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2007年03月08日(木) かくあるべきライン?寄りどころ。言葉の必要層

ふつう(平準)もあれば、ハンディ(平準にいたら無さ)だってありうる


そうなのだから、かくあるべきイメージ・ラインなんてものも、必ずも到達してしかるべきだなんて、思い込んでしまう義理なんて無いのかもしれん。



根拠も保証もないことかもしれないモノであっても、「こうならばイイよなあ」と思いたいもの。

そんな自分の中の願望(寄りどころ・支え)と、状況(他人のありようなど)とのズレで、ストレスがあるとしても


そんな自分の内の偏りぶりから、外側から見られている自分の姿という発想につなぎうることもあるかもしれなくって。

相対化…自分とは違うさまざまな他人の存在



自分の性質・気質をもとに、我が身を保つ。


冷静さ…的確な認識への見なおし
割り切り。ときには距離をおき、引き、退陣・撤退ぎみにも。
気持ちや価値の再整理。
ここまでの経験量からの。


悪人のふりでスネるのも、善人ぶりの背伸びぶりも、徒労としての質は大差がない??




言葉(による認識の見なおし、問いなおし、立てなおし)を必要としちゃう層について。

それは、それぞれの個別の場面ごとのストレス・不適応(それは、ある程度は、半端者・変わり者がかった事例とも言えるのかも)ぶりの度合いによるのかもしれなくって。


…「世間の表層を覆うコトバ」と、その人の実場面でのありようとのズレだってあるのだろうから。



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長谷川 |MAILHomePage

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