2002年03月13日(水) |
剛に入っては強引に挿れちゃだめ。 |
ここ数ヶ月から半年ほど なかなか ほうと うならせるほどの映画が少なく 退屈で辟易しているのだけれど しかしながら 映画館という場所は楽しい 大劇場には大劇場の ミニシアターにはミニシアターの シネコンにはシネコンの 名画座には名画座の それぞれ独特の雰囲気があり いくつになっても ニューシネマパラダイス まるで子供のように 嬉々とした眼で 私は映画に取りつかれ 食い入るように見入ってしまうのだけれど なんともなれば 人生の最期を迎えるときは映画館で カラカラと回るロールの音を聞きながら迎えたい 最高の贅沢ば映画館で眠ること なんて思うほど 私にとっては 人気の少ない映画館こそが これ癒しの場であり お節介の私であるがゆえ 彼女がいるとき 女性と遊ぶとき こんな貴重なスペースを共有したい などと映画館引きずりまわしの刑に処しては 数ヶ月後数年後 近所のビデオ屋において ああこの映画はあのコと ああこの映画はあのときの なんて切なくなってしまうので 極力映画館には独りで赴き ああいいねえ ああいいよお なんて純朴な映画ファン気取りなのだが ぶっちゃけてしまえば 人間癒されると 更に次の欲求信号が発信されるほど奥深いもので ココロが癒されると ちんこも癒してあげたい ちんこも癒して欲しい ちんこも癒されて欲しい と思うのはこれ人間の心理で 今まで知り合う女性 映画見ないい 映画つまんなあい 映画意味がわからなあい などと呆ける女性が多く まあ人の趣味なんてのもそれぞれ なんて思っていたのだが 意外にも 平日から独りで ミニシアターや名画座など 小さなスポットに訪れる女性は多く やはり世間は広い 自分のテリトリーだけで満足していては 井の中の蛙 書を捨てて街へ出よの精神に 自分の浅はかさを知りながら ああこおゆうコと友達になりたい ああこおゆうコと性行為をしながら 映画について語り合いたい なんて思うのだけれど もとより 自ら女性に声をかけるなんてできるはずもなく また声をかけたところで 相手にされないのはほぼ確実だろうし それより声よりも何よりも かけたいのは精子だったりするわけで また万が一 声をかけて 性交に成功したところで ああ他にイイ男なんて腐るほどいるだろうに 何故私みたいなダメなちんこに ああ君はなんて男運の無いコなのだ なんて自ら 声&精子をかけておきながら 他人のせいにしてしまい さらに自己嫌悪 所詮私は女性一人 満足に幸せにできないどころか イカすことすらできないダメ人間なのだ とココロの病気になることまで シュミレートしたうえで 私は映画館において 女性に声も精子もかけることなく やさしい気持ちのまま 映画館を独り後にするのだけれど そのやさしい気持ちこそ これ癒しでもあるわけで つまり 癒し癒し 癒しと癒しの相乗効果によって 私のリビドーの一端を担い ここに映画館と映画と その素晴らしさを再実感するわけで それだけで幸せ と思えるものなのだが しかしここ数十年 日本はアメリカ文化がはびこり 街中はおろか 映画館にも外国人の姿を見ることは いたってごく日常で もちろん外国人に対しては 心を大きく広い了見を持っているつもりなのだが 彼奴らは公の場において 菓子を食ったり 炭酸飲料をわざわざ館内で プシュウと言わせては オーイエ。オーイエ。 オウノオ。オウノオ。 などといちいちリアクションを起こし うるさいったらありゃしない せっかくのひとときの安らぎすらも ままならないのかこの国は アダルトビデオもこれまた同様 いわゆる洋ピンモノ これ劇中 必用以上に白人黒人ブロンド男女 最初から最後まで オーイエ。オーイエ。 オウノオ。オウノオ。 とわめき散らしており そりゃあときには淫らに 激しく狂おう熟れた果実 くんずほぐれつくんずほぐれつ いやっほお、うっひよお なんてスポーツ風性行為も楽しい事は 良くあるのだが そこまで騒がれると でええい。やかましいわっ萎えるわっ となる事も多々あるわけで やはりここは日本 わびとさび 緊張と緩和 浣腸と発射 出すとこは出し 押さえるとこは押さえる これこそが和の醍醐味なのであり いちゃいちゃから性行為に入る その瞬間 チロチロとクンニする その瞬間 てろてろとフェラーチョされる その瞬間 その一瞬の静寂感こそ 照明が落ち 幕が開き 映画が始まる その瞬間のその静寂なのである。
|