2002年10月27日(日) |
途方に暮れてやらない。 |
テレビもねえ ラジオもねえ 思い出はあるけれど トラウマばかりで楽しかねえ 明日もねえ ルーツもねえ おまけに今いる場所がねえ 怒りなら あるけれど ぶつける相手が見つからねえ 生きるとは なんなのか 教えておくれよこっくりさん この指に願いなど込めて 問いかけたけれど 何も答えず それなのに お帰りにならない そしてまた僕は 途方に暮れる
なんてどうしようもないくらい どうしようもない歌がありまして なんともなれば 世の中実に こうしたいのにそうならない 所謂不条理の連続で 人間どうも 思い出はあるけれど トラウマばかりで楽しかねえ なんてあるように 眼前の諸問題に ついつい眼を奪われて 絶望しがちなわけで まあ 人生は不条理の連続で 幸せなひとときなんてものは ほんの一瞬であるから そう絶望しがちなのも無理はないのだけれど 否 それ以上にやはり ついつい健忘が激し過ぎると思うのですが まあ大きな幸せは 日常では少ないけれども 小さな小さな幸せというか 喜びとか楽しみというもんは 結構日常 これ誰にでもあるわけで そういったことを念頭に置けば 何か嫌な物事があったとしても 医者が無責任によく言う リフレッシュだの気分転換だの 意外とこれ できたりもするわけで まあ無理から わざわざ未だ来てもいない 勿論降りかかっている 悪い事を考えて思い悩むのは そりゃあ誰だって疲れるわけで 特に他人の仕業によって 振りまわされることは 全くの迷惑であるからして 私は疲れることが嫌いであるして 常に楽しい事 例えば美人芸能人があんなことや え?こんなことまで などなど実に引きこもりにありがちな 暴走する妄想をしているのだけれど 私だけでなく 多少ココロの病の人達は 妄想気味の人も多く されど 妄想イコールイマジネーションでもあるわけで まあイマジネーション豊富なぶん そのベクトルが負に入った場合は そら薬物投与が必要なくらい 負に負に入っちゃうこともあるが まあそれはそれ まあしかし 確かに人間楽しかったことを 忘れがちなのだけれど しかしそれは あくまでも忘れたと 脳が錯覚しているだけで ハードディスクなんかでも フォーマットや削除するだけでは 表面上はきれいサッパリに消えてはいても 完全には消去できていないわけで 同様に人間の脳みそも 実は忘れていたことは きっちいと脳のタンスの中に きれいに整列されているもので 死ぬ間際に 走馬灯のように思い出がフラッシュバックする なんてのはその最たるもので 何かひとつ ひとつきっかけがあれば 脳のタンスのカギは開かれん 私は 雨の日も風の日も 彼女がいたときでさえ 毎日オナニーしており 今28 オナニーに目覚めたのが おそらく中学生あたりだとして ビデオ屋に通い始めたのが確か中三 まあ若いときは オカズが本であったり想像であったり 最近はネットなんかも充分オカズにすることも あるのだけれど まあ平均すると毎週4、5本を見ていると 実に計算するのが面倒なくらい 多くのビデオを見ているわけで 特に回転の速い業界のこと 出ては消えて消えては出てくる女の裸 それでも それでもたまあに デジャブとか言うの若者は AVでデジャブ ああなんてロマンティック なんて現実逃避している場合ではなく 以前借りたのを忘れて もう1度借りてしまう そんなことはよくある話で そんなことは日常茶飯事なのだけれど それでも 以前見たことのある それも数年以上も前のAVと たまにご対面 数年振りにご対面 若いときに見たAVは ちんこは忘れていても 脳みそがしっかり覚えているわけで ちんこノスタルジー やあまた会えたね 僕は相変わらず 皮が長いままだよ たとえ お別れしても また会えたらチャラだね そう また会えたら チャラなのでる ちんこ履歴が消えていても また会えたら それでいいのだ そう 思う 思っているのだ 思っているんだけどね 二度ならまだしも 昨日借りたAV 三度目ってどういうことだ よほどそのAV女優と 赤い糸でも繋がっているのか つまり お別れしても いつかまた 会える という真理なのですなあ 私はちんこに 願いを込めて こっくりさんに 問いかけてみようと思った。 されど 私のちんこは 途方に暮れない。 だってAVは2度目でも3度目でも それでも ちんこは 気持ち良いから。
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