七転八倒 〜彩音の日常&育児日記〜
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2006年03月23日(木) |
アニメを見てまたも泣く母 |
子供の頃、ドラえもんを見て泣き友達からアホ扱いされた私、という話は前にも日記に書いたと思うが、 今日も泣いた。しかもふだん泣くわけない「こてんこてんこ」で。
木の妖精が汚れた泉をきれいにするという話なのだが、きれいにするたびその木の葉が散ってゆく。 どうしてかとこてんこたちが長老にたずねると、自分の命を削ってきれいにしているとの答えだった。
これを見ていたら、短大の時習った「The Giving Tree(邦題:大きな木)」という絵本を思い出した。 リスニングで、これを題材にし、グループに分かれ自分たちの好きなようにBGMをつけ、 スクリーンに映された絵(確か絵本の絵がそのままアニメになっていたと思う)に合わせてナレーションをするという 授業があった。 その時、BGMを担当したのが私だったのだが、ラストの曲はちょっとマイナーコードのきれいな曲を選んだ。 「すごくこの曲いいね。なんの曲?」ってきかれたけど、「いいでしょ?ちょっとね」と答えた私。 実は・・・SEPIAのビデオのエンディングで流れていた曲をそのまま録音したものだった。(^_^;)
余談になってしまったが、その「The Giving Tree」の内容を知り、私は当時も涙ぐんだ。 りんごの木と少年が友達で、少年はいつも木に○○がほしいと要求する。少年は成長しながらも、 木は少年に枝を与えたりしてゆき・・・ついに少年は老人に、木は老木になっていくのだが、 老木になった木は「もうあげられるものがない」と言う。すると老人は、ただの切り株になってしまった木に腰掛ける、 といったストーリーだったと思う。 こう書いてしまうと、感動も何もないのだけど、自分の身を削ってまで与え続けるというこの話と 今日のこてんこの話が重なってしまい、思わず泣いてしまったのだった。
ちなみにこの「The Giving Tree」は、「ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに」の作者・シェル・シルヴァスタインの 作品だそうで。 「ビッグ・オーとの出会い―続ぼくを探しに」は読んでいないけど、かなり有名な本だよね。
与え続けることは難しい。人間関係にはほとんどギブアンドテイクが成り立っているだろう。 この木と少年の関係は何?親子の関係に近いのかなぁ?いや、違うよね、私なんか息子からたくさん救われてるもの。 でも、見返りを何も求めず与えることができるのって、すごいなぁと思う。 欲しがるものを与え続けることが偉いということではなくて、何かしてあげたいと思う気持ち、 それが大切だって言いたかったのかな、この作者は。 絵本って子供だけのものではない。むしろ子供の心を忘れてしまった大人が読むものなんじゃないかなと、 時々思う。
心を動かすものならば、アニメでもマンガでも別に悪いとは思わない。それを見て心で感じることを大切にしたい。 息子はこの頃、イラストっぽい絵を描くのが以前に比べてずいぶん上達したように思う。 見てマネして描く。そのうちに見ないで描けるようになる。そこにセリフのようなものがついて、 自分なりのストーリーとまではいかないが、会話を作り出す。
今日は終了式。もらってきた通知表をさっき読んだ。いろいろと少しずつ発達してきたことが読み取れたが、 いちばんじーんとしてしまったのはこんな内容の一文だった。 「夕焼けみたいに少し赤くなった空が見えた」と、窓の外をのぞいて表現したというのだ。 母がこうして文章を書くことを好んでいるからよけいなのかもしれないが、表現力がついてきたことがとてもうれしかった。
息子のこういう力が、生きていくことにどこかできっと役に立ってくれる、母自身の力もどこかで・・・ そう思いたい。
追記。
息子がテレビをBSラジオにかえた。ただ今BGMはクラシックのピアノ曲。(^_^;) そして今、私の横で手紙を書いている息子。卒業してしまう大好きなおにーちゃんに手紙を書いて、 明日出すそうな。うわー、めっちゃ書いてる描いてる!読みづらいやん、それ・・・。(^_^;)
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