おひさまの日記
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ある本の中にこんな言葉を見つけた。
「誰もあなたを傷付けなどしない。 あなたが傷付きたいだけだ。 誰もが自分の傷を守るのに必死で、人を傷付けるゆとりなどない。 あなたは傷を持ち歩きたいだけだ。 その傷で痛がりたいだけだ」
深いな〜。 深いよ〜。
「誰もが自分の傷を守るのに必死」…か。
本当にそうだ。
誰もが自分の傷を守るために反応しているだけで、 実は、そこには人を傷付けるゆとりさえないのだ。 もっと簡単に言うと、 人のことを傷付けるほど相手のことなど考えていない。 みんな自分のことで頭がいっぱいなのだ。 人は自分の傷を守るために、たとえば、傍若無人に振る舞うのだ。 そこに人を傷付けようとする意図があったとしたら、 それさえも、自分の傷を守ろうとする行為だ。
人には大きく分けると3つのタイプがあると思う。 人との接点においての反応の3つのタイプだ。 ひとつは「相手が悪い」と思うタイプ。 もうひとつは「私が悪い」と思うタイプ。 最後は「私には関係ない」と思うタイプ。 それぞれの根源にあるのは傷。 心の傷。 表れ方が違うだけだ。
私たちは「傷付いた」と感じた時、 相手のことも、自分のことも、責める必要はない。 無関心や無関係を装い、自分の内側を知ることから逃げる必要もない。 ただ「傷付く自分」の存在に気付くだけでいい。
原因は外にない。 すべては自分の内側にある。
被害者でいることは快楽だ。 ものすごく楽だし、努力しなくていいし、 まず被害者であるという言い分を武器に相手をコントロールできる。 また、自分がすべきことをしないですむ。 だから、私達は傷を持ち歩く。 持ち歩きたいのだ。 もしも、その傷がなくなったら、 今までのやり方で人を攻撃したり、コントロールしたり、 努力から逃げたり、できなくなってしまうからだ。
だからこそ、自分の傷がもはや癒しようのない、手に負えない、 どうにもならないものだと思い込みたいのだ。 そうしなくては自分が築き上げた世界が崩れていくから。
幸せになりたい、救われたい、変わりたい、 そう頭で思うかたわらで、 私達の深い意識にはそんな想いが存在している。 それを認めることからすべてが始まる。
もちろん、私も。
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