あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース
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・「自己認識」が内なるニーズとして生じうるケースについて(ダメなヘンな自分、悩む自分、ビョーキな自分)
同席性←→ディスコミュニケーション(ニセ学生マニュアル赤版6章) ↓ 「認識」の内なるニーズへ?
「個別」の「もろもろの具体ケース」における自己
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・程度の多少はあれども、引っ込み思案・情報依存タイプな人にとって…パチンコやタバコのようなものとして機能してしまいがちな文字や文章 (パチンコ…9割がたはハズれ台)
・文字や文章と現実(世のもろもろの場・場面)との齟齬・乖離 →たとえば、それは五感のよって、チョイス・判断し切り刻んで世をとらえるスタンス(センス)も、繰り込めている思念なのか、とか。
文字や言葉は、世のもろもろの場で齟齬・乖離の生じうる性質を多分に含むものだと踏まえて接してゆくしかない、のでは。 (それがある上での、測りとしての文字や言葉の効用であり、再考なのでは)
インテリ(ヲタク)のプライド・ナルシズム←→日常や実務の些事・詳細・ディティール
■ 娯楽や表現(音楽など)のジャーナリズム・批評の立ち位置の再考。
…アーティスティック神話・メジャー神話などの検証や解体。
「正義」と「幸福」必ずしも同居するとはかぎらないともいわれるが、
娯楽としての効用とメッセージとしての機能(有効性・実行性・浸透性)も、必ずも同一ではないのだろう。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/sexy/interview061212.html
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ファンとヲタの違いについて思案したところ、 ファンは「出し物の娯楽としての効用を享受している立場」で ヲタは「萌えやガッツキなど、脳内・ロビーを問わず、演者との何らかの 関わり(憧れ・美化)を望む立場」という定義になった。
おおかたのアイドル好き(というか僕自身)は、バランスの大小の違いはあれ、ヲタとファンの両方の要素が存在していると思うけど、 ひいてはポップスター=ショウビズって、ファンとヲタの双方のニーズを 宛て込むことで成立している営みなのかもなとも感じる。
で、ほぼファンとしての立場のみというのはありえるし、 また珍しくないかもしれないが、 ほぼヲタとしての立場のみというのはあったらスゴいwですねん。
■ メジャーな「魅力」…同席性、なじみやすさ、入れ込みやすさ、共感しやすさ
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