| 2002年05月23日(木) |
恥語プレイはありだが。 |
いい歳こいた私が言うどころか キーボードで打つ事さえ もはや恥ずかしいのだけれど 「恋」 いえいえ私はしてないのだけれど 良く世間では 恋は片道切符 好きだという想いが 恋なのであり それはそれは 自己中心的で じゃあじゃあじゃあじゃあ 「愛」 というものは お互いがお互いを慈しみ 男女間の隔たりを超えた 奉仕の精神なのです 何かしてあげたい 大事にしてやりたい 守ってやりたい という想いがその典型なのであるが 男の 愛しているよ という言葉に騙されてはいけない。 愛してるよなんて囁く輩は 100%欺瞞であり ろくでもないペテンである 好きだ好きなんだぁ と告白されれば そりゃあ悪い気はしない そうですか 好きですかそうですか よきにつけ悪しきにつけ 自分の意識は置いといて 相手が自分を好きだと認識できるわけで 恋は片道切符 そのまま片道で走らせてやるのもまた自由 思うのも自由なのであり 思われるのもまた自由なのだが しかし 愛してる キミを愛しているんだぁ と告白された場合 それは お互いがお互いを慈しむという概念において 俺は君が好きなんだから 君も俺を好きになれ いやむしろ 俺は君が好きなんだから 君も俺が好きなはずだ という強迫観念が 行間にふんだんに盛り込まれ 慨してこんな輩と たとえ結ばれたとしても 性行為はピストンだけしてとっとと発射 行為後はさっさと寝る 挙句 ドメスティックバイオレンス なんてこともよくある話しで よっぽどのMでなければ 発狂してみのさんに電話かけたり あんたそのお金はそのお金だけはぁ となるのが眼に見えているのにもかかわらず 若者は目の前の恋愛を 一生と勘違いし ナマでやってはアレがないの 性欲と恋愛を履き違えるバカップルが 暖かくなるこの時期 異常に街中で繁殖し それはそれは 鬱陶しくて ついつい嫌がらせをしてしまうのだけれども それは 結婚=幸せ という概念を教育してきた 日本の戦後教育のひずみに産まれた副産物であり もとより 幸せ自体 目に見えカタチになるものではなく 日常の何気ない一瞬 という概念にすぎないのだが 日常の何気ない一瞬を見落としては 不倫は文化 セックスレス 熟年離婚を引き起こすのだけれど いや別に不倫だとか浮気だとか それはそれで 自由恋愛 性欲セックス 官能世界に浸って見るのは 人生経験として良いのだが ときたま ビデオ屋で見かける 彼氏彼女か夫婦か知らんが 食器棚どれにする?的風情で アダルトビデオを選んでいるカップルや 今晩の夕飯のおかずは何にする?的風情で 大人のおもちゃを選んでいる カップルを見ると あぁ幸せそうだなあ と思うわけで オナニーを見せあいっこ できるカップルというのは ぼかぁ素晴らしい事だと思うんだ 恥ずかしい イヤらしい私を 見て欲しい 見てもらいたい そおゆう点において これはもはや立派に愛なのであり さらなる スカトロとも呼ばれる 排泄行為排尿行為を 見せ合いっこできるカップルは もはや恋愛におけるマスター その絆は よの不条理が二人を引き離そうとも 決してちぎれることはなく もはや永遠 だからこそ私は スカトロジストではないが 初対面 もしくは 男女間において 尻の穴を見せてくれる女性に魅かれるし また私の尻の穴を見せてあげたい それで万事OKなのだ 故に 男女間の恋愛に 言葉は要らない 言葉よりも 態度なのだ だからこそ ひとり身の私は 鏡を見ながらの オナニーに 興奮するのである。
|