あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース

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2006年12月16日(土) 下書き・アイデアメモ

ヲタク特有の理屈っぽさは自信のなさの裏返しだという。

(人とうまく話せない、みんなが一緒に盛りあがっていても自分だけ笑えない)
(大学に残りたがる人種の特徴 自閉的・分裂症的・憂鬱症的…インテリあるいはヲタクたる人のヲタっぷりの特徴 ベテランあるいはプロのヲタクとは自分の病質との折り合いをつけてバランスをとれる者のこと?)

(気心の知れた相手以外とうまくキャッチボールができない)



外の相手の動きや姿やしぐさや表情を見て感じとり吸収するセンスの弱さ




・姿勢を良くするための思想




・価値相対論
個別の具体のもろもろのケースがあるということ、おのおのの自分と他者と場にしょーもないところとそこそこはイケてるじゃないちょっと輝いてるかもというところで、経験から、自分はこーゆうことはできるがここでは弱い、自分はこーゆうとこで新鮮さ楽しさを感じるが、これに関してはどーかと思うということを、時間の流れによる変化も含め感じとること。






■ 13:46
最近、ぼくは、こういったメモ的な更新をわりとおこなっているけど、

ふと、なんのためにやっているんだろうと考えると「自分のためにやってるんだなあ」と思う。



(ものごとを筋みちつけてはっきり区切りたがるインテリ=ヲタク気質。)




みなといっしょに横ならびの貧乏あるいは凸凹のない平坦になりたがる状況?=イデオロギーの需要の終演




思想(教養)はエンターテイメントであり、エンターテイメントは思想(教養)である。



…カタルシス(なぐさめ・ガス抜き)あるいは明日を照らす場所




■ 13:19
ブログというのが、4・5行でのレスをはさみたくなるようなツッコミどころの供給だったり、「こうみせたい自分」の演出ぶりがさらされる内輪むけのメディアだとするなら、そうと自覚して用いれば良いかと思う。




■ 13:28
時間の流れをふまえる

…なぜそれが新鮮だったのか面白かったのか。

そして、これからもそれを楽しめるのか楽しめないのか。




現在の自分にとっての認識や判断をかためる。



経験や時間の流れの中で、自分としてはこう思いなおすことでやっていけるかもしれない、ということ。




とあるテクノDJクルーがかつて「クラブを居酒屋やカラオケのようにぶらりと足を運びやすい場にしてゆきたい」と発言していて、そう思うのはたしかに人情だけど、その文化のもちうる相手への浸透力と限界もやはり頭の片隅にあっても良いと思う。



自分のココロの居場所を自覚しつつ、しかし、それを(不特定、あるいは特定の)他人に全面的に共有してもらおうとは思わないこと。(どんな相手も他人は他人、なので)




常盤さんは、2〜3人にしか通用しないものでもエンターテイメントとして成立していればそれで良いと思う、たとえ自己満足であれ人に見られても良い自己満足をしろという。

岸野さんは自分を突き詰めればそれがポピュラリティーに繋がる、繋がらないならばそれは自分の突き詰め方(おもてなし)が足りないのだという。



「人気」というものが「人」の「気」=ニーズの受容できる器とすれば、

「人」の「気」を集めるものは人前にそういった要素を受けつける間と要素を共に持つものを見せているということになるのかと。



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長谷川 |MAILHomePage

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