あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース
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2006年12月12日(火) |
アイデアメモ・読書メモ |
デザインや相手の動態etcを視覚などの感覚(センス)でとらえる姿勢
家政学・軍事学・医学・工学・園芸学
…芸(アルス)と術(テクネ)
・まわりと自分の様子や姿や動きを、目で見て、体で判断し、チョイスしデザインしてゆくセンスをともなう手や足の作業
ミエってやっぱり重要…洗ってみっともなくなるような服は買いたくない
つまり洗濯物を干すってことは、人間の生活の部分を全部丸だしにしちゃうってこと。
・体力- 「人力エネルギーで‘快適′生活を」(橋本治89下巻)
精神の高揚してるときは、むしろ‘肉体の衝動'にものっとり身体もともに動かし高揚させることでテンションを安定させる。
争いを回避する知恵とエネルギーもさることならが、いざという場面に直面したときには、その状況の3倍ぐらい過激になれる態勢をつくっておくべき?
■背中(身体のすじ)を伸ばすための思案の調律(のばす・ほぐす こり)
「引き算的思考」…これまで好奇心と興味(楽しみ・背伸び・見栄・同質化・不安etc)でストックしてきた情報を現在の自分のニーズに照らして「取捨て選択」する思考
岸野さんによると、「(自分の「縁」を意識する直感を)自分は間違えてきたから、残っているものよりも、もっと多い捨てたとか売り払ったものが、自分を創っているから」
でも、下限の裾野も広げないと、上限の高まり広がりが意識されない。
その縁を大切にする。 そのポイントが、自分から動くことによって見えてくる。 それが面白い。
捨てる=選択・調律? (「オタクVSサブカル」17ページ。岸野氏発言)
「自分は風景の中の一要素にすぎない。ただし自分がその風景へ何らかの働きかけかけができる可能性もまたありうる」 …ならばその「風景の中を含んだ自分の姿」や「その風景のさまざまな要素」へもろもろの興味のアンテナを向けようと心がけるアプローチもありうる。
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世の場に公然と存在するものを、批判を飛び越え無いものとしてトゥーマッチに否定的になるよりも、まずはその存在と姿を捉え、確認するほうが、より現実的な対応であると思う。
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教養・音楽‐身ぶり・ファッション・虚栄など ↓ まずはその機能を肯定し、そこからはみでる効用も押さえる
呉智英氏の変人論によると、ビョーキがかった変な人も、まず自分が変な側の人だということを自覚し、その上で力をつけれれば大丈夫だという。 だけど、誰もがそこまで強くなれるだろうか。 そこに、妥協や挫折の程度の調整を含んだ論であってもいいのかもしれないです。
■ 「人格改造」というのは書物のキャッチコピーとしてはアリだが、より実質的には人格調律(チューニング)のほうが適切?
たとえば薬物で劇的なテンションの変化を起こしたとしても、それは一時的なもので、それよりも元の性格の(フォーム)を踏まえて発展、といったほうが長期的には良かもしれない。
■ 演出(タテマエ)と真心
…情報・煽動・構造 警戒心(ガードの方向の想像力) 岸野さんの論
(思春期・青春期の外に開きたいという欲求 ニセ学生マニュアル赤版)
こだわり・こり スキル・センスの弱さ、不器用さ
■ 集団、弱者 圧迫・差別 (大月氏の「イジメ」へのコメント)
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