おひさまの日記
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2004年08月12日(木) |
本当の目的、本来の場所 |
近所の霊堂のお祭りが近い。 毎年、近所の子供達が山車を引く。 アンナも参加したことがある。
今年もそのお祭りが近づいてきた。 アンナに今年も山車を引くか聞いてみた。 すると、「やりたくない」と答えた。
私は内心焦った。
近所の子供達みんながやるのに、 ウチだけやらないのもどうだろう? 近所のお母さん達とのいいコミュニケーションの場でもあるのに、 参加しなかったら出遅れちゃうかも…
そんな、不安だの、恐れだの、心を揺らすものが、 自分の中に吹き出していることに気付く。
そして気付いた。 私は、アンナのために山車を引かせるんじゃなく、 自分のメンツや、アンナのこれからの人間関係のために、 山車を引かせたいと思ってたんだって。
なんか違うと思った。
そして、そういうんじゃなく、純粋に、 暑くて辛いけど頑張った後の充実感とか、 そういうのを体験してほしいなぁって思い直した。
アンナには、 昔、暑くて辛い中頑張って引いて気持ちよかったこと、 そんなことを交えながら、 ママとしては、人として、沢山のお友達の中でこういう体験をして、 色々なことを感じていってほしいと思ってる、 そう伝えて、その上で彼女に決めさせようと思う。
うっかり本当の目的を見失うところだった。 私が身を置きたいのは、不安や恐れに満ちた場所じゃない。 私達人間の体験の本当の目的は、 その場その場での学びであり、自己成長そのものだ。 そして、私の心ひとつで、 その成長の機会をアンナから奪ってしまうところだった。
冒頭の私のように、何かのコントロールや操作、 つまり、近所のお母さん達への体裁、 今度小学校に上がるアンナの人間関係への杞憂、 そんな不安や恐れに思っていることを回避するための策略、 そんなものが目的になっているのは、何かが違う。 歪みが生じる。
よくよく考えると、人はきっと度々本当の目的を見失う生き物だと思う。 不安や恐れを持つ限り。 けれど、道を過った時、軌道修正できるのも人間だ。
不安や恐れは真実の眼を曇らす。 私達は、元々神と同じ真実の眼を持っている。 心の一番奥にあるその眼をしっかりと見開いていたい。 自分達が生きる本当の目的を見失わないでいたい。 弱いから、時に見失っても、 また、本当の目的、本来の場所に戻れる自分でありたい。
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