思う。 なぜって、やることやらないと、それだけで落ち込む。
私自身のことで例を挙げると、 例えば、家の中の掃除洗濯片付けがたまって、 今日やらないともういい加減家の中スゴイよ!って時、 それでもやっぱりやりたくないわけで、出かけちゃったりするわけだ。 楽しいこと優先なのね。
で、外に出ると自分がやるべきことについては考えなくなるんだけど、 意識の片隅では「ああ、家のことしなくちゃ」って思ってる。
そうすると、無意識にそっちにかなり意識が向いていて、 「やらなくちゃ、やらなくちゃ」と心ン中では繰り返されている。 でも、目をそらす自分がいて、今度は、 「こんなんじゃダメだ、こんなんじゃダメだ」と自分を責める。
だから、外で楽しくしてるはずなのに、なんだか心がどんよりしてくる。 しかも、頭ではすべきことについて考えるのをやめているから、 「私なんでこんなに重い気持なんだろう?」って、 ブルーな気持の理由がわからなくなる。
そして、帰ったら帰ったで、ぐちゃぐちゃな家の中を見て、 散らかってて気分は悪いわー、イライラするわー、 すべきことを放棄した自分が更にダメ人間に思えてくるわー、 かなり落ち込むわけだ。
意識ってのは、今ここで頭で考えていなくても、 何か心に引っかかりのあるものがあれば、それが潜在的なものであろうと、 引っかかりの数だけ、もれなく意識を注ぐ。 そうすると、自分の意識がそれだけ分散するのだ。 ひとつのものを多く分ければ分けるほど、その分けたひとつが小さくなる。 それと同じことが意識にも言えて、 気になることをそのままにしておいたりすると、 意識がそっちに分散したままになる。 今自分が目の前で一番意識を集中したものに対して注ぐ分が減るのだ。 そうすると現実が滞ったりする。
上の私の例もそうだけど、意識が分散している上に、 分散した片割れが罪悪感を感じていて、 知らんぷりしてる方の意識にまで罪悪感のバイブレーションを送っている。 一蓮托生、ひとつがどんよりすると、みんなどんよりしてしまう。
あの人にメールの返事してなかったな… 歯磨き粉がもうすぐなくなるから買わなきゃな… 換気扇のフードの掃除しなくちゃな… 部屋の中片付けなきゃな… こういう生活習慣変えなきゃな…
そんな些細な引っかかりが、気付かない所で私達の意識を引っ張る。 そして、そういう想いは往々にしてどこか後ろめたいものだから、 気持もすっきりしない。 私等は慢性的に落ち込んでしまうのだ。
だから、基本中の基本だけど、やることをきちんとやる、これ大切。 やると、嘘っ!?ってくらいスッキリする。 本当だよ。 信じられないくらい気持が切り替わる。
私も今日は頑張った。 引っ越してきてから6年半の間にたまりにたまった、 ベランダに寄せて寄せて起きっぱなしにしたものを、 一気に片付けてトラックに積んで清掃工場まで行って捨ててきた。 ものすごい爽快感。 この勢いで、家の中のいらないもの一掃したくなった。
やることやるって気持いいな。 息抜きなしの頑張り過ぎはいけないけど、 頑張りなしのだらけ過ぎもいけない。
「やることをきちんとやる」、来年の目標にしようかな。
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