2002年10月25日(金) |
書を持ちながら街に出たい。 |
自己批判 という命題において 連合赤軍は 総括という名で 同士リンチを繰り返し 狂気の元に 死んで逝ったのだけれど まあ自分自身を 批判・卑下・非難することは そう難しいことではない 勿論自らの短所に気付かない 阿呆もいるのだけれど 往々にして大概の人は まあおおよそ見当がつくもので ときには わざわざそんな必要も無いのに 自らを卑下しては 自らの首を絞め その自虐に悩んでいる人間なんかも いたりなんかしちゃったりもして ただ 多くのそういった人間は 自己批判に悩んでいるのではなくて 自らのコンプレックスに対する 自己矛盾 に悩んでいる帰来が見受けられ それは やはり日本の間違った教育と 不景気で暴走する資本主義のひずみで 感情と作業を 同一同質に考えているからで 結句 物事の本質を見出せない そんな若者が増えているのである 例えば 自分のことが嫌いだという人間がいる 嫌いならば好きになれば良いだけである ではどうやって 嫌いな所を直せば良いだけであるが その修復の作業を 苦しいだとかつらいだとかしんどいだとか 感情を同じものとして捉えるから 余計に疲れるわけで また確かに 相当なエネルギーが必要とするのかもしれないが それはあくまでも 目に見える表面しか捉えてないからで その奥にある 本質 を見極めれば 嫌いな所を直す作業 それは確実に前進しているわけなのだから 辛くても 哀しくはないどころか 寧ろ ゴールが確実に見えているのだから 寧ろ楽しい 辛くても 苦しくは無いわけで 金がないなども同様 なけりゃあ働く その一連の作業がしんどいのならば 働かない 働かないと決断したのならば 金がないことは嘆かない 実に 物事いっしょくたに考えるから 余計に混乱を招くわけで シンプルに 順序だって考察してみると 確実に一本の道が 照らし出されるはずである また 書を捨てて街に出よ 日本の最強奇人寺山修司の言葉である まあ要約すれば 本で得る知識以上のことが 街では日常茶飯事に起きていると 頭でっかちよりも まず行動だと さすれば道は開かれると 先日一部ヤンキーを批判したが 彼らの行動力という点は 「書」自体持たずに 街に飛び出しちゃった 彼らの行動力は見習うべきところであるわけで まったく 身体は全くもって正直であるのだよ 今私の中では 回りまわってコギャルがブームで しかも今は亡きガングロ 黒ければ黒いほど 最近は興奮して仕方が無く されど時代の移り変わりが激しいこのご時世 今時真っ黒なコギャルを探すのも難しい世の中 真っ黒なコギャルのAVがあるはずもなく それに近いAVは もう既に見たものばかりで 仕方が無く 黒いという点において 黒人モノAVを借りたのであるが 全くもって ちんこが元気に成らない ほんの数日前は 外人モノでうひょおいやっほお あんなにちんこ元気だったのに 今日は何故に勃たない つまり自己矛盾 頭とちんこが一致していないわけで ならば ちんこを勃たすにはどうするか 幸い快適なネット環境のおかげで 私のちんこは 書を捨てて どっかーんと飛び出るはずだったのだけれど 否 実際には飛び出たのだけれど それは ブロードバンドを有効活用した 動画をオカズにしたのではなく 裏本をスキャンした画像であったことに 「書」 もなかなかどうして 捨てたもんじゃあないのだなと 私矛盾してますか え?してますか 矛盾してても ちんこの一連の作業は ちんこが気持ち良いという点において 私のちんこは 今日も平和 いやまあやはり 書を捨てて 否 書を持ちながら 風俗に行けくこともまた 経験だと思うのです 飛び出せ ちんこ。
|