おひさまの日記
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2004年08月08日(日) |
ある意味デジタルな人生 |
私は時々昔を振り返る。 昔を振り返って思う。 人生って、綿密に計算されたかのように、 ある意味、デジタルな感じなんだなぁ、って。
それはどんな感じなのかと言うと、 プログラミングされているものが、 しっかりとその通りに動いている感じとでも言おうか。
生まれてから今この瞬間まで、 その時、その時、起こった何かはそれだけのものでしかなくて、 辛かったり、悲惨だったり、楽しかったり、幸せだったり色々だけど、 とにかくそれだけでしかなくて、 でも、遠い未来へ届くタイムカプセルみたいで、 後になって、たくさんの出来事や体験が生み出すものだったりする。
そして、もうひとつ言えば、 それらは完璧なタイミングで訪れる。 コンピューターで言えば、 決められた時に決められたプログラムが起動するような、そんな感じ。 そして、その決められた時というのも、 マシン<つまり私達>の状況によって、ちゃんと前後したりする。 前後して、完璧なタイミングで起動し、 そのプログラムで実行されるべきことが行われる。
そしてね、プログラムと言っても、 寸分の狂いもなくすべてが決められたものかと言うと、そうでもない。 インタラクティブムービーみたいに、いくつもの展開や結末があって、 折々の選択により人生の流れが変わっていく。
私自身のことで話してみるとこうなる。
小さい頃、父親の暴力がひどくて、 母親はそのストレスでうまく私を愛せなくて、 (今思えば、2人とも私を深く深く愛してくれていたし、 ただ不器用で、心の底では彼等こそが苦しんでいたとわかるけれど) まず、トラウマのベースができ上がる。
で、そのトラウマ作用で人生に苦しいパターンが押し寄せる。 それが20代後半まで怒濤のごとく続き、やがてセラピーに出会う。 そして、失ってしまった自分探しと、癒しが始まる。 そこで初めて魂の作業として人生を見つめることを知り、 生きるということに対して大きく視点が変わる。 自らもセラピストとなる。
これ、子供の頃のトラウマがなかったら、絶対にあり得なかったことだ。 流れ的に、すっごくつながってるのを感じる。 今じゃ、セラピストという仕事がとても好きでやりがいを感じている私は、 父ちゃん、母ちゃん、トラウマをありがとう!って気持ちだもん。 トラウマからの辛さはそれはそれだし、今もとっても苦しいし、 でも、それはそれ、別モンで、 やっぱり、トラウマをありがとう!って思う。 しつこいが、苦しいのはイヤだけど。
癒しが始まったら、これまた巧妙。 最初のテーマ、父親との関係に向かい合う。 それをセラピーしていくうちに、 あんなに慕って大好きだった母親としっくりいかない何かを感じ始める。 やがて、父がホームに入所し、父と何のいさかいもなくなると、 今度は一気に母親とのテーマが浮上する。
ちゃーんと段階があるのだ。 最初これやって、次これね、みたいな。 準備されていたかのように、ひとつ終わったら、また次って感じで。
大枠で書いたけど、 人生折々のもっと細かいことすべてにそういうことを感じるよ。 出会った人達、折々の出来事、やってきた仕事、 もっと細かく言えば、日々の体験すべて、そのものに。
時々、これ、絶対誰かが後ろで糸引いてる!って思うもん。 そう思うくらい巧妙でうまくできてる。 まさにデジタルな感じ。 カチカチとプログラムが正しく作動しているかのように。
で、じゃあ、その後ろで糸を引く誰かってのは誰かって言うと、 私達の魂なのだ。 そして、私達を愛してやまない大きな存在や宇宙の摂理なのだと思う。 なのだ、なんて断言してるけど、 魂や大きな存在ってのは見たことないんだけどね。 でも、生きてることで魂や大きな存在が間違いなくあると感じられるので、 そう表現してみた。
宇宙っていう神様のホストコンピューターがあって、 その端末に人生っていう私達のコンピューターがあって、 ウイルスみたいに気付かないうちに色々なデータが入ってきて、 絶対に駆除できない、そんな感じなのね(笑) そのデータにサポートされた魂は、 生まれる場所を選んで生まれ落ち、 正々堂々と傷付き、苦しみ、人生を構築し始める。
自動的に入り込んで来るデータは、 一瞬悪質なウイルスみたいだけど、実はとても大切なデータだし、 ホストコンピューターからの指示は絶対なのね。
そして、それは、長いプロセスをかけないと解明できない、 なんともじれったいプログラムなのだ。 だから上にも書いたように、 生まれてから今この瞬間まで、 その時、その時、起こった何かはそれだけのものでしかない。 それをつなぎ合わせて振り返るくらいの長さになってからじゃないと、 全貌が見えてこないし、見ちゃいけない、そんな感じ。
だから、人は長く生きれば生きるほど面白いんだと思う。
あまりにデジタルなものとは懸け離れているような人の人生が、 実は、巧みに仕組まれているものなのかもしれない。 魂という操り手の元、私達は地球で人生というダンスを踊るのかもしれない。
ボケーッと自分の人生振り返ると、そんなことを思う。
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