おひさまの日記
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私達はあれこれと頭でものを考える生き物だ。 思考は連鎖する。 見事な連想ゲームが頭の中で展開されているのだ。
そして、私達は、その思考が自分の真実だと思いがち。
例えば、
○○さんに挨拶したら、機嫌悪そうに低い声であいさつ返されたな。 ↓ なんか感じ悪いな。 ↓ 私、気を悪くするようなことしちゃたかな。 ↓ どうしよう、嫌われたのかな。 ↓ そうだ、なんかしちゃったんだ、どうしよう、何したんだろう? ↓ 仲間はずれにされたらイヤだな。 ↓ そういうことするから○○さんって苦手なんだよな。 ↓ そう言えば、昔から合わないと思ってたんだよ。 ↓ これからは仲良くするのやめよう。 ↓ ああ、私は孤独なんだ。
こんな感じで、最初にパッと浮かんだ考えが、ドンドン発展していく。 脈絡のないこともどんどんつなげていく。 そして、考えているうちに、 あくまで憶測に過ぎなかったはずのものが、 いつの間にか自分にとっての事実になってしまい、 その作り上げた事実に基づいて行動を始めてしまうのが私達。 そして、この連鎖には、その思考に伴う感情も発生する。
この思考とは、実は「心理反応」だ。 そして、この心理反応が起こるのは、 過去の体験等からできあがったデータベースがあるから。 すべてをそのデータベースに基づいて判断し、 無意識のうちに出てくるのが心理反応。
そして、この思考、つまり心理反応は「自分」ではなく、 あくまで、9/21の日記にも書いた「お客様」なのだ。 このお客様を自分だと思い込んでしまうと、 人生どろんどろんになってゆく。
ある本に書いてあった。 「人はなぜ苦しくなるのか。 それは、苦しくなることを考えるからだ」 私は唸った。 確かに。
人の癒しには多くの過程を必要とする。 そのひとつとして、 自分(心)と自分の思考(心理反応)は、まったく別のもの、 という理論的なことを認識していくことも必要だったりする。
それを認識したからと言って、人生が激変するということはないだろう。 けれど、横暴なお客様に家を乗っ取られて言いなりの主が、 自分がそこの主であることを思い出し、 毅然とした態度を取り始めることができるようになる。
そして、そこから始まるものが,間違いなくあるのだ。
よく「自分の本当の気持ちがわからないんです」とおっしゃる方がいる。 「自分の感情がわからない」と。 自分(心)と自分の思考(心理反応)が一緒になってしまっているのだ。
テロリストにハイジャックされた飛行機は、 どこに飛んでいくかわからない。 もちろん、テロリストの目指す場所に連れて行かれてしまうだろう。
私達も同じ。 思考、つまり、心理反応を自分そのものだと思い込んでいると、 心が行きたい場所ではなく、 心理反応が行きたい場所に連れて行かれてしまう。 そして、そこは、大体がひどい場所だったりする。 なぜなら、人間は物事を悪い方へ考える達人だからだ。
そんな時、主たる自分が、 「私の客人である思考(心理反応)はこんなことを考えているのか。 そうか、そういうことを考えているのはわかったよ」 そう眺めてみる。
そうすると、自分(心)と自分の思考(心理反応)の間に、 明確な距離ができて、一緒に連れて行かれてしまうことは格段に減る。 純粋に「今」「ここ」での自分の反応を味わうことだけに集中できる。 そして、それは、終わると勝手に去っていく。 それを繰り返していくうちに、私達は大切な「何か」を発見する。
お遊びのつもりで試してみるといい。 どうせ同じ感情を味わうなら、 悔しいから、その中であれこれ試してみてもいいじゃないかと思う。
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